7-14
学園に帰還した俺がまず最初に足を向けたのは医務室だった。
教会の敷地内、礼拝堂に繋がる正面玄関から左奥に進んだ先の小さな勝手口を開け、そこからしばらく廊下を歩くと左手に「医務室」と書かれたプレートを嵌め込んだ、両開きの扉が見えてくる。
扉を開いてはじめに目にするのは等間隔に並べられた白いベッド群。ヴィエッタ学園の教室と同規模の部屋、その左右の壁に沿って患者用の寝床が用意されているのだ。
部屋は奥にある衝立によって2つに分けられており、手前が病室、奥が探索前に俺の治療を行っていた診察室兼処置室だ。
この部屋は比較的軽傷(骨折とか火傷といった、あくまで冒険者にとっての軽傷という意味だが)の患者に対して開かれている場所であり、大抵の怪我人はこちらで治療を受ける。
伝染病や命に関わる重症を負った者、または魔法以外の外科的な手術が必要な者は更に奥の部屋に運ばれるが、神聖魔法には白魔術以上に豊富な治癒系魔法が揃っているため、大半の患者はこちらで事足りる。
「失礼します……」
時刻はそろそろ午後10時を迎えるところで、太陽はとっくに落ちていた。眠っているであろう入院患者を起こさないように恐る恐る扉を開ける。
珍しいことにベッドはすべて空だった。出発する前は何人かの生徒が入院していたはずだが、皆退院した後らしい。
いつもは清潔感溢れる光をこれでもかと照射している魔力灯も、必要最低限のものを除いて消えていた。
衝立の向こうからは光が漏れ出ており、診察室の入り口にかかったカーテンには事務仕事をこなす何者かのシルエットが影絵のように映っていた。
ノック代わりに衝立の木枠を軽く数回、拳で叩く。「どうぞ」という聞き慣れた声に従って、カーテンを開ける。
「ソウタさん……!」
中にいたのはやはりシスターだった。
医務室の担当は何人かのシスターが持ち回りでやっているらしいが、その中でもシスターはとりわけ優秀だということで、本人の希望もあって他のシスターより当番の日が多く……
……何だかこんがらがってきた。今にして俺は彼女の名前すら知らないことに気付いてしまった。しかし今更「何て名前なんですか?」と聞くのもそれはそれで失礼な気が……。
シスターは俺を見るなり立ち上がり、学ランをむしり取るように脱がせると俺の体に異常がないか丹念に調べ始めた。想像を絶する身のこなしの速さに俺は反応できなかった。
「怪我は……ないようですね。ようやく肩の荷が下りました……」
「心配かけてすみません。ちょっと危ないところでしたけど、学部長が助けてくれたので」
「そうですか。エカテリーナ様には後でお礼を言わなければなりませんね」
学部長の話では、救援を呼びに学園までひとっ走りしてきたシスターは、伝令役を済ませた後、樹海で重傷者が出た場合に備えて治療設備の整った医務室で待機することを選んだという。
その場で治療できる程度の傷なら学部長とナギアがいるし、何よりあのトンデモ教師2人の強行軍についていくのは骨が折れるだろうから、妥当な判断だったと言えよう。
一息ついたシスターは、戸棚から木製のマグカップを取り出して、デスクの端に置いてあった瓶から琥珀色の液体を注ぎ入れた。漬け置きのハーブティーだろうか。
「どうぞ。1日動き回ってお疲れでしょう」
「ありがとうございます。これって何のお茶ですか?」
「ソウタさんも良く知っている、とある魔物のエキスを煮詰めたものですよ。今朝絞めたばかりです」
「え」
「ふふ、冗談です」
とんだブラックジョークだ。最近のこの人はシスター然とした見た目に反して不穏な言動が目立つ。こちらの方が余所行きの仮面を被らない素の彼女ということなのかもしれない。
差し出されたマグカップを受け取って口に運ぶ。ハッカのような清涼感が印象的なお茶だった。
「どうでしょうか?喉越しが独特なので、口に合わない方もいるのですが」
「確かに癖は強いですけど、俺は好きですよ、こういう味」
「それは何よりです。シロップが欲しければ言ってくださいね」
実に魅力的な提案だったが、ここで和やかな雰囲気に流されると本来の目的を忘れてしまいそうになるので、俺はマグカップの中身を一気飲みして本題に入ることにした。
「シスター、聞きたいことがあります。今日のことです」
俺の飲みっぷりを微笑ましい目で見つめていたシスターは、俺の真剣さを察したのかスッと笑みを消した。
「おおよその見当はついていますが、ソウタさんは何について知りたいのですか?」
「マクベスについてです。シスターはマクベスのことを知ってるんですか?」
冒険者マクベス。英雄と呼ばれ、行く先々で不審な言動を繰り返し、何がしかを画策しているような素振りを見せ、そして、黒く濁った目を持つ謎の男。
あの時のシスターは何かを掴んでいるような口振りだった。少なくとも俺よりマクベスの本質に近い位置にいることは間違いない。
シスターは俺の問いに答えあぐねていた。隠しているというより、どう答えるべきか迷っている感じだった。
「面識があるか、という意味でしたら、いいえと答えざるを得ません。私があの男と会ったのは今日がはじめてですし、伝え聞いている噂も人並み程度でしかありません。
何やら有名な方のようですが、私は英雄にも冒険者にもさして興味はありません。名前や肩書きで人の本質は見通せませんから。この私などが修道女であるように」
こちらの目を真っ直ぐに見て話すシスターに嘘の気配は感じられない。まあ俺如きの観察眼では彼女に嘘を吐かれてもさっぱり見抜けないのだが、そう信じたいので俺は疑わなかった。
「あの男についてはむしろソウタさんの方が私より詳しいのでは?私にはそのように見受けられましたが」
「俺が、ですか?」
「自覚がないのですね」
自覚は……ないこともない。
マクベスの経歴こそ知らないが、彼の内にどのような感情が渦巻いているのか、それは何となく理解できる。
ただ、それは俺の勝手な思い込みである可能性もある。もう何年も自分のことだけで頭が一杯だったので、人間観察力に自信が持てないのだ。
だからこそ、あの時俺と同じようなものを感じたのかもしれないシスターの話を聞いて、答え合わせをしたい。
「ソウタさんはなぜそこまであの男にこだわるのですか?以前にも言いましたが、彼に関わってあなたが得をすることはありませんよ」
シスターの言うことももっともだ。
"叡智の滴"の強奪疑惑を抜きにしても、あのマクベスという男は他人を何とも思っていないタイプの人間だ。
お友達にはなれそうにないし、利用し合う関係なんて俺はまっぴらだ。普通に考えれば関わらない方がいいに決まっている。
なら、俺はマクベスの陰謀を暴きたいのか?というと、実はそうでもなかったりする。
マクベスが悪事を企んでいるなんて俺の印象から生み出された根拠薄弱な机上論に過ぎないし、仮にそれが事実だとしても一介の冒険者が首を突っ込むものではない。
だから俺は、ただ。
「……気になるんです。あの目は、昔の俺と同じだったから」
俺は、マクベスに有り得たかもしれない自分の姿を重ねているのだ。
マクベスの目的が善行だろうが悪行だろうが、世界征服だろうがごく個人的な用事だろうが、それ自体はどうでもいい。
ただ、その行為は当時の独りきりだった俺が死を望んでいたのと同じく、彼を破滅に向かわせるものだ。それだけは断言できる。そうでなければ、人間があんな濁った目をするものか。
「たぶんマクベスは、俺と似たような経験をして、ああなったんじゃないかと思うんです。
だから……ってわけじゃありませんけど、彼が何か取り返しのつかない一線を越えようとしているのなら、止めてやりたい。一言で言うと同情してるんですよ、俺は」
我ながら勝手な理由だなと思う。
もしかすると俺はとんでもないお節介、余計な干渉をしているのかもしれない。
「ソウタさんは、優しいですね」
だが、俺の話を聞いていたシスターは、そう言ってくれた。
自分の想いは間違っていないんだと肯定してくれたみたいで、嬉しかった。
シスターは旅立つ友人を見送るような、誇らしげでもあり、同時にどこか寂しげな目で俺を見つめていた。
「心の痛みは、同じく傷を受けた者以外には決して理解できません。いいえ、その痛みを実際に経験した者ですら、自らが苦境から解放された途端、他者の痛みに鈍感になってしまう。私は、あなたにそうなってほしくなかった」
「だから『立ち直ってほしくなかった』なんて言ったんですか?」
「ただのエゴですよ。私は足りない者同士、あなたと傷の舐め合いをしたかったのです。誰もが希望と熱意に満ちたこの場所ではじめて見つけた、心に穴を抱えた同類と」
そう言ったシスターの灰色の瞳は、少しだけ濁っているように見えた。
彼女もまた何かに傷付けられ、孤独に苦しんできた者なのだろう。俺やマクベスと同様に。だからこそ、俺たちより暗い場所にいるであろうマクベスを「似ているが、手遅れ」と評した。
「ですが、あなたは私などが縛り付けていい方ではなかったようです。光ある場所に立ち戻ってもなお、暗闇に手を差し伸べられる人間。あるいはソウタさんならば、あのマクベスなる男に近付けるのかもしれない」
「シスター……」
「さあ、話は終わりです。行ってください。どんな時でも優しさを失わないあなたなら、この先もきっと大丈夫です」
シスターは診察室のカーテンを勢い良く開けると、慈愛に満ちた笑顔で退室を促した。
結局シスターはマクベスに関する情報を握っているわけではなかった。しかし彼女のおかげで決心はついた。
マクベスについて調査し、彼が何を考えているのか突き止める。
今のところ具体的に何をすればいいのかまったく分からないが、同じ冒険者同士、ダンジョン探索を続けていればまた会うこともあるだろう。特に最近は良く遭遇することだし、案外再会の日は近いのかもしれない。
元の世界に帰るための手段もそうだが、不思議なことに俺のあらゆる目的はいつもダンジョンに帰結するのだ。
運命というやつが存在するのならこれほどありがたいことはない。要は冒険学部の活動に全力投球するだけでオールオッケーなのだから。
シスターに見送られて医務室を出る直前、俺はもう1つだけ、今すぐに達成可能な目的を思い出して振り返った。目の前で唐突に反転した俺の意図が分からず、シスターは目を丸くした。
「どうしましたか、ソウタさん?忘れ物ですか?」
「シスター、俺と友達になりませんか?」
「…………とも、だち?」
シスターは完全に固まっていた。
少々、オーバーリアクションすぎやしないか?別に愛の告白をしたわけでもないのだが。
「シスターとは付き合いも長いし、これからも色々お世話になりそうだし、見た感じ年齢も近いみたいだし、どうせならもっと仲良くなりたいかなと。
傷の舐め合いとかそういうのは、今の俺にはできませんけど、普通の友達で良ければ、ぜひ」
なんて、大部分は方便だ。
先ほどシスターが見せた寂しそうな表情が脳裏に焼き付いていた。まるで今にも消えてしまいそうな、儚い表情だった。
彼女曰く同類だと思っていた俺が立ち直ったことで、自分だけ取り残されたように感じているのだとすれば、放ってはおけない。
だから、俺は何とかして彼女との繋がりを作っておきたかった。マクベスに負けず劣らず、この人のことも気にかかるのだ。
「ともだち……」
シスターは上の空で友達という単語を反芻している。何度か呼びかけてみるが反応はない。
割とその場の勢いで言ってみたのだが……まさか、まさかまさか、俺は彼女の地雷を踏んでしまったのか?
「あの、シスター?」
「……ジュデッカ」
「……え?」
シスターはノーモーションから一転、数歩分の距離を一拍で詰める。熟練戦士顔負けの急制動に頭巾がはらりと脱げて、セミロングの銀髪が露わになる。白銀に近いシクサの銀髪より黒っぽい、灰色に近い色合いだった。
頭巾を下ろした姿は前にも見たが、こうして見るとやはり彼女は俺と同年代の少女だった。頭巾で髪の毛が隠れるだけで5歳ぐらいは年上に見える不思議な現象は何なのだろう?
「ジュデッカと、呼んでください。私もこれからあなたのことをソウタと呼びます」
ジュデッカ。どうやらそれがシスターの本名らしい。
「わ、分かりました、ジュデッカさん」
「もっと砕けた言葉遣いで。友人に遠慮は無用でしょう」
「ええと、分かったよ、ジュデッカ」
「……はい!」
とても元気な返事でよろしい。おかげで寝間着姿の中年シスター数人がすわ何事かと廊下の向こうから駆けつけてきた。恥ずかしい……。
「喜んでくれるのは嬉しいけど、ちょっと大げさじゃないか……?」
「そんなことはありません。私にとって、その言葉は特別な意味を持つものなのですから」
少女は周りの視線などお構いなしに廊下に跪き、今度は手を組んで祈り始めた。
「ああ……!主よ、あなた様は罪深き私にもう1度チャンスをくださったのですね!ありがとうございます……!」
彼女の心情の推移がまるで分からない。テンションアゲアゲのシスター改めジュデッカに圧倒される俺だったが、悪い気はしなかった。
なぜなら、彼女の目はもう濁ってはいなかったのだから。




