優しい騙しかた。
夏も終わりに近づき、幾分涼しくなってきた感じもしてきたみたい。
恵里佳も成長してきているのが目に見て解るほどだったわね。
だから私もちょっと大人らしくなってみようかしら?
ん、んーっ、んっんっ。
恵里佳が初等学舎へ入学する日が、もう来週まで迫っています。
よし、これでいいわね。
実に大人っぽいわ。
この世界の学校の勉強の仕方が予想できないので、志津恵は恵里佳に、文字の読み書きを教えてしまったことは失敗したと思っていました。
そんなことから恵里佳にはまだ、四則演算は教えていないようです。
数も十までは数えられるくらいにはなっていましたが、それ以上できるかどうかは解らないですね。
貴族や商家あたりでは、小さいころから家庭教師のような人をつけて物事を教えるという習慣があるのは聞いたことがあったそうです。
ですが、恵里佳は一般の家の出ということになっています。
貴族の子女より勉強ができてしまったら、何かトラブルになったりしないか心配にもなると志津恵は言っていました。
親バカ化してきている志津恵は予め私ににこっそりついてもらって、何かあったときには志津恵を呼ぶようにお願いしてきたのです。
初日は志津恵がついていけるのですが、それ以降はひとりで通わせなければならないらしいですね。
私は恵里佳の話し相手でもあり、恵里佳が寝ているときは志津恵の相談相手でもあったりするのです。
私は全能ではないのですから、今はまだ、あまり無茶なお願がされてないのが救いだったりするのです。
志津恵はつい張り切って、皮革問屋からなめし革を買ってくると、ランドセルと言うらしい鞄を作ってしまいました。
表面が赤く淡い光沢のあるものを選んで買ってきたものだから、恵里佳の目にも可愛らしく見えたのでしょう。
恵里佳はそれを背負ってご満悦だったようなので、作ってよかったと思っているみたいですね。
「ねぇ、ママ。かわいい?」
「えぇ、可愛いわよ」
「やったーっ」
「アネットさん、かわいい?」
私は両手で頭の上に大きく丸を作りました。
恵里佳はランドセルを背負って、手を水平に上げてくるくる回って喜んでいます。
いくら涼しいといっても、まだ残暑が残っている季節。
入学式用にと新しく作った薄手の白いブラウスに、黒のジャンパースカート。
ちょっとお転婆気味な恵里佳用に、踝までの薄手の白いスパッツに似た下穿きも穿かせてあります。
『これならスカートが広がってしまっても大丈夫』と志津恵は言っていました。
実に親バカ全開な服装ですね。
私も志津恵のことは言えませんけど。
おつかいのときにも言いましたが、恵里佳には同世代の友達がいません。
急に同世代の子供たちがいる場所に放り込まれて大丈夫でしょうか?
そんな心配を志津恵はしていたのですが、予想に反して恵里佳はマイペースだったようです。
「ママ、がくしゃってどんなところなの?」
「そうね。恵里佳と同じような歳の男の子や女の子がお友達を作ったり、一緒にお勉強をするところね」
「そうなんだ。たのしみだなーっ」
そんな恵里佳を見て、私も一安心でした。
教科書にあたる書物などは、入学する日に配布されるそうです。
何分、入学に関する諸手続きは協会で進めてしまったため、細かいことは当日にならないと解からないのだそうです。
恵里佳は学校に馴染めるでしょうか?
ちょっとだけ不安になりますが、恵里佳の笑顔でその不安も消し飛んでしまいます。
『なるようになるでしょう、恵里佳は勘のいい子だから』そう思うようにしましょう。
▼▽
入学の当日、緊張していたのは志津恵の方でした。
今日は採取の仕事は休みにしてもらっています。
志津恵は朝からなるべく地味な服装を用意して、化粧もほとんどしていません。
私にもそれなりの美意識というものは持ち合わせているのです。
志津恵は地味だと言っていましたが、それでも凄く綺麗なお母さんだと思っていますよ。
流石に採取作業の服を着る訳にはいかないため、近所で適当な礼服を買い、それを自分なりに直して今日の為だけに用意しておいたそうです。
恵里佳は用意してあった服を着て、準備万端。
恵里佳の服は、色違いで四着くらい作ってあるから好きな色を選ばせることにしたそうです。
恵里佳が選んだものは、カーキ色のブラウスに黒のジャンパースカート、ブラウスと同じ色のスパッツに、黒い光沢のある靴でした。
ランドセルの底に細工を施し、私の身体を格納できるスペースを作ってあって、そこに身体は入れておくことになりました。
恵里佳が学舎にいる間は、私は精霊の姿で見守ることになりますね。
私たちはちょっと早めに部屋を出ることにしました。
部屋を出て階段を降りていくと、近所の人たちが集まっています。
皆、恵里佳が今日から学舎へ行くことを知っていたようで、口々に『エリカちゃん、いってらっしゃい』と声をかけてくれます。
恵里佳はその度に『いってきまーす』と笑顔で応えていました。
恵里佳、すっごく可愛いわ。
町のみんなもそう思ってるわよ。
んっ、んーっ……。
▼▽
学舎は部屋からおおよそ二十分ほどの距離の場所にあります。
探索者協会とは反対方向ですね。
恵里佳は志津恵の手を握って、嬉しそうに歩いていますね。
正門ところに掲げてある『アルトワーズ王立学舎』という文字のおかげで、恵里佳の通う学舎の建物はすぐに解りました。
志津恵が見た印象は、歴史を感じさせる木造の校舎のようですね。
ここは初等、中等、高等と年齢やその専門分野ごとに分かれていまして、初等学舎は一番左にありました。
可愛らしい恰好をした女の子、そしてきりっとした格好をした男の子を連れた親御さんがあちこちに見受けられます。
初等学舎の手前で受付をしているようで、そこで皆、手続きをしているように見えますね。
仮設で作られたテントのような場所で、列を作って順番で手続きがされています。
私たちはその一番後ろに並びました。
周りを見回しているうちに、程なく恵里佳の番が回ってきました。
「ご入学おめでとうございます。お子様のお名前をよろしいでしょうか?」
とても良い笑顔で応対してくれる若い女性がいます。
恵里佳は一歩前に出ると元気の良い声で自分の名前を言いました。
「エリカです」
すぐに恵里佳はその女性に笑顔を向けます。
「あら? どこのエリカちゃんかしら? ちょっと待ってくださいね。……あ、これね。『エリカ・スイート』ちゃんですね」
「すいーと?」
「やられたわ……。まさか苗字まで登録されていたなんて……」
志津恵は小さく呟きました。
志津恵は慌てて恵里佳の横に並んで、受付の女性へ受け答えを始めました。
「すみません。私、『シヅエ・スイート』と申します。この子の母です。まだ苗字を教えていなくて、申し訳ありません」
「あら、ご丁寧に……。って、まさか『ハーブマスター』さんではないですか?」
「は、はい。そう呼ばれることもあります」
「あの、ご存じなかったのですか? 『マスター』というと、探索者の特級職にしか許されない称号なのですが……」
「はい?」
つい志津恵は素っ頓狂な返事をしてしまいます。
「シヅエ様のような特級探索者ともなりますと、この国では国賓扱いになるかと思いますが……。ご存じなかったのでしょうか?」
「……あの叔母様……。騙したわね……」
また志津恵は独り言を言いました。
「私も存じているのですが、この国の探索者協会は本部も兼ねていて、協会長をなさっているご婦人は、この国の公爵夫人なのですけれど……」
「えっ? ビルギッタさんのことですか?」
「えぇ、ビルギッタ・アルトワーズ様ですね。この学舎の理事もなさっていますが……」
「アルトワーズってこの国の名前じゃないですか。……嘘っ、それじゃまるで王族じゃないの、騙されたわっ」
「はい?」
「『ハーブマスター』を名乗れば、協会で優遇してもらえるからと……」
「あぁ。そうなのですね。なんともまた……」
今なら志津恵も探索者協会長、ビルギッタの真意が解ったような気がしたのでしょうね。
きっと彼女は知っていたのです。
志津恵が『勇者だった』ということをね。
そして、今、志津恵は【勇者崩れ】ではないのだということもね。
志津恵の目から涙が零れています。
悔しいのでしょう。
でも、それ以上に必要とされているのがとても嬉しかったのでしょう。
志津恵は両目を押さえて、しゃがみ込んでしまいました。
「ママ? どうしたの? どこかいたいの?」
恵里佳は志津恵の頭をぽんぽんと撫でてくれています。
志津恵は鞄からハンカチを取り出し、恵里佳を抱いて見えないように目元を拭きました。
そのまま恵里佳の耳にやさしくそっと話しかけます。
「……ううん。なんでもないのよ。恵里佳、あなたはね、恵里佳・スイートって名前なのよ」
「うん。エリカ・スイート……、なんだかおかしみたいだね。うん、おぼえたよ」
「学費は、その。高等学舎の分まで収められてますので」
「えぇっ?」
志津恵は受付を終えると、恵里佳を抱き上げたまま受付の女性を見ました。
協会長のビルギッタは、恵里佳の学費まで面倒を見てくれていたのです。
「こちらが初等で使用する書物になります。教材費や飲食費なども収められてますので、どうぞ」
「は、はい……」
そこまでお世話になってしまっていたのが、志津恵は嬉しい反面、申し訳なく思っているのでしょう。
「エリカちゃん、ちょっとごめんなさいね」
「はい」
受付の女性は、恵里佳のジャンパースカート、胸の部分に名札を取り付けてくれました。
「これが学舎での学生証になります。食堂でこれを見せるとね、お昼ごはんは好きなものを食べられますよ。ですから、なくさないようにしてくださいね」
「はい、わかりましたっ」
「では、この先の講堂で入学の式典があります。中に入ってお待ちくださいね」
「わかりましたっ。ママ、いこっ」
「え、えぇ……」
志津恵は受付の女性に言われるがまま、先に見える講堂へ足を向けました。
でも志津恵はちょっとだけ怒っていたのです。
やけに恵里佳の入学がすんなりいく、と思ったからですね。
一介の探索者であった志津恵の娘が、そんなに簡単に王立の学舎へ入れるわけがないですよね。
志津恵は、この国への移住も実はビルギッタに勧められたのです。
あの国にはいたくない。
あの国では恵里佳は育てられない。
ハーフエルフへの差別がない。
それならばどこでもよかったと思っていました。
他国へ移住したいと協会へ相談したとき、面談に来たのが協会長のビルギッタだったのです。
志津恵は『なぜここまで親身に話を聞いてくれるのでしょう』と思っていたそうです。
ビルギッタのことは『探索者協会で一番偉い人』だと紹介されました。
志津恵には誰も頼ることができなかったため、あの国でなければどこでもいいと思ったのです。
ですが、こんなオチがあったとは思っていませんでした。
悪い意味で騙されたわけではないのですが、釈然としない部分もあるのでしょう。
かつて、こんなに優しい騙し方があったでしょうか?
志津恵は涙が零れないように、少し上を向いて講堂へ向うのでした。
▼▽
志津恵は付き添いの席に座るよう促されます。
恵里佳は前の方、生徒たちのいる場所へ座っていますね。
見た感じ、秋に入学する生徒は三十名くらいなのでしょう。
その中でも目を引くくらいに恵里佳は可愛らしいです。
笑顔を絶やさない、とてもいい子ですからね。
ビルギッタはこの学舎の理事だと、先ほど聞きました。
それなら、恵里佳が在学中はそうそう悪いことは起きないでしょう。
来賓の挨拶が続いていきます。
最後に理事長先生が挨拶をするようです。
「皆さん、ご入学おめでとう。あなたたちが知りたいことは、全て私たちが教えます。それが悪いことでない限り、私たちはあなたたちの『何で?』に全て答えることができるのです。あなたたちの右を、左を見てください。皆、あなたたちのお友達になってくれる人たちです。この学舎で、大切なお友達を作ってください。それはあなたたちが大人になってからも助けてくれる人になるかもしれないのですから」
理事長先生は志津恵に向ってウィンクしてきました。
なんと、理事長先生はビルギッタだったのです。
『やられた』と志津恵は思いました。
ですが、ここになら恵里佳を預けることができ、安心して仕事に打ち込める、と思ったのです。
悪戯っぽい笑顔を向けてくるビルギッタに、志津恵はただ頭を下げて感謝することしかできませんでした。
志津恵、よかったわね。
いつか私も、あのビルギッタに悪戯して仕返ししてあげるわ。




