魔法っていうのがあるのなら
「――ねえ、レイ。この世界には昔ね、精霊とか神様とかがね、人間と戦ってたんだって」
緩く温かな日差しの差し込む店内には、話題のポップな音楽を背景に多くの学生客で席が埋まっている。そんな店内の窓際の一角に二人の女子高生が座っていた。一人は、毛先の跳ねた短い黒髪をもち白百合を思わせる肌に紺の瞳をしていた。もう一人は、緩いウェーブのかかった茶髪を腰まで伸ばし柔らかな印象をもたせた。
レイと呼ばれた黒髪の女子高生は、バナナシェイクの最後の一滴を飲み干し、頬に垂れる黒髪を耳にかけた。それから、きらきらと目を輝かせて向かいに座る親友を見て、問い返す。
「ハルカ……今日は、アニメの話?」
そう冷静に返されると、ハルカの先週染めたばかりのピンク色の毛先を横に揺らした。
「違うよ。うちのおばあちゃんのおばあちゃんの、そのまたおばあちゃん……がそういう言い伝えがある、って言ってたらしいんだって」
指を折りながら、祖母の代を数え、得意げに話す様子がおかしくて、レイは思わず笑う。
「超昔じゃんか。ていうか、そのひいひいひいひいおばあちゃんも伝説だって言ってたんでしょ?さらに昔ってことになるよね」
「ひいひいひいおばあちゃんね。ううん、まあ、そうなんじゃないかな?」
「また、ずいぶんと大雑把な」
さっきまで熱心に語っていたにもかかわらず、急に曖昧な返事をするハルカに、レイは呆れたように言う。
ハルカはそんなことを気にも留めず、「まあまあ」笑ってひらひらと手を振った。そして頬杖をつき、窓の外へ視線を向ける。
「でもさ、」
小さく、けれど確かな声で。
「もし、もしもだよ。この世界にもまだ魔法っていうのがあるんだったら、どんなに素敵なんだろうね」
ハルカの人よりやや淡い色の瞳は、店の外――その更に先を見つめているかのようだった。彼女の睫毛は窓の外の光を受ける。レイはその吸い込まれるような横顔を、ただ黙って見つめることしかできなかった。
*
「ありがとうございました。またお越しくださいませ!」
若い女性店員の少し上ずった柔らかい声を背に、店を後にする。空調の効いた店内の外はわずかに温かく、時折吹く風はレイの心を落ち着かせた。
二人並んで帰路につきながら、レイはハルカに尋ねる。
「ねえ、ハルカ」
「ん、なに?」
半歩先を歩くハルカにレイは言葉をかける。
「もし魔法があったら、何がしたいの?」
ハルカは腕を組み、首をかしげながら、少し考える。
「……空を飛んでみたい、かな〜」
「子どもか」
「ひどいよ!レイはどうなのさ」
レイはわずかに笑う。
「私は――」
その瞬間、びゅうっと突風が吹き抜け、レイの言葉はかき消された。街頭が大きく揺れる。ハルカはスカートの裾を押さえ、立ち止まった。
夕暮れに沈む町並み。誰もいないはずの交差点には、信号の影が長く伸びていった。
風が落ち着き、レイが目を開くとハルカを見る。彼女はその淡い瞳を見開き、空を見つめていた。その視線をなぞるようにレイも視線を動かすが、そこには何もない。
「――――」
ハルカの唇がわずかに震わせる。音にならない声を確かめようとレイは聞き返そうとした。しかし、言葉をかけたらどこかへ消えてしまうような儚さを孕んだ彼女の出で立ちに、レイは喉をつまらせた。そうしている内に、ハルカはふっと我に帰ったように肩を揺らすと、レイに向き直るとふにゃりと笑ってみせた。
「あ、すごい風だったね」
平然と話すハルカを、レイは訝しげに見つめる。
「うん……そうだね」
スカートを払い、手ぐしで髪を整えるハルカに、レイは迷いながら言葉を紡いだ。
「……ハルカ、さっき何か言ってた?」
ハルカは少し考え、それから小さく首を振った。
「えっと、ううん?」
「そう」
それ以上、何を聞くこともできなくなったレイは指先で毛先をいじる。ハルカは、店の中にいたときと変わらない様子で、息を吐きながら歩きはじめた。
「暗くなっちゃうから帰ろ……あ、明日テストだよ、最悪〜」
そう言うと、口を尖らせる。
「ハルカの場合、テストなんていつでも最悪でしょ」
「辛辣〜」
泣き真似をしながら歩くハルカは、既にいつものハルカだった。その姿を目に焼き付けるよう見つめながら、レイは瞳を細める。
「じゃあ、私、今日お兄と待ち合わせしてるから」
「うん。また明日」
駅に着くとハルカは商業施設のある大きな建物の方を指さして言った。レイは小さく頷き、手を振り返すと、雑踏の中に混ざっていった。
*
「ただいま」
レイは家のドアを開ける。
返事はない。
暗い家の電気を一つずつつけながら、廊下を歩く。
リビングにはサランラップのかけられた夕食と、メモが一枚。
『レイおかえり。あっためて食べてね』
小さめの丸い字。いつまでも夢見がちな彼女の母の字だった。レイはそのメモをくしゃりと握りつぶすと、そのまま自室へ戻った。
部屋の隅に鞄を置くと、自分はベッドに身を預ける。どこまでも深い紺の瞳は外の闇と共に混ざり、星を閉じ込めて小さく揺れた。
ふう、と息を吐き出すと「明日、テストか」とつぶやいた。手には母親のメモ紙を残したまま、その瞳をゆっくりと閉じた。




