第29話 半年の猶予
1 勇者の帰還
大国ポルトスの王城。
玉座の間に、足を引きずるように勇者が現れた。
いつも凛々しい顔は蒼白で、剣を握る手はかすかに震えていた。
「戻ったか、勇者よ」
王が鋭い目を向ける。
「ハイデニアは、どうだった」
勇者はしばし沈黙した。
脳裏に蘇るのは、あの夜の幻影。虫の群れ、獣の突撃、巨大魚の口、影に飲み込まれる自分――。思い出すだけで心臓が跳ね上がり、息が詰まる。
「……危険です」
「何がだ」
勇者は歯を食いしばった。
「言えません。ただ、放置すれば取り返しがつかない」
玉座の間に重苦しい沈黙が落ちる。
将軍たちはざわめき、王は深く頷いた。
「勇者ですら恐れる国……ならば使節団を送る。半月後だ」
その場で書簡がしたためられ、各国に伝令が放たれた。
「ポルトスが動く。他の国は手を出すな」
大陸の空気が一気に張り詰めた。
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2 王太子の告知
王都ハイデニアの広場。
民がぎっしりと詰めかけ、空気が熱を帯びていた。
壇に立つ王太子アウグスベルグの隣には、婚約者リディア。
彼女が《拡声》の魔法を発動し、王太子の声を国中へ届ける。
「聞け! 半月後、超大国ポルトスが使節団を送ってくる!」
民衆が一斉にざわめく。
「ポルトス……!」「どうなるんだ……」
恐怖の声に混じり、怒りの声も飛んだ。
「なら戦うしかねぇ!」「やってやろうじゃないか!」
だが王太子は首を振った。
「駄目だ! 今では勝てない。受ければ蹂躙されるだけだ」
その言葉に場が静まり返る。
宰相ユリウスが進み出て、問い詰める。
「では、どうなさるのですか。断れば戦、受けても戦になります」
王太子は笑みを浮かべた。
「来られなくすればいい。――半年間だ!」
人々がざわつき、そして熱狂へ変わる。
「半年!」「その間に強くなるんだ!」
民は肩を叩き合い、涙ぐむ者すらいた。
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3 それぞれの心
演説を終え、城へ戻った王太子を、仲間たちが迎えた。
スラウザーは拳を握りしめ、笑った。
「半年あれば十分だ。鍛えて、鍛えて、俺たちはもっと強くなる」
だが心の奥では、あの夜、勇者に殿下が刃を突きつけられた瞬間を思い出していた。二度と繰り返させない――その決意が、彼の全身を燃やしていた。
ゼノヴァンは屋根の上から王都を眺め、低く唸った。
「友よ。俺も力を尽くす。炎も、牙も、この身すべてをこの国に捧げよう」
かつて裏切られてきた彼にとって、守る対象を得たのは初めてだった。胸の奥に熱いものが灯っていた。
魔王ラウドは窓辺に立ち、呟いた。
「半年……主は本気だな」
戦いを好む彼ですら、今は胸を打たれていた。魔族の兵三千はすでに動き始めている。対等に扱われたからこそ、彼も本気で応える覚悟だった。
リディアは広間の片隅で手を胸に当てていた。
(殿下は怖かったはず。それでも笑ってみせた……。私も一緒に笑おう。この人を支えると決めたのだから)
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4 ユリウスの不安
深夜。宰相室でユリウスは机に突っ伏していた。
「……直感で半年か……」
胃が痛む。けれど彼は知っていた。
王太子の直感は、これまで一度も外れたことがない。
そして民がそれを信じ、力に変えてしまうことも。
机の上の地図には、見張りを配置する予定がびっしりと書き込まれていた。
「……備えは必要だ。殿下の言葉が奇跡に変わるなら、その裏で俺は現実を支える」
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5 勇者の恐怖
一方その頃、ポルトスの勇者は自室で額を押さえていた。
「……俺が、震えている……」
思い返すだけで、虫のざわめきが耳に蘇る。
獣の瞳、巨大魚の口、影の化け物。
彼は毛布を被り、子供のように震えていた。
(あの王太子……何者だ……?)
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6 国の決意
翌朝、王都の広場は再び賑わった。
魔族の戦士が人間と共に剣を振るい、農民は畑に魔法を試し、子どもたちすら小石を投げながら「魔法だ!」と笑っていた。
半年の猶予。
それは恐怖ではなく、国を一つにまとめる炎になった。
ハイデニアは、確かに動き出していた。




