猫の熱は、カラスに移る
授業の終了を告げるベルがなった。ちひろが何か言いたげにこちらを見たけれど、声を掛けてくることはなかった。私は机に顔を伏せる。
屋上に行く気にはなれなかった。
結局昨日もネコは現れなかったからだ。何か、事情があるのかもしれない。でも、それを確かめる関係に、私達はあるのだろうか?お互いの名前も知らず、友達と言い切るにはあまりにもあやふやな関係だ。
何か、気に障ることがあったのかもしれない。それならば、もう屋上へ行かなくなればいい話だ。お互い、咎めるほどの関係に無いのだから。
でも、それを確かめることが、今はとても怖かった。
もし今日もネコがいなかったら?私はきっと心細くなってしまうだろう。それは嫌だった。今はまだきっと堪えられる。この感情に名前を付けたら、私はきっと我慢が出来ない。
教室の喧噪が煩わしくて、私は席を立つ。
図書室に行こう。静かな場所で本に包まれれば、少しは気も紛れるだろうから。
教室を出る私を、ちひろと綾香が黙ったまま見つめていた。
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さすがに昼食の時間なだけあって、図書室は見事に空だった。窓際の席に付くと、そのまま顔を伏せる。
どこか遠くで誰かが笑っている声がする。
私は頬を机にくっつけたまま、目を閉じた。ひんやりとした机が気持ちいい。枕は無いし、埃が舞って目に入ることも無い。
とても静かだ。
寂しいという気持ちはとても厄介なものだ。胸の真ん中辺りでどんどん膨らんでいって、
いずれ頭の中までいっぱいにさせて、膨れ上がったそれは目や口から溢れだす。
私は、寂しいのか。
唇を噛む。ほとんど一方的に、感じていた親近感のはずだ。それを持て余しているなんて、何て自分勝手なのだろう。情けなくて、どうしようもない。
自己嫌悪に苛まれていた私は、図書室の開くドアの音にも顔を上げなかった。
「……探した」
耳に馴染んできていたボーイソプラノが辺りを響かせて、私は弾かれた様に顔を上げた。
「カラス」
ネコが入り口で立って笑っていた。
何か、言おうと思って慌てて口を噤む。
今私は何を言おうとしていたんだろう。もしかして、彼をなじろうとしていたんじゃないか。何故。こんな気持ちは、まったくもって不可解で、自分勝手で横暴だった。
「……カラス。ごめん」
何故ネコが謝るのかが理解できない。彼は息を切らしていた。屋上まで駆け上がったのだろうか?そこからここまで、一直線に走ってきたのだろうか?
どうして私がここにいるって分かったの?
「……どうして、ここに」
私は思わず呟いた。ネコは呼吸を整えながら後ろ手でドアを閉める。
彼の額は汗で濡れていた。ネコも汗をかくんだと驚きを感じる。
「屋上に居なかったから。だったらこっちなのかなって」
でも居てくれてよかった。ネコが呟く。
「学校中を探すのは、ちょっと大変だから」
私は口を開いたが言葉は出なかった。何かが胸の中でぎゅうぎゅうと膨らんで、喉がつまったようだ。
こんなの、私のわがままなのに。
「ごめん、ひどい風邪を引いて。立てなくて。やっと治ったから」
探してくれたの?わざわざ。そんなに一生懸命。
「そう、そうなんだ」
「うん」
「もう体調は良いの?」
「うん」
「……それなら、良かった」
「カラス」
「……何?」
「ごめん」
「……どうして、謝るの?」
「待っててくれたでしょ」
「……うん、でも。全然ネコは悪くないでしょう?」
「でも、それでも、何も言わずに来なくなったら、きっと怒るかなって」
「怒らないよ」
「本当に?」
「うん、怒る理由が、無いよ」
「……」
いつの間にかネコは隣の椅子に座っていた。私は彼の方を見つめることが出来ずに
ぼさぼさ髪なのを良い事に顔を伏せていた。
今ネコの顔を見たら、あっという間に嘘がばれてしまう。
私は、怒っていたのか。羞恥で顔が真っ赤になる。聞き分けの良さそうな事ばかり並べたてて、その実私は拗ねていたのか。
「……カラスこっち見てよ」
「……」
「カラス」
「いやだ」
「……どうして?」
「どうしても」
少しだけネコが動く気配がして、次の瞬間私の頬に、ひんやりとしたネコの手が伸びてきた。
「……やっ」
顔を背けようとしたけれど思いのほか力が入らずに、彼が私の顔を覗き込んだのが分かった。
「……何でっ!!」
嫌だって、言っているのに。ネコを睨みつけると、彼はとても優しそうな顔でこちらを見つめていた。私は途端に混乱してしまって、何が何だか分からない。
どうして、彼はこんなに優しいんだろう。私は何に怒っているんだろう。
「許してくれないかな」
「……そもそも怒ってない」
「……こんな顔して、怒ってないわけない」
「もともと私はこんな顔だから」
ネコが声を上げて笑った。どうしてこのタイミングで笑えるのか。ますます私はきつく彼を睨みつけた。
「拗ねてるし、怒ってるし、子供みたいだけど」
「なっ?!」
なんて失礼な!!思わず頬を包んでいたネコの両手を握りしめると力を込める。精一杯の力を持って反論してやろうと私が口を開きかけた時だった。
「でも怒ってくれてて良かった」
ネコは嬉しそうに笑った。
私は口を開けたまま言葉を忘れる。
「怒って無かったらどうしようかと思った。まるで俺が居ても居なくても関係無いみたいに、カラスが居てくれなくて良かった。俺が探したこと、喜んでくれて良かった」
ひんやりとしたネコの両手が、だんだんと熱を帯びていく。違う。
違う。私の熱が移ってるんだ。
もう限界だった。私はネコの両手を無理やり振りほどくと椅子を倒す勢いで立ち上がる。
驚いたネコの顔が視界に映ったけれど、とにかく私は一刻も早くネコから離れたかった。
離れたくないけど離れたかった。離れたくないと思ったから離れたかった。
「……カラス!!」
図書室のドアを勢いよく開けると、後ろからネコが声を掛けてきた。私が動きを止めてネコに振り返ると、彼はにこにこ笑いながらこちらに手を振った。
「明日は、屋上で。また」
私は勢いよくドアを閉めた。




