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2026年年末。十七年と少し働いた会社を辞めると決めた日

 二〇二六年十二月三十一日。

 四十二歳になったメンヘラオジサンの博之は、暖房の効きが悪い六畳の部屋で、

 会社から持ち帰った書類を眺めていた。

 入社してから、十七年と少し。

 長かった。

 けれど、振り返ってみても、働いていてよかったと思えることは、あまり浮かばなかった。

 十一回の休職。

 精神障害者保健福祉手帳。

 復職しても、しばらくすれば体調を崩し、また休む。そのたびに所属が変わり、

 仕事が減り、期待されることもなくなっていった。

 それでも、何もしなかったわけではない。

 簿記、ファイナンシャルプランナー、証券、保険、衛生管理、企業年金。

 数えれば、それなりの数の資格を取った。

 会社で役に立てる人間になりたかった。

 休職ばかりする自分でも、知識を身につければ認めてもらえるのではないか。

 資格を積み上げれば、いつか普通の社員と同じ場所に戻れるのではないか。

 そう思って勉強を続けた。

 だが、現実は違った。

 給与は新卒社員より低くなり、重要な仕事からは外され、週に何日も出勤することすら難しかった。

 会社から見れば、扱いに困る社員だったのだろう。

 体調への配慮が必要で、仕事を任せても、また休むかもしれない。

 博之自身も、それは分かっていた。

 だから、会社だけを責めるつもりはなかった。

 ただ、この場所では、もう活躍できない。

 その事実だけは、何年かけても変わらなかった。

 会社の外に活路を求め、SNSにも飛び込んだ。

 動画を何千本と投稿し、ライブ配信を続け、小説も書いた。

 普通の会社員としては評価されなくても、世の中のどこかには、

 自分の話を面白いと言ってくれる人がいるかもしれない。

 そう信じて続けた。

 実際、少しずつ数字は積み上がった。

 見てくれる人も、読んでくれる人も現れた。

 だが、会社員である以上、発信できる内容には制約があった。

 余計なことを言えば、会社に迷惑がかかる。

 収益化を広げようとしても、副業やコンプライアンスの壁が立ちはだかる。

 会社では活躍できず、会社の外で活動しようとしても制限される。

 どちらにも振り切れないまま、時間だけが過ぎていった。

 そんな博之が、2026年9月半ばから実験のつもりで始めたのが、土日だけのカレー居酒屋だった。

 古い雑居ビルの小さな店。

 昼はカレーを出し、夜は酒とカレーを用意する。

 最初は客があまり来ない日もあった。

 仕込みをしながら、俺は何をしているんだろうと思ったこともある。

 それでも、動画を見ていた人が来てくれた。

 小説を読んでいた人も来た。

 少しずつ常連が増え、土日の売上だけで、店の家賃と材料費を払えるようになった。

 大成功とは言えない。

 会社の給与には、まだ遠く及ばない。

 それでも、自分で考え、自分で動き、自分の名前で稼いだ金だった。

 会社では何年働いても得られなかった手応えが、その小さな店にはあった。

 十二月最後の営業を終えた夜。

 カウンターを拭きながら、博之は決めた。

「もう、ええか」

 十七年と少し働いた。

 何度倒れても戻った。

 できる範囲では、十分頑張った。

 これ以上、大企業の中で評価されることに人生を使わなくてもいい。

 土日の店を軌道に乗せ、平日も仕込みや発信に使う。

 動画も、小説も、店の経営も、これからは誰かの許可を気にせず、自分の責任でやる。

 失敗するかもしれない。

 店が潰れるかもしれない。

 収入が減り、会社を辞めたことを後悔する日も来るだろう。

 それでも、何もできないまま否定され続ける人生よりは、自分で失敗する人生の方がよかった。

 非モテで、メンタルが弱く、社会にうまく適応できなかった四十二歳のおじさん。

 そんな人間でも、小さな店を開き、文章を書き、動画を配信しながら、生きていくことはできる。

 その姿を、これからVlogのように残していこうと思った。

 格好のいい成功物語ではない。

 売上が少ない日も、体調を崩した日も、客に怒られた日も、そのまま映す。

 社会的不適合者と呼ばれたおじさんが、自分に合う働き方を作っていく過程を見せる。

 それが、同じように行き場を失っている誰かにとって、少しぐらい役に立つかもしれない。

 博之はスマートフォンを机に立て、録画ボタンを押した。

「どうも、メンヘラオジサンです」

 一度、息を吸う。

「今日は、皆さんに報告があります。私、十七年と少し働いた会社を、辞めることに決めました」

 声は震えていた。

 だが、不思議と怖くはなかった。

 窓の外では、年越しを待つ街の明かりが静かに光っていた。

 二〇二六年十二月三十一日。

 大企業で否定され続けたメンヘラオジサンが、自分の人生を自分で経営すると決めた日だった。

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