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剣を抜かなかった理由

焚き火の火が揺れる。



誰も喋らない。



名前のない少年は未だに動けずにいた。



黒衣の女は剣を半寸だけ抜いた姿勢のまま。



微動だにしない。



「面白いわね」



女が呟く。



視線は少年へ向いている。



「普通なら死んでるのに」



その言葉に。



柳青玄の瞳が細くなる。



死んでいる。



確かに。



今の剣意。



並の武者なら心胆が砕ける。



腰を抜かす。



酷い者なら失禁する。



それほどの圧だった。



だが。



少年は耐えている。



震えながら。



歯を食いしばりながら。



立っている。



「やめろ」



柳青玄が口を開く。



女の視線が向く。



「なぜ?」



「死ぬぞ」



女が笑う。



「なら弱いだけじゃない」



その瞬間。



柳青玄の足が動いた。



一歩。



本当に一歩だけ。



だが。



女の表情が変わる。



初めて。



本当に。



驚いた顔になる。



見えた。



柳青玄の周囲に。



ほんの僅かだが。



剣勢が生まれた。



未完成。



未熟。



だが。



本物。



「あなた」



女の声が変わる。



柳青玄は答えない。



ただ。



少年の前へ立つ。



その瞬間。



張り詰めていた空気が消えた。



名前のない少年が膝をつく。



肩で息をしている。



まるで水の中から這い上がったように。



「大丈夫か」



柳青玄が聞く。



少年は頷く。



だが。



視線だけは黒衣の女から離れない。



憎しみ。



恐怖。



そして。



懐かしさ。



理解できない感情が混ざっていた。



その時。



高文秀が静かに言う。



「知り合いですか」



全員の視線が集まる。



少年。



女。



二人とも沈黙する。



だが。



それが答えだった。



知っている。



少なくとも。



どこかで会っている。



柳青玄は違和感を覚える。



前世。



この女を見た記憶がない。



だが。



少年は確実に反応している。



何かがある。



その時だった。



黒衣の女の後ろ。



本を持った青年が口を開く。



「姉上」



空気が止まる。



姉上。



つまり。



兄妹か。



女は面倒そうに振り返る。



「何」



青年は本を閉じる。



そして。



初めて柳青玄を見る。



その目。



武者の目ではない。



学者の目でもない。



観察者。



そんな目だった。



「帰りましょう」



「これ以上関わると面倒です」



女が鼻を鳴らす。



「面倒なのは元からでしょ」



だが。



帰る気らしい。



剣を鞘へ戻す。



チャキ。



その音と共に。



谷のような圧迫感が消えた。



岳飛狼が息を吐く。



熊鉄山も酒を飲む。



蘇月は無意識に指を握りしめていた。



強い。



誰もがそう思った。



そして。



女は去り際。



ふと振り返る。



視線は柳青玄へ。



「あなた」



「どこかで会った?」



焚き火が揺れる。



柳青玄は答えない。



答えられない。



なぜなら。



それは自分が聞きたいことだった。



女は少しだけ首を傾げる。



そして笑う。



「変な人」



三人は森へ消えていく。



気配も。



足音も。



何も残さず。



長い沈黙。



やがて。



岳飛狼が呟く。



「何者だあいつら」



誰も答えない。



だが。



柳青玄だけは考えていた。



黒衣の女。



名前のない少年。



白衣の仮面。



天二会。



天機老人。



前世にはなかった駒が多すぎる。



その時。



遠くの森で。



一羽の鳥が飛び立った。



それを見て。



高文秀の目が僅かに細くなる。



誰も気付かなかった。



ただ。



帳簿係だけが知っていた。



あの鳥が。



伝書鳥であることを。



そして。



誰かが今この瞬間。



鎮魔隊の情報を受け取ったことを。

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