はじめてのおともだち。
入学式が終わりました。
その場で保護者たちへ行われた簡単な説明も終わります。
そのあと、私たちは恵里佳を連れて部屋へ帰ってきました。
志津恵が受けた説明は私も聞いていました。
恵里佳は初等の六年間で知識を学び、それから希望や適性に応じて専門課程でもある中等、高等へ上がるのだそうです。
明日からは恵里佳ひとりで学舎へ登校することになりますね。
あ、もちろん私もついていきますよ?
あたりまえじゃないですか、それが私の試練なのよ。
んー、んっ……。
寝床についても、恵里佳は興奮してなかなか眠れないようです。
「ママ、あした、たのしみだね」
「そうね。明日からはママと一緒にお外に出て、ママは右に、恵里佳は左に行くことになるけれど、大丈夫かしら?」
「うん、だいじょうぶ。がくしゃまでのみちはおぼえたよ」
「なら、早く寝ましょうね。寝坊したら大変よ?」
「う、うん。おやすみ、ママ。アネットさんもおやすみっ」
「おやすみなさい、恵里佳」
はい、おやすみ、恵里佳。
私は恵里佳の枕元に座っています。
恵里佳はきゅっと目を瞑りました。
肌寒くなってきた夜です。
志津恵は恵里佳の肌掛けをかけ直してあげて、灯りを消します。
「ママ」
「ん?」
「そっちいっていい?」
「いいわよ」
志津恵は布団を恵里佳に近い方を持ち上げて、恵里佳を招き入れました。
恵里佳はそこに滑り込みます。
「やたっ。あったかい……」
気が付いたら可愛らしい寝息を立てて恵里佳は眠っていました。
志津恵の懐で安心したのでしょう。
「アネットさんもおやすみなさい」
私は人形から抜け出して、二人の周りをくるくると旋回してから、恵里佳の枕元に着地しました。
もちろん、私もちゃんと眠ってるんですよ。
精霊だって眠いときがあるわ。
恵里佳に何かあったとき、眠くなってたら困るから、一緒に寝てるんだからね。
▼▽
夜が明けると、陽が差し込んでくることに気付いて恵里佳は目を覚ましました。
恵里佳は今日からの、学舎での新たな生活が楽しみで仕方がないのでしょうね。
「ママ、おきて。あさだよっ!」
「……あら? 恵里佳、おはよう。早いのね」
「うん。ほら、きょうもいいてんきだよっ」
恵里佳は窓を開けて表を見ました。
秋になった日差しは柔らかく、恵里佳の髪をキラキラと照らしてくれていた。
ちょっとだけ風が吹き込んできます。
恵里佳はぷるぷると身震いをしていました。
朝食が済み、後片付けも終わりました。
私も志津恵から魔力をいただきました。
美味しかったです、いつもありがとう。
恵里佳は用意された制服を着るみたいに、今日は白いブラウスと紺色のジャンパースカート、グレーのスパッツを穿いて準備が終わって座っていました。
志津恵もいつもの採取ルックに着替え終わり、あとは部屋を出るだけになっていました。
きりっとした恵里佳もまた一段と可愛いわ。
おっと、んー、んっ……。
「ママ、いこっか?」
「そうね、行きましょうか、あっ」
「ん? ママ、どうしたの?」
「あのね、恵里佳。約束してほしいの」
「なぁに?」
「いつも使ってる『えいやっ』って魔法ね、他の人の前ではなるべく使っちゃ駄目よ?」
「う、うん。わかったーっ」
「うん。いい子ね、約束だからね」
「やくそくーっ」
それは大事なことですよね。
習う前から魔法が使えてしまうとおかしなことにならないとも限りません。
私がもう少し成長していたら、恵里佳に注意できるくらい話すこともできるのでしょうが、今は見守ることしかできないのが少し歯痒いです。
志津恵がドアを開けると、恵里佳は元気よく部屋を出ていきます。
志津恵は心配のし過ぎもよくないと思っていたようです。
私も一緒についていてくという安心感もあったのでしょう。
志津恵は階段を降りて恵里佳を見送ることにしたようです。
「恵里佳、いってらっしゃい」
「うん。ママもいってらっしゃい」
「はい、ありがとう」
「いってきまーす」
二人は右と左に別れて歩き始めました。
恵里佳はそのまま真っ直ぐ行き、途中の赤い屋根の店を左に曲がると、また真っ直ぐだと憶えていたようです。
私は心配して、曲がり角でくるくる回って恵里佳に教えようとしていました。
恵里佳はそれに気づいたのでしょう。
私に笑顔を向けてくれています。
恵里佳の歩く速度でおおよそ二十分。
その間は、何故か恵里佳にあらゆる商店の店主や店員が朝の挨拶をしてくれるのです。
その度に恵里佳は『おはようございますっ』と手を上げて明るく挨拶をしています。
そうこうしている間に、学舎へ到着しました。
今日からは恵里佳よりも上の学年の生徒も登校してきているようですね。
恵里佳の胸の名札は純白です。
きっと色だけで最下級生だと解るのでしょうね。
恵里佳が校舎に近づくと、恵里佳より年上に見える優しそうなお姉さんが声をかけてくれました。
「おはようございます。あら、今日からですのね。お名前は……」
「おはようございます。エリカ・スイートですっ」
「あらまぁ、お上手ね。私はあなたより五つ上の六学年、デリラ・クランドールですわ」
「デリラおねえさんですねっ」
「まぁ、偉いですね。よろしくお願いしますね。えっと、あなたの教室はこの先にありますのよ。私が連れて行って差し上げますわ」
「はい、ありがとうございますっ」
デリラから差し出された手を握り返して、デリラと一緒に一階にある教室へ向かうことになりました。
デリラというこの娘は、とても優しいのでしょうね。
この学舎は、学年ごとに階が違うようです。
子供たちが間違えないように配慮された造りになっているのでしょう。
ワンフロアに大きな教室が三つほどあるようです。
手前には秋からの後期入学、奥は春からの前期入学の生徒の教室になっているのでしょう。
デリラは手前の教室の入り口で足を止めました。
「ここですわ。明日からはここに来ればいいのですから、お忘れないようになさいね」
「はい。デリラおねえさん。ありがとうございますっ」
デリラを見ると、恵里佳の笑顔に吸い込まれそうな感じでうっとりと見ています。
「さ、さぁドアを開けてごらんなさい。私はここで失礼いたしますわね」
「はい。ごきげんよう、デリラおねえさん」
「はい。ごきげんよう」
デリラはスカートの裾をつまんで挨拶をしてくれました。
とても洗練された綺麗な所作ですね。
ちょっと赤くなった顔を誤魔化すように、速足で入口へ戻っていきました。
「(な、なんという可愛らしさなのかしらっ? ……スイートという名前。確かどこかで……。それにしても、クリスったらどこで迷子になってるのかしら?)」
恵里佳はひとつ深呼吸をして、引き戸になっているドアを開けました。
「おはようございますっ……、あれっ?」
あら?
誰もいないじゃないの?
あららら、んっ……。
恵里佳が驚いたように、私もちょっと驚きました(つい、素に戻っちゃったわ)。
教室を見渡しても恵里佳と同じような歳の生徒がいないのです。
右側の黒板の前にある教壇。
その先に置かれた机に座っていた年若い女性が一人いるだけでした。
その女性は立ち上がると、恵里佳の方を向いて笑顔になりました。
「あら、早いわね。あら? 確か、エリカちゃんね。おはようございます」
「あ、きのうのおねえさん」
そう、昨日受付をしてくれた女性だったのです。
「私はね、アリステラという名前なの。このクラスの先生なのよ。エリカちゃんと同じ、今年先生になったばかりですけどね」
「アリステラせんせい?」
「アリス先生でいいわよ」
「アリスせんせいもいちがくねん、なんですね?」
「そうね。一緒に頑張りましょうね」
「はぁい」
「えっと、エリカちゃんの席は……。あら、先生の前なのね。名前が貼ってあると思うわ。確認してみてくれる?」
「はいっ。あ、あたしのなまえ」
「そうね。そこに座っててね。他の子たちももうすぐ来ると思うのだけど……」
ガラッ
「馬鹿ね、なんで迷子になってるのよ。中等学舎に迷い込んでるなんて……」
「ご、ごめんなさいっ」
「なんであんなところにいたのよ?」
「あの、おトイレのところがわからなくて……」
「それでちゃんと行けたの?」
「ううん。見つからなかった……」
「大丈夫なの?」
「う、うん」
さきほど恵里佳を案内してくれたデリラでした。
デリラは恵里佳と同い年くらいの少年を連れていました。
恵里佳と話していたときの口調と違っていますね。
きっとこの状態がデリラの素の状態なのでしょう。
「あ、デリラおねえさんだ」
デリラは恵里佳に話しかけられてはっとしました。
取り繕うように、ひとつ咳払いをして佇まいを直します。
「……んっ、コホン。あら、エリカさん。ま、またお会いしましたね。実は私の弟もこのクラスになるのですよ。ほら、挨拶なさい」
あらデリラも可愛いとこがあるのね。
うまく誤魔化せたと思っているのでしょうけど、少し顔が赤いわよ。
それに気づいたアリステラもにこにこ笑っていますね。
おや?
デリラの後ろに隠れていた男の子が恥ずかしそうに顔だけ出して挨拶を始めました。
「……は、はい。ぼく、クリスハイト・クランドール、といいます。……よろしくおねがいしますね」
苗字(この概念は志津恵から教わりましたので、私も知っているのです)が同じと言うことは、この少年はデリラの弟さんなのでしょう。
「はい。あたし、エリカ・スイートです。よかったら、おともだちになってください。クリスハイトちゃん」
偉いわ、恵里佳。
やっと最初のお友達ができたのね……。
志津恵もきっと喜んでると思うわ。
あら嫌だ、んっ……。
恵里佳はクリスハイトに右手を出して握手を求めました。
クリスハイトもおずおずと、両手で握ってくれました。
「は、はい。こちらこそ、よろしくおねがします」
「やったーっ。おともだちができたーっ」
「よかったわね、エリカちゃん。クリスハイト君、私、このクラスの先生でアリステラと言います。アリス先生って呼んでね」
「……はい。アリスせんせい」
「ではアリス先生。私の弟をよろしくお願いいたします。エリカさん、クリスと仲良くしてあげてくださいね。では、またお会いしましょう」
「はいっ。デリラおねえさん。ごきげんよう」
恵里佳は、一通りの挨拶の仕方を志津恵から教わっていましたね。
デリラは恵里佳に微笑むと、一礼して教室を退出しました。
流石は上級生徒、しっかりしてる、とアリステラは思ったようです。
そういう感じの満足そうな表情をしていましたからね。
アリステラは名簿を見直してクリスハイトの席を探します。
「クリスハイト君は、えっと、あら、エリカちゃんの右隣りね」
「……はい。ここ、ですね。エリカさん。よろしくおねがいします」
恵里佳の右隣りの席ですね。
クリスハイトはぺこりとお辞儀をしました。
クリスハイトは恵里佳と身長がそれほど変わりません。
金髪のちょっと猫っ毛のくるくるした髪で、青い目をしています。
白いシャツにサスペンダーのようなもので吊ったベージュの半ズボン。
恵里佳に負けずとこちらも男の子としては可愛らしいタイプの子ですね。
クリスハイト、この子って男の子なのに恵里佳に負けないくらい可愛いわ……。
でもうちの恵里佳だって負けないんだからっ。