魔法っていうのがあったんだって。
「ねえ、レイ。この世界には昔ね、精霊とか神様とかと人間が戦ってたんだって」
レイはバナナシェイクの最後の一滴を飲み干し、肩に垂れる黒髪を耳にかけた。それから、向かいに座るハルカを見て、問い返す。
「なにそれ、アニメのはなし?」
そう言われると、ハルカの先週染めたばかりのピンク色の毛先を横に揺らした。
「違うよ。うちのおばあちゃんのおばあちゃんの、そのまたおばあちゃんがそういう伝説があるって言ってたらしいんだって」
指を折りながら、祖母の代を数え、得意げに話す様子がおかしくて、レイは思わず笑う。
「超昔じゃんか。ていうか、そのひいひいひいひいおばあちゃんも伝説だって言ってたんでしょ?さらに昔ってことになるよね」
「ひいひいひいおばあちゃんね。まあ、そうなんじゃない?」
「ずいぶん大雑把だな」
さっきまで熱心に語っていたにもかかわらず、急に曖昧な返事をするハルカに、レイは呆れたように言う。
ハルカはそんなことを気にも留めず、「まあまあ」と手をひらひらと振った。そして頬杖をつき、窓の外へ視線を向ける。
「でもさ、」
小さく、けれど確かな声で。
「もし、この世界にもまだ魔法っていうのがあったら、どんなに素敵なんだろうね」
ハルカの人よりやや淡い色の瞳は、店の外——さらにその先を見つめているようだった。
レイは、その横顔を黙って見つめることしかできなかった。
*
「ありがとうございました。またお越しくださいませ〜」
若い女性店員の少し上ずった柔らかい声を背に、店を後にする。
二人並んで帰路につきながら、レイはハルカに尋ねる。
「なあ、ハルカ」
「なに?」
「もし魔法があったら、何がしたいの?」
ハルカは腕を組み、首をかしげながら、少し考える。
「空を飛んでみたい、かな〜」
「子どもか」
「レイは?」
レイはわずかに笑う。
「私は——」
その瞬間、びゅうっと突風が吹き抜け、レイの言葉はかき消された。
街頭が大きく揺れる。
ハルカが立ち止まる。
夕暮れに沈む町並み。誰もいないはずの交差点。信号の影が長く伸びていた。
風が少し落ち着き、レイが目を開くと、ハルカの瞳は見開かれていた。
「————」
「え?」
ハルカの唇がわずかに動く。しかし、その声は風にさらわれて聞こえない。
その瞳は、この世のものとは思えないほどに美しかった。
レイが聞き返すと、ハルカはふっと我に帰ったように、向き直る。
「すごい風だったね」
平然と話すハルカを、レイは訝しげに見つめた。
「そうだね」
「ハルカ、さっき何か言ってた?」
ハルカは少し考え、それから小さく首を振った。
「ううん」
「そう」
「暗くなっちゃうから帰ろ。…明日テストだよ、最悪〜」
ハルカは口を尖らせる。
「ハルカの場合、テストなんていつでも最悪だろ」
「辛辣〜」
泣き真似をしながら歩くハルカは、すでにいつものハルカだった。
その姿を目に焼き付けるよう見つめながら、レイは目を細める。
「じゃあ、また明日な」
「うん。またね」
いつもの分岐点で別れる。
ちょうど公園のある、T字路。誰もいない公園は、すっかり影を落としていた。
「ただいま」
レイは家のドアを開ける。
返事はない。
暗い家の電気を一つずつつけながら、廊下を歩く。
リビングにはサランラップのかけられた夕食と、メモが1枚。
『レイおかえり。あっためて食べてね』
小さめの丸い字。いつまでも夢見がちな母の字。
レイはそのメモをくしゃりと握りつぶし、自室へ戻った。
「明日、テストか」
机に鞄を置いたとき、ふと窓が鳴った。
カーテンが揺れる。
「あれ、窓…」
部屋の窓はどこも閉まっていた。それなのに、どこかから風が吹いた気がした。
「気のせいか」




