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「ところでプリムラ先生」
「なんですかソウタ君?……ってどうしたの、いきなりかしこまって」
「ダンジョンの中に浮いてるこの紫色の光が何なのか、授業で寝てばかりだった不出来な俺にお教えください」
「しょうがないなぁ……それじゃあアキュートに追いつくまで、プリムラ先生の個人レッスンといきましょうか」
これは目が覚めた時からずっと気になっていた。太陽の光が届かないこの洞窟のそこかしこに浮いている紫色の雲か霧のような不定形の何かが輝いて、光源として機能しているのだから。
照明要らずでありがたい限りだが、この毒々しい色のせいであまり近付きたくないのも確かだった。
「これはね、瘴気っていって、魔界の空気みたいなものなんだって。毒性はないらしいけど、ちょっと怖いよね」
「魔界?」
またぞろ新しい概念が出てきた。意味は理解できるが、そんなものが当然のものとして語られるこの世界は、
「やっぱり、異世界なんだろうなぁ」
「うん。人間界とは位相的?に一番近い世界だって学園長先生が言ってたよ」
プリムラは俺のつぶやきが示す意味を取り違えていたが、とにかくここは話を先に進めることが重要だった。
「瘴気が魔界の空気ってことは、ダンジョンは魔界……いや、魔界に繋がっている?」
恐る恐るプリムラに質問する。魔界について俺が知っている情報はアニメやゲームのものばかりだが、魔界というからにはとてもよろしくない連中がわんさといることぐらい簡単に想像できた。
「そうかもしれない、だってさ。ダンジョンが発見されてからもう100年近く経つけど、誰もダンジョンの最下層まで行ったことがないの」
「100年も!?……いや、それもそうか。だって、こんな連中が山ほど潜んでいるんじゃあ……なっ!」
ごく自然な動きで手ごろな石を拾い上げた俺は、壁の窪みに隠れてプリムラを狙っていたゴブリンめがけて投げつけた。
「『炎よ、』以下略っ!」
俺が投げた石はゴブリンのナイフを弾き飛ばしたが、それは奴を逆上させる結果にしかならなかった。
フォローに回ったプリムラが素早く呪文を詠唱し、直径30センチメートルほどの火球を突撃するゴブリンに向けて発射する。俺に復讐することばかり考えてプリムラの存在を失念していたゴブリンはそこでめでたく丸焼きとなった。
「省略できるんだ……」
「威力は落ちるけどね。それに、私はまだ新米だから詠唱失敗することもあるし。やっぱり先生がいないと緊張するなぁ……」
んーっ、と杖を頭の上に掲げるように伸びをするプリムラ。ダンジョンの奥に向かって歩き始めてからというもの、俺たちはもう何度もゴブリンたちの奇襲を受けていた。
魔術というのは俺が考えている以上に術者に負担を掛けるのかもしれない。やむなき理由があるとはいえ、投石しかできない自分が情けなかった。
「なんというか、すまない。何か武器になるものを持ってくればよかったんだが」
「気にしない気にしない。それに、ソウタの石もかなり役立ってるよ。私1人だったら詠唱が終わる前に攻撃されちゃってたかもだしね。……っていうか、さっきから百発百中ってなんか凄いね」
「子供の頃から河原の水切りで負けたことは1度も無いんだ」
「さすが男の子だね。私の石、いつもすぐに沈んじゃうの」
ほんの冗談だったのだがプリムラは真に受けたようだ。こういう素朴な一面はお国柄みたいなものなんだろうか。少なくとも彼女は今までの人生で出会ったことのないタイプの人間だった。
「ええっと、どこまで話したっけ」
「ダンジョンが見つかってから100年経過してるってところまで」
「そっか。100年くらい前にね、クリシュカ国内で魔物が大量に出現したの。それまでにも魔物はいたらしいんだけど、王様の軍隊とか、騎士団の人たちだけで対応できるぐらいの数だったんだって。
……でも、その時はそうじゃなかった。森も草原も今みたいに魔物だらけになって、田舎の人は村を捨てて城壁のある街に避難していった。
王様はこれは一大事だと思って国じゅうを調べさせたの。そうしたら、クリシュカのいたるところで地下に続く洞窟を見つけたの。魔物はそこから出てきたんだって。それがダンジョン」
クリシュカ、とはおそらくこの国の名前だろう。国1つがまるごと魔物たちに呑み込まれるほどの非常事態だ。当時の混乱は想像を絶するものだったのだろう。
いや、それは今なお続いているのかもしれない。プリムラの言葉には老人から伝え聞いた昔話に対する無味乾燥な他人事感ではなく、当事者としての危機感が込められていた。
「すべてのダンジョンは深いところで1つに繋がっているって考えられてるけど、ダンジョンの全容を解明できた人はまだ誰もいないの。
たくさんの騎士や兵隊さんたちがダンジョンに潜って魔物発生の原因を突きとめようとしたけど、ダンジョンの複雑な地形と魔物たちに阻まれて、どうすることもできなかった。……でも、冒険者だけは違ったの」
心なしかプリムラの口調が弾んでいる。それはきっと、女だてらに冒険者を目指す彼女の矜持がそこにあるからなのだろう。
「大陸西部からやって来た冒険者たちは、持ち前の知恵と勇気と閃きを武器にして、恐ろしい魔物も悪意に満ちた罠も踏み越えて、どんどんダンジョンの調査を進めていったの。本当に凄かったんだって。おじいちゃんも言ってた。『あいつらはまるで、そこらの盛り場に一杯ひっかけに行くかのような面でダンジョンに潜る』って!」
「冒険者……か」
俺がいた世界にも冒険家や探検家と呼ばれる人々は存在していた。魔物こそいなかったが、未知と波乱を求めて前人未到の地へ突き進むその志はきっと同じなのだろう。
歴史を進めるのは、いつだって希望と行動力に満ちた命知らずたちなのだから。俺は冒険者について熱く語るプリムラを眩しいものを見るような目で見ていた。
「こうしてクリシュカの人々は冒険者の可能性を認め、王立ヴィエッタ学園に冒険者を養成するための"冒険学部"が設立される運びとなったのです。
ダンジョンの謎を解き明かし、クリシュカの地を救う未来の冒険者は、あなたかもしれない!……なんてね、えへ」
そうして一息に語り終えた後、プリムラはクルッとターンしてドヤ顔で俺を指差すと、悪戯っぽく舌を出した。
「それにしてもこの洞窟……地盤が脆すぎやしないか?」
プリムラと2人、緩やかな下り坂を進みながら左右の壁に目を走らせる。どこもかしこも落盤の痕跡ばかり。駅前のコンビニ以上の遭遇頻度だった。おかげで対ゴブリン用の石には事欠かなかったが。
「……アキュート、大丈夫かな。戦士学科だから、ゴブリンくらいなら全然大丈夫なんだけど、生き埋めはさすがにね」
アキュートとやらも心配だが生き埋めの危険は俺たち自身の身に降りかかるかもしれないのだ。今も天井の細かい亀裂から微量の砂埃が流れ出ているのだが、洞窟を歩き慣れていない俺はそれが危険信号なのか判断するための知識を持ち合わせていなかった。
「どうか崩れませんように……」
「や、やめてよー!さっきから考えないようにしてたのに、ソウタがそういうこと言うから気になっちゃうじゃない」
2人で身を寄せ合うようにして先へ進んでいく。そんなことをしても落盤の前には無力なのだが、やはり人間という生き物は不安になると人恋しくなるものなのだ。
「あぁ……もう。帰ったらアキュートには何か奢ってもらわないと割に合わな──わわっ!」
大自然の脅威に怯える俺たちを嘲笑うかのように、突き上げるような地響きが発生し、足を竦ませる。プリムラが両手で俺の腕にしがみついてきた。あんなに長い杖を抱えているというのに器用なものだ。
いや、そんなことよりもだ。この振動は落盤の前兆というよりも、むしろ何か大きなものが激突した時のような、そんな感じがした。
そして俺の予想を裏付けるように下り坂の奥から人ならざるものの咆哮が聞こえてくる。
「ねえ、今の声」
「分かってる。急ごう」
この先に魔物が待ち受けているのは間違いなかった。問題はその魔物が誰に対して唸り声をあげているのかということだ。
ようやく尋ね人に追いついたのかもしれない。俺たちは期待と緊張に身を震わせながら坂道を駆け下りていった。




