第一章 フリーランス冒険者の流儀と覚悟
粗大ゴミの最期と、コタツ部屋の女神様
只野英太、20歳。
職業、実家の粗大ゴミ。
工業高校をどうにか卒業し、地元の自動車工場に就職したものの、あまりの激務と単調なライン作業に絶望し、わずか3日でバックレた。
それ以来、俺は20歳になる今日まで、実家の自室――もといコタツ部屋に引きこもって生きてきた。
親からの視線はとうの昔に諦めと軽蔑に変わり、優秀な兄たちからは「我が家の恥」「生きた産業廃棄物」と陰口を叩かれている。俺自身、それに反論する気すら起きなかった。
俺は気が小さい。怒られるのも、争うのも、痛いのも大嫌いだ。
面倒なことからは全部逃げて、コタツの中でスマホをポチポチしながら、美味いラーメンでも食って静かに生きていきたい。ただそれだけを願う、徹底した事勿れ主義者だった。
その日も、俺は深夜のコンビニへと足を運んでいた。
プレイしているソーシャルゲームの期間限定ガチャを回すため、WebMoneyを買いに行く途中だった。
日付も変わり、街灯だけが等間隔に並ぶ薄暗い住宅街。
そこで、俺のしょうもない人生は、唐突に終わりを迎えることになった。
「いやああああっ! 誰か、誰か助けて……っ!」
悲鳴だった。
ビクッと肩を揺らし、電柱の陰に身を隠す。そっと路地の奥を覗き込むと、街灯の光の下で、見知らぬ若い女性が地面に尻餅をついていた。
その前に立っているのは、キャップを深く被った男。男の右手には、鈍く光る刃渡りの長い包丁が握られている。
「どうして分かってくれないんだよぉ……俺たち、両想いだって言ったじゃないか……!」
男の目は完全にイッていた。典型的なストーカーだ。
女性は恐怖で腰が抜け、後ずさりすることしかできていない。
俺の心臓は、これまでにないほどの早鐘を打っていた。
足はガクガクと震え、奥歯がカチカチと鳴る。
(逃げろ。関わるな。警察を呼べばいい。俺みたいな引きこもりが飛び出したところで、どうにかなる相手じゃない)
本能が、生存本能が「逃げろ」と叫んでいる。
これまでそうしてきたように、目を背けて、耳を塞いで、バックレてしまえばいい。そうすれば俺は死なない。コタツに帰って、ガチャを回せる。
男が、包丁を振り上げた。
警察なんて間に合わない。あと数秒で、あの女性は刺し殺される。
(――本当に、それでいいのか?)
逃げ続けてきた人生だった。
学校のトラブルからも、就職先のライン作業からも、家族の冷たい視線からも。
だけど、もし今ここで、見ず知らずとはいえ助けを求めている人間を見捨てて逃げたら。
(俺は、ただの引きこもりどころじゃない。本当の、正真正銘の『ゴミ』になっちまう)
そんなの、絶対に御免だ。
理不尽に誰かが奪われるのを、指をくわえて見ているだけの人生なんて、クソ食らえだ。
――その瞬間。
ガチャリ、と。俺の脳内で、何かのスイッチが切り替わる音がした。
先程まであれほどやかましかった心臓の音がピタリと静まり、極限の恐怖が、氷のような冷たさと凪いだ感情に塗り替えられていく。
「……あーあ、仕方ねえ」
精神的な迷いは、完全に消え去っていた。
残ったのは、どうしようもないほどの冷静さと、少しのヤケクソだ。
俺は地面を蹴った。
一直線に男の死角から飛び出し、その腰のあたりめがけて、全体重を乗せたタックルをぶちかました。
「うおおおおおっ!」
「なっ、なんだてめ――ぐふっ!」
不意を突かれた男は無様に体勢を崩し、俺と一緒にアスファルトに転がる。
女性に「逃げろ!」と叫ぼうとした、その時だった。
「……あ」
腹部に、焼けるような熱さと、強烈な痛みが走った。
見下ろすと、もみ合った拍子に、男の持っていた包丁が俺の腹に深々と突き刺さっていた。
ドクドクと、嫌な音を立てて自分の血がアスファルトに広がっていく。
「ひっ……! ち、違う、俺は悪くない……!」
男はパニックを起こし、包丁から手を離して暗闇へと逃げ去っていった。
俺はその場に仰向けに倒れ込む。
「あ、ああ……しっかりしてください! 今、救急車を……っ!」
女性が涙ながらに俺の傷口を押さえてくれている。
彼女は無傷だ。それなら、まあ、悪くない。
(痛えな……。結局、俺の人生、最後までどんくさかったな……)
薄れゆく意識の中、サイレンの音を遠くに聞きながら、俺のしょうもない20年間の人生は幕を閉じた。
* * *
「――月人くぅぅぅぅん! ああっ、今日のライブも最高尊いぃぃっ!」
……うるさい。
誰だよ、人の家で騒いでる奴は。
俺はゆっくりと目を開けた。
そこは、見慣れた俺の四畳半……ではなかった。
謎の空間だ。雲の上のような真っ白い床の真ん中に、なぜかポツンと『コタツ』が置かれている。
そして俺は、そのコタツに入って寝ていた。
目の前には、空中に浮かぶ巨大なモニター(ゴッドチューブというロゴが見える)があり、そこで地球のイケメンアイドルが歌って踊っている。
そのモニターに張り付くようにして、一人の女が黄色い歓声を上げていた。
絶世の美女、と言っていい顔立ちだ。長く美しい髪、神秘的なオーラ。
だが、その服装がすべてを台無しにしていた。
ダサいジャージの上下に、足元は健康サンダル。手には缶ビールを持ち、コタツの上には『ピアニッシモ・メンソール』の箱と吸殻が山盛りの灰皿が置かれている。
完全に、定時帰りでオタ活を満喫している干物女だった。
「あの、すいません。ここは……天国? それとも地獄ですか?」
「ん? あ、起きた?」
女はアイドルへの熱視線をようやく外し、缶ビールをグビッと飲み干してから俺を見た。
「どっちでもないわよ。ここは天界。私は世界神(第3種惑星神格公務員)のルチアナ。永遠の17歳よ。よろしく」
「……17歳がビール飲んでタバコ吸っていいんすか」
「神だからセーフ。細かいこと気にするとハゲるわよ」
ルチアナと名乗った女神は、コタツに潜り込んでピアニッシモに火をつけ、ふぅ、と紫煙を吐き出した。
「只野英太くん。君、死んだわよ。腹をバッサリいかれてね。ま、君も分かってると思うけど」
「……ですよね」
自分の腹を撫でるが、傷はない。痛みもない。
死んだ実感は湧かないが、あの包丁の刺さり方なら助からないだろうなと、不思議と冷静に受け入れられた。
「で? 俺はどうなるんですか? 閻魔様のところで裁きとか?」
「んーん。君、私の担当の『アナスタシア世界』に転生させてあげようと思って」
女神はニヤリと笑い、俺の顔を覗き込んだ。
「私さ、仕事柄ゴッドチューブでいろんな人間の人生のPV(視聴率)を見てるんだけどさ。君の人生、本当に見どころのない底辺だったわね。3日で仕事バックレるし、親の金でガチャ回すし」
「……すいません。自覚はあります」
「でもね」
ルチアナは、少しだけ真剣な瞳になって、俺の胸ぐらを軽く小突いた。
「あんた、ずーーーっとゴミだった癖に、最後の最後に最高に光ったじゃん。足ガクガク震わせて泣きそうになってたのに、覚悟決めた瞬間のあの迷いのなさ。……ああいう泥臭い奴、私嫌いじゃないよ」
女神の言葉に、俺は少しだけ目を丸くした。
誰かに認められるなんて、いつ以来だろうか。
「だから特別サービス! 剣と魔法と闘気の世界、アナスタシアに特別枠で転生させてあげる。貴族の家に生まれて、チートな『ユニークスキル』もプレゼント!」
「えっ、マジですか? じゃあ俺、今度こそ働かずにスローライフを……」
「はいはい、向こうでもせいぜい私の暇つぶし(PV稼ぎ)に貢献しなさいよー」
俺が言い終わる前に、ルチアナが俺の額にドンッと指を突き立てた。
《ピロン♪ ユニークスキル【鬼ごっこ】を授与されました》
脳内に無機質なアナウンスが響く。
「え? 鬼ごっこ? なんすかその小学生みたいな名前のスキ……」
「じゃあね、エイト君! あっちでもたくましく生きるのよー!」
「ちょっ、待っ――!」
ルチアナが笑顔で手を振った瞬間、俺の座っていたコタツの下の床がパカッと開き、俺は真っ逆さまに光の中へと落ちていった。
* * *
「おぎゃあ! おぎゃあ!(訳:なんだこのスキルふざけんな!)」
次に目を覚ました時、俺の視界はひどく低かった。
ふかふかのベビーベッド。豪華な天蓋。
自分の手を見ると、プニプニの赤ん坊の手になっていた。
(マジで転生しちまった……)
俺の新しい名前は、エイト・ミリシア。
ルナミス帝国の名門、ミリシア伯爵家の三男坊として新しい生を受けたらしい。
貴族の三男坊。
家督を継ぐ可能性はゼロに等しく、かといって放任されるわけでもない、微妙な立ち位置。
しかも、与えられたスキルは【鬼ごっこ】とかいう、どう考えてもハズレの気配しかしない代物。
(……前途多難すぎるだろ)
ベビーベッドの中でため息(のつもりだが、周囲にはあくびに見えただろう)をつきながら、俺は心に誓った。
今度こそ、絶対に波風立てずに、目立たず、バックレながら生きてやる。
安全第一。怪我は嫌だ。
最強のスローライフを手に入れるための、俺の2度目の人生(フリーランスへの道)が、こうして幕を開けたのだった。
読んでいただきありがとうございます。
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