2-9
「グルルルルルル……」
橙色に燃える毛皮を持った猛獣たちは、土色の地面にわずかばかり生えていた苔やキノコをこんがりと炭色の燃えカスに変えながら生徒たちの前に姿を現した。
3匹の魔犬は2人ずつ固まって自分たちを待ち構える生徒たちを威嚇しながらゆっくりと距離を縮めていく。
彼らの知能でも自分たちが待ち構えられていたことは理解できるのだろう。
睨み合いを続けながら、互いに初撃のタイミングを窺う2つの勢力。その膠着を破ったのは俺たちだった。
「どりゃあああっ!」
十字路の角から勢いよく飛び出した俺は最も近くにいたケルベロスに向かって全力で長剣を振り下ろした。
回避されれば大きな隙を作ることになるのは俺の方だったが、戦闘慣れしていない俺が半端な力で剣を振ったところでケルベロスを驚かせるという目的を果たせるはずもない。後のことは考えずに無心で剣を振った。
「ギャウッ!」
「よし、当たった!」
幸運にも俺の攻撃はケルベロスの尻をザックリと切り裂いて、動揺したケルベロスが騎手に尻を叩かれた競争馬のように生徒たちの囲みへと飛び込んでいった。
隣に目をやるとリンは既に1匹の後ろ足を切断して行動不能に陥らせており、振り向いた2匹目の鼻めがけてポーチから取り出した布袋(中身はおそらく小麦粉か胡椒だろう)を投げつけていた。
粉末に目と鼻をやられたそいつもまた、リンから逃げるようにして俺たちの読み通りの行動に移った。
「何が騎士様だよ。1人でも余裕なんじゃないか……」
俺はぼやきながら足をやられたケルベロスにトドメを刺すと、残った2匹の様子を遠くから窺う。
2匹のケルベロスは完全に分断され、通路を所狭しと走り回りながら生徒たちの断続的な追撃を受けている。
どこに逃げても体勢を立て直す余裕すら与えられずに前後左右から攻撃されてケルベロスたちは完全に恐慌状態だった。もう俺とリンが加勢に回るまでもなく勝敗は明らかだ。
……俺は気を抜いていた。だから、そいつの存在にギリギリまで気付かなかった。
「グルウ……ウウウウ……」
「……なあ、3匹って言ってたよな?」
どうしてダンジョンの奥から、俺の後ろから唸り声が聞こえるんだ?
弾かれるように振り返って長剣を構え直す。既に俺の目と鼻の先数メートルのところまでそいつは近付いていた。
──親玉を含めて5匹だ。そんで1匹はさっき俺がぶった斬ってやったから──
……手負いのケルベロス。
背中の切り傷から流れる大量の血が、表皮に纏っている炎によって蒸発して異臭を漂わせている。
「ミスすることを前提に動いた方がいい」──まったくその通りだ。
ナギアの探知魔術では親玉らしきケルベロスは大きな光で表現されていた。そして手下のケルベロスは小さく。なら、今にも死にそうな瀕死のケルベロスは?
「分かってるよ。自業自得だからな。これも実習の醍醐味だ」
獣なんて動物園のライオンか近所の猫ぐらいしか見たことがない都会育ちの俺にはよく分からないが、手負いの獣ほど恐ろしいものはいないらしい。
怪我をしているから動きも大したことはないだろうなんて絶対に考えない。2連続で油断はしない。
俺は覚悟を決めて剣の構えを変えた。剣先を正面に向けて柄を胸元で握る。斬るのではなく突き出すことに特化した構えでケルベロスを牽制する。
奴が飛びかかってくるのであれば剣先の方向をずらすだけで串刺しにできる。距離を詰めてくるのなら射程に入った時点で突き刺せばいい。
ケルベロスもまた俺の狙いを感じ取ったのか、足を止めて思案するように低く喉を鳴らした。
次の一手を欠いたままじりじりと時間が過ぎていく。まるでケルベロスの生み出す熱によってダンジョンの気温が少しずつ上昇していくような錯覚を感じる。俺の額は汗びっしょりだった。
だが、このままでは埒が明かない。そろそろ"仕込み"も済んだことだろう。俺は勝負を決めることにした。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
俺は雄叫びをあげながら全身の筋肉を隆起させる。俺の気迫に身構えたケルベロスが前足に力を込めたその時だった。
「──はい、おしまい」
ケルベロスの首があっけなく落ちて、その体を包んでいた生命の炎は消えていった。
「お疲れさま。カッコ良かったわよ。思わずときめいちゃいそうだった」
「どこがだよ……大恥かいた」
ケルベロスを即死させたリンが短刀をクルクルと回してから腰の後ろで固定している鞘に納め、こちらに駆け寄ってきた。
つまるところ、俺1人でケルベロスを倒すことなんて不可能なのだ。だから俺はパートナーに頼ることにした。
手負いの4匹目が登場した直後にリンの姿は消えていた。彼女が迂回して背後に現れるまでの時間を稼ぐのが俺の役目だったのだ。
それっぽい仕草でケルベロスの注意を引き付けていればいいだけの簡単なお仕事。これが今の騎士様にできる精一杯だ。
「ねえ、最後の叫び声は何だったの?」
「深く追求しないでくれよ……あれは合図のつもりだったんだよ」
「残念ね。もう少し待っていれば必殺技が見られるのかと思ってたのに」
リンはやたら上機嫌な様子で恥ずかしさに顔を背ける俺を追い回す。
通路の向こうでは他の生徒たちが1匹のケルベロスを仕留め、もう1匹もエルフの女生徒とプリムラのペアによって袋小路に追い詰められていた。
「『水よ。神々の涙よ。遍く堕落を洗い流せ』っ!」
プリムラの杖から迸る高圧の水流がケルベロスを押し流して壁に叩きつける。放水が止まった頃には、あれだけ勢いよく燃えていたケルベロスの炎はすっかり消えていた。
濡れ鼠のようになったケルベロスは「キャウン」と子犬みたいな悲鳴をあげながら全速力で生徒たちの脇を抜けて逃げていった。
「あ……逃げちゃった。炎が消えると死ぬって噂はガセだったんだね。でもちょっと可哀想かも」
「どのみち人を襲うんだから可哀想でもないと思うんだが……」
戦闘が完全に終了したことを確認すると俺たちは合流して全員を点呼し、誰ひとり欠けることなく勝利できたことを喜び合った。
もう付近にはケルベロスもゴブリンもいない。これで本当に今日のダンジョン実習は終了したのだ。
ダンジョンの十字路に腰を下ろしてしばらくの間俺、リン、プリムラの3人で集まって休憩していると、負傷者の治療を終えたナギアが俺に声をかけてきた。
「みんなお疲れさま。アクシデントはあったけど概ね計画通りだったね。僕の星魔術もまだまだってことかな……」
「そんなことないわよ。リラ先生もきっと褒めてくれるわ」
「どうしてそこで先生の名前が出てくるのかさっぱり分からないな。
……まあいいや、それじゃあ先生たちと合流しに行こうか。あっちも片付いたようだしね」
ナギアの手のひらに浮かぶ魔法の地図には、もう大きな光点は映っていなかった。
俺たちは1匹の魔物にも遭遇することなく下層に降りた。どうやら一連の騒ぎで奥の方にいた魔物たちはどこかに逃げてしまったようだ。
入り口付近とは打って変わって単純な構造になっていた洞窟の中央にある開けた空間に、俺たちが倒したやつより何倍も大きなケルベロスの骸が転がっていた。
3つ首のうち2つは綺麗な切断面を見せて地面に転がっており、残りの1つに至っては氷漬けになっていた。
「アキュート!」
「ん……おお。ソウタか。まあなんだ、お疲れさん」
「…………?」
俺たちは教師たちと少し離れた場所にいるアキュートに声をかけた。
なんだかアキュートにいつもの覇気がない。彼はポケットに手を入れて手持ち無沙汰に周囲をうろうろしていた。
「何か元気ないな、アキュート。怪我でもしたのか?」
「いや、そういうわけじゃないっつーか、俺の出る幕じゃなかったっつーか……あれだよ」
遠巻きに見つめるアキュートはふてくされたようにケルベロスの膝元をあごで指す。そこにはタルカス先生と長い金髪の少女が話をしている最中だった。
「気負いすぎな面もあるが、筋は良い。よくやった」
「いえ、まだまだ未熟な身だということは自覚しています。ですから、これからもご指導のほどよろしくお願いします」
少女はタルカス先生に一礼をした後、何かの文様が刻まれた片手剣を鞘に納めた。
2人の傍には氷漬けになったケルベロスの頭が鎮座していた。話の流れから考えるに、あれは彼女がやったのだろう。
「アストラン家のジャンヌだね。たぶん、僕らのクラスで1番強いのは彼女だよ」
「何てことないみたいな面しやがって。嫌味な女だぜ」
「他人の性格をとやかく言えるほど君が品行方正だったとは知らなかったよ。その調子で頑張ってくれ」
ナギアとアキュートの罵詈雑言2重奏を聞き流しながら、俺はジャンヌという少女の姿を目で追っていた。
あんなに大きな魔物と戦った直後だというのに、彼女はいたって自然体のまま静かに佇んでいた。
(同じ新入生なのに、ここまで違うのか……)
俺は焦っていた。俺が瀕死の雑魚相手に手間取っている裏ではジャンヌやアキュートのような同期の生徒たちが教師たちと肩を並べて戦っているのだ。このままでは差は開くばかりだ。
もう一刻の猶予もない。俺は、俺という冒険者の"芯"になり得る力を探す必要があった。




