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探索解禁から10日ほど経ったある日のこと、俺は食堂のカウンター席でセイレンと一緒に昼食を取りながら今後の方針について話し合っていた。
「──というわけで、やはりここは特訓しかないと師範がおっしゃっていました。しましょう、特訓!」
ボルシチに良く似た真っ赤な色のシチューを早々に平らげたセイレンは、空になったスープ皿の前で合掌すると鼻息も荒く俺の方に顔を寄せてきた。
「特訓かぁ……。嫌ではないんだけど、ラオフー先生の特訓だからなぁ……」
話題は俺の弱点克服についてだった。
"悪魔の胃袋"の一件で筋肉痛になった俺をラオフー先生はいたく問題視したらしく、その日から先生は俺の体力増強案を思案し続けていた。
俺に足りないのは持久力だ。それは身体的な意味だけではなく、魔力的な意味も含めてのことだ。
気功術を習得し、瞬間的に攻撃力や防御力を高めることにはだいぶ慣れてきた俺だったが、未だに長時間継続して魔力を高め続けることは苦手なままだった。この辺の伸び悩みは元の世界で魔力という概念に触れてこなかったせいもあるのだろう。
1対1の戦いや短期戦なら今のところ問題はないが、いつどこから攻撃を受けるのか分からないような乱戦や長期戦になれば、魔力の解放状態を持続させる必要が出てくる。そこでスタミナ不足が露呈してしまうのだ。
確かに、俺がセイレンのように気功術を発動しながら動き続けることができていれば筋肉痛なんかにならなかっただろうし、プリムラを背負った状態でもスライムを振り切ることができたのかもしれない。
それに特訓なんてのは格闘家の定番だ。曲がりなりにも格闘学科に入ったのだから、たとえ辛く苦しい鍛錬だろうと覚悟はできていた。
だが、"ラオフー先生の考えた特訓"というのが俺に二の足を踏ませていた。
先生の言う特訓は辛いとか苦しいを更に超えた先にあるということを俺は俺自身の体で思い知っていた。明確に死を覚悟したのは後にも先にもあの時だけだ。
「『この試練を乗り越えた暁には更なる高みに昇ることができる』と自信満々のようでしたから、きっと物凄い特訓を思いつかれたんでしょうね」
「"物凄い特訓"なのは間違いないな。問題は俺が生きて帰れるのかってことなんだけど」
「今回は私も一緒に受けるので大丈夫ですよ。ソウタさんのことは姉弟子としてきっちりお守りいたしますから、ご安心ください!」
両手を胸の前に出してぐっとガッツポーズを取るセイレン。どうやらはじめての弟弟子ができたことでやる気が上がっているようだ。これは止まりそうにない。
これまでは身の安全を確保するためにセイレン経由で稽古を受けていたことが功を奏し、再び死にかけるような事態には遭わなかったが、その安息もついに終わりを告げる時が来たようだ。
俺は燃える瞳でこちらを見つめてくるセイレンにどう返答すべきか逡巡していた。
だが、先に口を開いたのは俺でもセイレンでもなかった。
「何を迷うことがあるんだい?可憐な女性から熱烈なアプローチを受けているんだ。袖にするなんて男らしくないね」
俺の隣、セイレンとは反対側の席に座っていたエルフ族の男が唐突に会話に割り込んできた。男は気障ったらしい仕草で人差し指を掲げると、怪訝そうな顔を向ける俺に話を続ける。
「いいかい?この場面において重要なのは特訓の内容なんかじゃない。"一緒に"という部分なんだ。彼女はキミと会える合法的な口実を探していたに過ぎないんだ。
女性と会話する時は決して言葉通りに受け取ってはいけないよ。そこにはいつも彼女たちのサインが隠されているんだ」
何やら恋愛のハウツー本みたいな講義が始まった。
スポ根のセイレンに限ってそれはないだろうが、男の自信満々な口振りには不思議な説得力があった。単に俺が騙されやすいタイプというだけかもしれないが。
「……そうなのか、セイレン?」
セイレンは俺の視線に気付いて顔を赤くすると、口元に手を当てて目を逸らした。この反応は……!?
「も、申し訳ありません!これまで特訓に付き合ってくださる方が1人もおりませんでしたので、ついはしゃいでしまって。
格闘学科に人がいた頃も、師範直々の特訓だと言うと皆さんなぜか辞退されてしまうんです。あんなに楽しいのに……」
「ああなんだそういうことか」
色気のある事情ではなかった。同じ高みを目指す仲間ができたことにそこまで喜ぶとはいかにもセイレンらしい。
だが、こんないじらしい反応をされてしまうと俺としても断り辛くなってくる。毅然とした態度をとれない、相変わらず意志の弱すぎる俺だった。
俺を追い込んだ男は一仕事終えたとばかりにカウンターに寄り掛かってくせ毛がちの前髪を掻き上げていた。橙色の髪の毛はよく手入れされているのか、まるで女性の髪のように艶やかな光を放っていた。
「見知らぬ方にまで浅ましい煩悩を見透かされてしまうとは、私もまだまだ功夫が足りませんね。どなたか存じ上げませんが、ご慧眼恐れ入りました」
「気にすることはないさ、可憐な花よ。春先の川に流れ込む雪融け水のように透き通ったキミの瞳が映し出す無垢な……、いや、安易すぎるか?ここは何かに喩えて……ちょっと待って……。
……と、とにかくボクにはお見通しなのさ」
「後半雑すぎないか……?」
口説き文句の途中で盛大に詰まった男は、何だか詩的な表現が羅列されている手帳を広げながらどうにか体裁を整えると、誤魔化すようにウインクをした。
……まあ、サイン云々はともかく、この伊達男の言うことにも一理ある。セイレンがここまで熱心に誘ってくれているのだから、俺もいい加減覚悟を決めるべきなのかもしれない。
ラオフー先生の理念は"開眼するか、そのまま死ぬか"の狂った2択だが、無事に生き延びさえすれば得るものはちゃんとあるのだ。
いざとなればセイレンが助けてくれると言っていることだし、前回のようなことにはならないだろう、たぶん。
「受けるよ、特訓。どのみち強くならないと目的は果たせそうにないしな」
ダンジョンの謎を解くためにはクリシュカじゅうのダンジョンに行く必要がある。そしてまだ誰も足を踏み入れたことのない下層にも。そのためには力が必要だ。
俺の承諾を取り付けたセイレンは嬉しそうに顔をほころばせると更に顔を近付けてきた。近い近い近い。
「ありがとうございます!それでは今週末の予定を空けておいてくださいね!」
「今週末?すぐに始めないのか?」
「はい。何でも、今回は現地に泊まり込んで休日いっぱい使って特訓を行いたいんだとか」
「頑張りましょうね!」と言いながら鼻の頭が擦れ合うほどの至近距離でもう1度ニッコリと笑いかけると、セイレンは学科棟に向かって全速力で駆け出していった。
彼女が勢い良く背を向けた時に黒い髪が俺の頬をはたいて、柑橘系の香水のいい匂いがした。
あのラオフー先生がここまで気合いを入れているのだからきっとロクな内容ではないのだろうなと思ったが、既に賽は投げられたのだ。文句は言うまい。
それに、セイレンがあそこまで喜んでくれたのだから俺としても悪い気はしなかった。
「フフ、丸く収まったようで何よりだよ。今日もまた女性の笑顔を守ってしまった……」
廊下の向こうに消えていくセイレンを見送りながら、先ほどの男がしみじみと頷いていた。
真っ白なカッターシャツに紺のスラックスという出で立ちは学ランを脱いだ時の俺とほとんど同じ構成だが、胸元を大きく見せるように開けられたボタンとわざわざ真っ直ぐに立てられている襟が男の気取った雰囲気をさらに助長していた。
会話こそしたことがなかったが、男の顔には見覚えがあった。
「自己紹介が遅れたね。ボクはグロム。もう知ってるかもしれないけどキミと同じクラスだよ」
グロムは歯を見せて笑い掛けると握手を求めてきた。彼の気安さに若干戸惑いつつもそれに応える。
「俺はソウタだ。……って、今更名乗り合うのもおかしな感じがするな」
「仕方ないさ。みんな学科やクエストで忙しいから、最初に仲良くなった面子以外とはなかなか交流の輪が広がらないんだ。
ボクとしてはもう少し早くキミとお近付きになりたかったんだけどね」
「俺と?」
中途入学という経緯から一時は目立つ存在だったとはいえ、今ではどこにでもいるような一生徒だ。グロムの興味を引くようなものが俺にあるとは思えない。
まさか男も守備範囲内なのだろうかと一瞬身構えたが、幸いそういうことではなかったようだ。
「ダンジョン実習の時からずっと気になっていたんだ。武器も鎧も持たずに拳1つで魔物に肉迫する謎の新入生……。正直シビれたよ」
「確かに1人だけ素手だから目を引くんだろうけど、格闘学科の生徒なら全員できることだよ」
「やっぱり男なら前衛だよね。目立つしカッコいいし、モテるし」
俺の周りには自分が喋りたいことばかりゴリ押しする人が多すぎる。ちゃんと人の話を聞いてから会話するという基本的な能力が欠けているのではないだろうか?
まるで話を聞かない奴リストに新しく名を連ねたグロムは俺の冷ややかな視線を軽く受け流すと話題を変えた。
「と、こ、ろ、で、さっきの話だとソウタ君は週末まで暇してるんだよね?だったらここは1つ、お互いの友好を深めるためにクエストといかないか?」
「そっちが本題か。他の席も空いてたのにわざわざ隣に座ってたから変だとは思ってた」
「正解、聡いね。……実は昨日とあるクエストを受けたんだけど、思ってた以上に厄介でね。真面目な話かなり手を焼いてる」
グロムは一転して真剣な口調になると、懐から筒状に丸められた薄茶色の紙を取り出してカウンターの上に広げた。冒険者ギルドが発行したクエスト依頼書だ。
具体的な依頼内容を記した欄には簡素に「魔物の群れ討伐(詳細不明)」とだけ書かれていた。




