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下り坂の終点には、開けたホールのような空間が広がっていた。幅は50メートルぐらいだろうか。空間の中央には1本の無骨な石柱が鎮座し、根元から天井を一直線に貫いていた。
そしてその柱の向こう側、俺たちから見て広場の対角線上にそいつはいた。
「うそ……あれってオーガ!?」
プリムラが小さな悲鳴をあげる。身の丈5メートル弱の、赤みがかった肌をした大男が広場の隅に向かって石の棍棒を振りかぶっていた。
オーガの股下からちらりと見えたのは、赤いロングコートを纏い、両刃の大剣を中段に構えてオーガと対峙する少年の姿だった。
「アキュート!」
「あっ……バカ野郎!大声出すと気付かれるだろうが!」
アキュートと呼ばれた少年が警告を飛ばすがもう遅い。プリムラの叫びに反応したオーガが振り上げていた棍棒をゆっくりと下ろし、こちらを振り向いた。
「オオオオオオオオ……!」
大きさ以外は人間そっくりな筋骨隆々のヒゲ親父が、まるで知性を感じない獣じみた声で俺たちを威嚇する。
こいつもまた、平和的な交渉ができそうな種族には見えなかった。
オーガがのしのしと俺たちの方に近付いてくる。圧倒的な体格差に思わず体が震えそうになるが、俺の隣に立つプリムラは真っ直ぐな目でオーガと対峙していた。
普通落盤よりオーガの方が怖いと思うのだが、彼女も冒険者の卵だ。案外「血が出るのなら殺せないはずがない」という好戦的な価値観なのかもしれない。
「女の子に負けてちゃ、カッコつかないよな……!」
両手で頬を叩く。よし、覚悟は決まった。嘘でもそういうことにした。
俺はあらかじめ備蓄しておいた石を1つポケットから取り出すとオーガに向かって走り出した。
基本はゴブリンの時と変わらない。俺が魔物の気を引いて、プリムラの魔術で仕留める。プリムラが狙われることだけは避けなければならない。
自分の足元に近づいてくる小人を見とめたオーガは、とりあえずこいつから、といった感じの緩慢な仕草で棍棒を振り上げた。
「これでもくらえっ!」
走りながらサイドスローで投擲した石はオーガの目を狙っていたのだが、わずかに外れて瞼に命中した。
思わぬカウンターを食らったオーガが痛みに顔を背け、棍棒を持った腕が無茶苦茶に振り回される。そのうちの1発が俺の鼻先を掠めていった。
「グオオオオオオッ!」
「うわあっ!あ、あっぶな……」
棍棒は最終的に地面に振り下ろされ、地面を揺るがせた。型を取ったみたいに綺麗な窪みが地面に残っていた。
当たったら骨折とかいうレベルでは無い。プレス機に挟まれるような惨事が待っているのだろう。
オーガは大層気分を害したご様子で、怒りに肩を震わせながら俺を捕まえようと腕を伸ばしてきた。
「くっ……!」
地面スレスレを這うように進むオーガの大きな手が独立した生き物のように蠢いて俺を追いかけてくる。俺は全速力でオーガから離れようとしたが、オーガのゆったりとした歩みに反して実際の速度は俺より遥かに速い。まるで地面の方がオーガの足元に集まってきているかのようだ。
絶対的な歩幅の差によって両者の距離はどんどん縮まっていく。何でもありに見えるファンタジー世界だろうと物理法則は変わらないらしい。アキレスは亀に追いつくのだ。
奴に捕まったらいったい何をされることか。そのまま握り潰されるか、あるいは生きたまま食われるか。どちらにせよそれは死とイコールだった。
オーガの肘が手のひらを押し出すように真っ直ぐに伸びて更なる加速度を与える。そしてついにオーガの指先が背中に触れた時、俺は死を覚悟した。
「『大地よ、湿潤なる母よ。巌となりて悪しきものを払い除けよ』っ!」
だが、その瞬間が来ることはなかった。プリムラが魔術によって生み出した岩塊が飛来してオーガの手をしたたかに打ちのめし、激痛に呻くオーガがたまらず俺から手を引いたのだ。
「炎だけじゃなかったのか……!」
「もう1つ!『炎よ。天の御子よ。我が手に集いて敵を討て』っ!」
続いて詠唱を完了するプリムラ。彼女が掲げた杖の先に赤い光が集まっていく。それは今までより一回り大きな火球となって白煙を上げながらオーガの土手っ腹に吸い込まれた。
爆発の際、地下の広間が一瞬だけ真昼のように明るくなった。
「ガ……ガアアアアアアッ!」
膝をつき、苦しげに腹を抑えながら、棍棒を持っている方の腕を振り回すオーガ。痛みは感じているようなのだが、果たして有効なダメージが入っているのか甚だ疑問だった。
俺たちはそのままオーガが倒れてくれることを祈っていたが、祈りは聞き届けられなかった。再び立ち上がったオーガの腹には火傷のような腫れが見られたものの、ろくに出血すらしていなかった。
「おいおい……冗談だろ」
あれはどう考えてもプリムラが出せる最強の攻撃だった。防がれてもいない。確実にクリーンヒットだったはずだ。それすらもオーガの肉体に傷を負わせることができないという事実に、俺は魔物という存在を心のどこかで侮っていた自分を恥じた。どれもゴブリンに毛が生えた程度の強さだと思っていたのだ。
「うそでしょ、ピンピンしてる……!?」
「ヌウウウウウウウ……ッ!」
オーガの怒りの矛先はプリムラに向いてしまったらしく、愕然とするプリムラを正面に見据えたオーガの筋肉質な腕に大きな力こぶが浮き上がる。それはまるで「これからお前の体を力づくで引き裂いてやる」とでも言いたげなアピールだった。
まずい状況だった。小さなプリムラの体力でオーガから逃げおおせることは不可能に等しい。
何とかしてオーガの気を逸らさないと……俺がそう考えている間にもオーガはプリムラを捕えるために歩き出そうとしていた。だが先に動いたのは俺でもオーガでもなくアキュートだった。
「面倒かけさせやがって……!」
俺たちが駆けつけてからこっち、オーガの目を盗んで石柱の陰から攻撃のタイミングを見計らっていたアキュートがオーガの前に踊り出た。
「何やってんだよデカブツ!お前の喧嘩の相手は俺だろうが忘れてんじゃねえぞこの唐変木!」
声を張り上げながら大剣を力一杯オーガの足に叩きつける。オーガに言葉が通じたのかは分からないが、優先順位がアキュートに移ったのは間違いないようだった。
オーガはアキュートを踏み潰そうとその場で地団太を踏むように足をバタつかせるが、アキュートは小動物のようにそれらを避けながら足元に纏わりつき、何度となく大剣で足を切りつけた。
「外見はゴブリンより人間らしいけど、知能は低いんだな……」
オーガはかなり単純な種族のようだ。何度も同じ動きで回避されているにも関わらず、奴はアキュートを捉えることができていなかった。
「ど、どうしようソウタ……。私の魔術、オーガに効いてないみたい……」
広場の入り口からプリムラが息を切らせて走ってきた。せっかくオーガの注意が逸れたというのにわざわざこっちに来てどうするんだと思ったが、オーガの体格からすれば彼我の距離が10メートルだろうが100メートルだろうが大した違いはなさそうだったので結局俺は何も言わなかった。
「プリムラの魔術は十分強いさ。ただ、あれだけ大きなオーガを相手にするにはもっと大規模な魔術が必要だ」
「やっぱりそうだよね……。でも私あれ以上の魔術使えないよ」
「参ったな。有効な手段が思い浮かばない」
戦闘は一見アキュートが有利に進めているように見えるが、彼の攻撃はどれもオーガのぶ厚い筋肉を破ることができていないようで、結果的にオーガの足に引っかき傷を増やしているだけだった。アキュート薄々それに気付いているのか、どうにも攻めの姿勢が見られない。
だが、それでもアキュートの目は諦めていなかった。活力に満ちた瞳は現状打破の糸口を見つけるために忙しなく動いている。
「何ぼーっとしてんだプリムラァ!突っ立ってないで早く援護しろよ!」
「で、でも全然効いてないし……私、どうしたらいいか……」
「魔術が効かないだぁ?知ったことかよ!無駄だろうが何だろうがとりあえずやってみるんだよ!いいか、迷っても止まるな!前に進みながら迷え!それが!冒険者だろ!」
俺には、打つ手がないはずのアキュートが笑っているように見えた。
──いったい何なんだろうか、この感覚は。
プリムラといいアキュートといい、この世界に来てから出会う人は皆俺の心の中にするりと入り込んで、その奥に打ち捨てられていたはずの、俺が諦めていたはずのものを引っ張り出そうとする。
アキュートの振りかざす理論は滅茶苦茶だ。10人に聞けば10人全員が彼の無謀さを笑うだろう。
……だからこそ、俺は賭けに乗ってみようと思った。
理屈じゃなかった。凍てついた時を動かすのに必要な"熱"を、彼は持っていたのだから。
越えられない壁を前に膝を折ることなく愚直にあがき続けるアキュートに、自分の生命が懸かった鉄火場においてそれを実践してみせる彼に、俺は感銘を受けたのだ。
彼もまたプリムラと同じく、俺が今までに出会ったことのない種類の人間だった。
もし自分にアキュートの10分の1の蛮勇さでもあったなら、もう少し違う人生を歩めていたのだろうか。
いや、過去を振り返るのはやめにしよう。今はただ、全員でこのダンジョンから生還するために、人生最高に分の悪い賭けを実行に移す時だ。胸の中に小さく灯った火の正体を確かめるのはその後でいい。
「さて……鬼さんこちら、っと!」
今なおアキュートに翻弄されているオーガの前に進み出た俺は、キャッチボールでもするような気軽さで石を投げつけた。足元で目まぐるしく動き回るアキュートを追って目を回しそうになっていたオーガがこちらを向いた。
もう1度石を投げる。今度は額に命中し、オーガが苛立たしげに眉を寄せた。
このオーガはすぐにのぼせ上がる気質なのか記憶力がダチョウ以下なのか、とにかく直近の刺激に反応して動いている。攻撃対象がコロコロと変わっていたのもそのせいだろう。1人1人確実に仕留めるような狡猾さを持っていれば今頃俺たちは全滅していたはずだ。
思った通り、俺を次の標的に定めたオーガはアキュートのことなどすっかり忘れて大股で接近してきた。そのタイミングを見計らっていた俺はすぐさまアキュートに声をかけた。
「アキュート!今のうちに入り口の方へ逃げろ!オーガはこっちでなんとかする!」
「誰だお前!?」
「いいから早くしろ!生き延びたいならな!」
アキュートは逡巡する素振りを見せるが、その足は既にプリムラが待機している広間の入り口に向かっている。"前に進みながら迷え"の教えはやはり口だけではなかったのだ。
そうして広場には俺とオーガの1人と1匹が取り残された。俺はオーガに捕まらないように注意して、どうにか広間の中央まで逃げおおせた。
際限なく逃げ続けるならまだしも、今度は相手の移動速度も自分が辿り着くべき場所もあらかじめ計算しているのだから、追いつかれるはずがなかった。
中央に立つ石柱の前で息を整えながらオーガの到着を待つ。俺が観念したと思ったのか、オーガは速度を落として獲物に恐怖を与えるようにゆっくりと歩きながら棍棒を何度も握り直していた。
「俺を追い詰めたって思ってるのか?もしそうなら考えを改めるべきだな」
俺はポケットに詰めていた石を捨てていく。この後のことを考えると重荷になるだけだ。俺にできることは全てやった。後は彼女と、そして運を信じるしかない。
軽自動車並の質量と体積を有する巨大な石塊が、俺の体をぺしゃんこにするために振り上げられ、位置エネルギーを蓄えていく。オーガが勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
勝利を確信した瞬間に気を緩めるのはあらゆる生物に共通した習性だ。遠くで呪文を詠唱している彼女にオーガが気付いた様子はなかった。
だから、俺はそんなオーガの目を真っ直ぐに見つめて、こう言ってやった。
「俺は生きて帰ってみせる。悪いが、お前には付き合えない」
その瞬間、オーガの顔面が爆発した。
打ち合わせ通りにプリムラの火球が命中したことを確認すると、俺は振り返ることなく走り出した。
どうせ大したダメージにはなっていないのだろう。せいぜいあの赤ら顔がもう少し赤くなる程度だ。倒すことが目的ではないのだから、それでも構わなかった。
背後ではきっと3度目の前後不覚に陥ったオーガがまたパニックを起こしながら棍棒を力いっぱい振り回しているのだろう。そしてオーガの目の前には1本の石柱がある。
"落盤だらけの区画にある広い空間"の真ん中に聳え立つ石柱がどのような役目を果たしているのか?それはすぐに分かることになる。
「オオオオオオオオッ!」
何か硬いものが砕けるような音、それに一瞬遅れて石の破片がいくつか俺の脇を転がっていった。
天井が嫌な音を立てて軋む。目指すゴール地点にいるプリムラが「あっ、柱が崩れたよ!」と言い終える前に大量の土埃が視界を覆い隠した。




