第二話 死にたがりの少女
「……どうして、生きてるの?」
目を覚まして最初に聞こえたのは、そんな言葉だった。
レイはゆっくりと目を開けた。
見知らぬ天井。木目の浮き出た板張りの天井だった。
視線を横に向けると、ベッドのそばに少女が座っていた。
「……ここは?」
「私のいるところ」
「いや、そうじゃなくて……」
「知らない場所?」
「……ああ」
少女はそれ以上、何も言わなかった。
レイは身体を起こそうとした。
その瞬間、全身に鋭い痛みが走る。
「っ……!」
「動けるんだ」
少女が言った。
「……どういう意味だ?」
「血がいっぱい出てたから。死んでると思った」
少女の声に、驚きも安堵もなかった。
ただ、見たままの事実を口にしているだけだった。
レイは自分の身体に目を落とした。
服は着替えさせられ、身体には包帯が巻かれている。
「……俺、どんな状態だったんだ?」
「傷だらけだった。地面に倒れてて、血もたくさん出てた」
「それで、死んでると思ったのか」
「うん」
「……そっか」
レイは目を閉じ、記憶をたどった。
地面に倒れた感覚。
身体を走る激痛。
視界を覆っていく赤。
そこまでは覚えている。
その先は、何もなかった。
「どれくらい寝てた?」
「知らない。ずっと見てたわけじゃないから」
「……そうだよな」
少女の返答は、どれも短かった。
必要なことだけを答え、それ以上は話さない。
「君がここまで運んでくれたのか?」
「そう」
「ありがとう」
「うん」
少女はそれだけ言って、視線を外した。
礼を言われたことに、特に反応はない。
レイは少しだけ眉を寄せた。
「……なんで運んでくれたんだ?」
「そこにいたから」
「それだけ?」
「うん」
レイは少女の顔を見た。
本当に、それだけらしかった。
助けようと思ったわけでも、かわいそうだと思ったわけでもない。
そこに倒れていたから運んだ。
それ以上の理由はない。
「……変わってるな」
「そう?」
「いや、別に」
それきり、会話は途切れた。
レイは天井を見つめた。
どうして生きているのか。
どうして、あれほどの傷を負って助かったのか。
自分でもわからない。
けれど、ひとつだけ確かなことがあった。
自分は、まだ生きている。
そう考えた瞬間、頭の中にあの日の光景が浮かんだ。
父さん。
母さん。
血に染まった二人の姿。
何度呼びかけても、返事はなかった。
自分は何もできなかった。
ただ、目の前ですべてを奪われた。
胸の奥が熱くなる。
忘れるな。
あいつらを。
自分からすべてを奪った者たちを。
必ず、復讐する。
そのために生きている。
それ以外に、今の自分に必要なものはなかった。
「……何してるの?」
少女の声がした。
レイは目を開けた。
「何も」
「そう」
少女はそれ以上、聞かなかった。
「……君は、ここに住んでるのか?」
「今はね」
「今は?」
「ずっと同じところにいるわけじゃないから」
「……そうなのか」
「うん」
少女は、どこで暮らしているのかを詳しく説明する気はないらしかった。
レイも、それ以上は聞かなかった。
「家族は?」
「いないよ」
答えはすぐに返ってきた。
「……そうか」
「うん」
「家もないのか?」
「ない」
レイは少女を見つめた。
家族もいない。帰る家もない。
それなのに、少女は特に困っている様子もなかった。
「……普段はどうしてるんだ?」
「歩いてる」
「歩いて……どこへ?」
「いろんなところ」
「寝る場所とか、食べるものは?」
「探す」
少女は淡々と答えた。
「見つからなかったら?」
「見つからないこともある」
「……それで、平気なのか?」
「平気って?」
「いや……」
レイは言葉に詰まった。
何を聞きたいのか、自分でもうまく整理できなかった。
自分なら、そんな生活は耐えられないと思った。
帰る場所もなく、誰も待っていない。
明日どうなるかもわからない。
そんな状態で、どうして普通に生きていられるのだろう。
「……大変じゃないのか?」
「大変だよ」
少女はすぐに答えた。
「でも、そうするしかないから」
それだけだった。
レイは何も言えなかった。
少女は自分の境遇を嘆くこともなく、誰かに助けを求めることもない。
ただ、そういうものだと受け入れているように見えた。
「……君は、何かしたいこととかないのか?」
「何か?」
「将来、こうなりたいとか。行きたい場所とか」
少女は少し考えた。
「ない」
「……ひとつも?」
「うん」
迷いのない返事だった。
レイには、その答えがよくわからなかった。
自分には、やりたいことがある。
強くなる。
復讐する。
そのために生きる。
けれど、目の前の少女には、そういうものが何もないのだろうか。
「……じゃあ、毎日何を考えてるんだ?」
「別に」
「何も?」
「お腹が空いたら、食べるものを探す。眠くなったら、寝る場所を探す」
少女は指を折ることもなく、ただ順番に答えた。
「それだけ」
「……それでいいのか?」
「いいって?」
「いや……」
レイは口を閉じた。
自分が何を言いたいのか、うまく説明できない。
それだけでいいはずがない。
何か目標がなければ。
何か理由がなければ。
そう思うのは、自分がそういうものを持っているからなのだろうか。
「……変なこと聞いたな」
「そうだね」
少女は特に気にした様子もなく答えた。
*
数日が過ぎた。
最初は寝返りを打つだけでも痛かった身体が、少しずつ動くようになった。
食事も取れるようになり、短い時間なら起き上がっていられる。
少女は、ときどき姿を見せた。
レイが何かを尋ねれば答える。
けれど、自分から話題を持ち出すことはほとんどなかった。
ある日、レイが窓の外を眺めていると、少女が部屋に入ってきた。
「……何を見てるの?」
「外」
「そう」
少女は近くに腰を下ろした。
しばらく、二人とも何も話さなかった。
「……なあ」
「なに?」
「君は、死んだ人を見たことあるか?」
「あるよ」
答えはすぐに返ってきた。
「……怖くなかったのか?」
「何が?」
「死んだ人を見るのが」
少女は少しだけ首を傾けた。
「別に」
「……そうか」
レイは、彼女の顔を見た。
死体を見ても怖くない。
正直信じられなかった。
俺は大好きだった両親でも、死体を見た時は恐怖したし、嘔吐した。
けれど、少女の口調には、怖いものを無理に平気だと言い張るような響きもなかった。
「死人は、動かない」
「……それは、そうだろ」
「うん」
少女は淡々と続けた。
「何も言わないし、何もしない」
「……」
「でも、幸せそうに見える」
「幸せ?」
「うん」
「……なんで?」
「何もしなくていいから」
レイは眉を寄せた。
「食べるものも探さなくていいし、寝る場所も探さなくていい」
「……生きてる方がいいだろ」
レイは思わず口にしていた。
少女はレイを見た。
「どうして?」
「どうしてって……」
言葉が詰まる。
生きていれば、できることがある。
会いたい人に会える。
父さんと母さんと、また一緒に暮らせる...。
けれど、目の前の少女にそれを説明しようとすると、どれも自分の事情にしか思えなかった。
「……生きてれば、何かできるだろ」
「何を?」
「それは……」
レイは答えられなかった。
復讐。
自分には、明確な目的がある。
けれど、それをそのまま口にする気にはなれなかった。
「……人によるんじゃないか」
「そう」
少女は視線を窓へ戻した。
それで話は終わったようだった。
レイは、少しだけ居心地の悪さを感じた。
自分が当たり前だと思っていたことが、彼女には通じない。
生きていれば何かがある。
生きているからこそ、できることがある。
そう信じている自分と、死者を幸せそうだと言う少女。
二人の間には、簡単には埋まらない隔たりがあるように思えた。
「……君は、死ぬのが怖いか?」
今度は、レイから尋ねた。
少女はすぐには答えなかった。
「わからない」
「わからない?」
「死んだことがないから」
「……まあ、そうだな」
「君は?」
「俺?」
「死ぬの、怖くないの?」
レイは少し考えた。
あの日、自分は死にかけた。
痛みもあった。恐怖もあったのかもしれない。
けれど、死そのものを恐れていたかと聞かれれば、答えは違った。
「……怖くない」
「どうして?」
「死ぬことより、やらなきゃいけないことがあるから」
「それをやったら?」
「……さあな」
復讐を果たしたあと、自分がどうなるのか。
考えたことがないわけではない。
けれど、今はそんな先のことを考える必要はなかった。
「今は、それだけでいい」
少女はレイを見ていた。
「死ぬのが怖くないのに、生きていたいんだ」
「……そうだな」
言われてみれば、不思議なことなのかもしれない。
死ぬことは怖くない。
けれど、自分は死ぬわけにはいかない。
その二つは、レイの中では矛盾していなかった。
「……死んだら、本当に何も考えなくてよくなるのかな」
少女が言った。
「さあな。死んだことがないから、わからない」
「そっか」
「……気になるのか?」
「うん」
少女は窓の外を見たまま答えた。
「どんな感じなのか、わからないから」
レイには、その言葉が理解できなかった。
死んだら、どうなるのか。
そんなことを考えたことはある。
けれど、知りたいと思ったことはなかった。
死んでしまえば、そこで終わりだ。
自分には、まだやることがある。
だから、生きる。
それだけだった。
「……変わってるな、君」
レイがそう言うと、少女は視線を戻した。
「そう?」
「……ああ」
「ふうん」
少女はそれ以上、何も言わなかった。
*
さらに数日が過ぎた。
身体の痛みは、ほとんどなくなっていた。
レイは立ち上がり、ゆっくりと歩いてみた。
問題はない。
腕を動かしても、身体をひねっても、以前のような激痛は走らなかった。
あれほどの傷が、ここまで治る。
やはり、おかしい。
けれど、考えても答えは出なかった。
「……もう歩けるんだ」
声がして振り返ると、少女が立っていた。
「ああ。もう大丈夫そうだ」
「そう」
「……いつまで世話になってるわけにもいかないしな」
「別に、好きにすればいいのに」
「いや、そういうわけにもいかないだろ」
「そう?」
「そうだよ」
少女は少しだけ首を傾けた。
「よくわからない」
「……君は、本当にそういうところがあるな」
「どういうところ?」
「いや、いい」
レイは小さく息を吐いた。
会話をしていると、調子が狂う。
悪意があるわけでも、嫌味を言っているわけでもない。
ただ、こちらが当然だと思っていることに、少女はあまり関心がないようだった。
「……じゃあ、そろそろ行くよ」
「うん」
「ここを出たら、どこに行けばいい?」
「知らない」
「……だよな」
レイは苦笑した。
少女は、この場所の外について詳しく教えるつもりもないらしい。
そもそも、聞いたところで答えが返ってくる保証もない。
「助かった。ありがとう」
「うん」
少女はそれだけ答えた。
レイは出口へ向かい、扉に手をかけた。
ふと、振り返る。
少女は、先ほどと同じ場所に立っていた。
「……じゃあな」
「うん」
それだけで、別れは終わった。
引き留める言葉も、再会の約束もない。
レイにとっても、少女にとっても、互いはほんの数日間だけ関わった相手にすぎなかった。
レイは外へ出た。
見知らぬ景色が広がっている。
これから、どうするか。
まずは自分がいる場所を知る必要がある。
そして、強くならなければならない。
復讐を果たすために。
歩き出そうとした、そのときだった。
視界の隅に、文字が浮かび上がった。
『スキル発動』
『自動自己回復』
「なんだこれ。」




