第21話 領主館にて
夜明け前。領主館の執務室には、まだ燭台の炎が揺れていた。
卓の上には二つの文が広がっている。ひとつは布告案、もうひとつは黒紙。
布告には暫定の言葉が並び、黒紙には数字と事実だけが記され、最後に一行。
記録は折られました。ゆえに、名で折り返します。
領主は長い指でその行をなぞり、静かに息を吐いた。
「……記録が折れる、か。言い得て妙だ」
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やがて、扉が叩かれた。
「書き付け役、見習い、参上」
従者の声とともに二人が入る。
見習いは両腕を失ったまま、包帯に滲む血を垂らし、膝を折って頭を下げた。
肩から先は空っぽの袖が揺れ、その布は夜露と汗で重く沈んでいる。
呼吸は荒く、唇は青ざめ、声を出すだけで痛みが滲んでいた。
隣の書き付け役は、板と筆を抱えたまま姿勢を正し、視線は一度も隣に向けない。
彼にとって見習いは同僚でも仲間でもない。ただ「記録に付す対象」でしかなかった。
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領主の眼が二人を射抜く。
その視線は炎より熱く、氷より冷たい。
「槍持ちは戦死。……事実に相違はないか」
書き付け役は板を掲げ、声を乱さずに答えた。
「相違ございません。首級も遺失しました。証は欠落」
領主は目を細め、次に見習いへと視線を落とした。
その圧に耐えられず、見習いの肩は震えた。
「……あれは、人の力では……」
声は掠れ、言葉は続かなかった。
「黙れ」
ただ一語で、室内の空気が凍る。
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領主は椅子から立ち上がった。
その動作だけで、床板がきしみ、二人の背筋が硬直する。
近くに控える老臣すら息を呑んだ。
第六階位。
その名が示すのは、凡俗の兵とは隔絶した戦闘力。
彼が剣を抜けば、数百の兵を動かすのと同義だった。
領主は壁に掛けられた古剣をゆっくりと外す。
鞘から刃を半ば抜いた瞬間、鉄の匂いとともに、研ぎ澄まされた圧が室内に広がった。
見習いは思わず呻き、書き付け役の筆先さえ小さく震えた。
「兵など要らぬ」
領主の声は低く、しかし絶対の響きを帯びていた。
「秩序を乱すものは、我が手で断つ。それが領主である私の務めだ」
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見習いは、血に濡れた唇を震わせてなお訴えた。
「領主様……! あれは討てぬ、記せぬ、と……!」
だが領主は振り返らず、背だけを向けたまま言い放つ。
「討てぬなら記せ。記せぬなら斬れ。——それだけだ」
重い足音が扉へ向かう。
老臣は追いすがろうとしたが、その気迫に押し返され、一歩も動けなかった。
書き付け役は板に「断」の一字を刻む。
見習いは包帯を噛み、血の匂いにむせながら嗚咽を漏らす。
——物語は領主のものとなる。
それを記す者も、止める者も、もう存在しない。




