豪胆無比
「和平……それは、ディナントと、ということか?」
リュドミラがそう言うと、ゲオルグは苦笑しながら首を横に振った。
「なぜ、俺が人間同士の友好など気に掛ける必要がある。いずれはそれも考えていかねばならないかもしれないが、少なくとも今は、限りなくどうでもいいことだ」
その物言いに偽りは感じられない。だが、だとすれば他に思いつくものがリュドミラには、いや、その場にいる誰にもなかった。
「ならば、一体どこと和平を結ぶというので……?」
そう問いかけると、ゲオルグは一度周囲を見渡してから。
「ここでは、少々言い辛い。というよりは、人目が必要以上にあっては困る。目と言わず耳もだ。いかに忠臣といえど、口に戸は立てられぬもの。話が良い方向に纏まれば良いが、そうでないならば、今から話すことを知る人物が多ければ多いだけ、悲劇が生まれることになる」
それは明らかな脅迫と言っても過言ではない。しかし、ゲオルグの表情を見れば、それが脅しでもなんでもなく、いざとなればその言葉通りのことを起こさんという意思が垣間見えた。
「…………分かりました。皆、下がれ」
「なっ!!」
「陛下!!」
「それはあまりにも危険です!!御身に何かあれば……」
「このお方を前に、いかなる備えも意味はなさぬだろう。なれば、この身の心配は無用。ゲオルグ殿が私を必要とする限り、そしてそのゲオルグ殿がこの身の傍にある限り、危険など皆無であろうよ。そうでありましょう? ゲオルグ殿?」
どこか開き直ったようなその態度に、ゲオルグがどちらかと言えば好感を抱いたのは言うまでもないだろう。
「この俺を護衛代わりに使うか。全く、いよいよ以て感服するな、その豪胆さは」
「お褒めの言葉と受け取っておきます」
「よかろう。少なくとも、俺が貴公に危害を加えることだけはないと、今この場で誓おう。生憎と、神だとかいうものは信じていないので、何に、と聞かれても困るがな。それと、俺の視界にいるうちは、その安全も約束しよう。これでもまだ不安か?」
ゲオルグがそう言いながらあたりを睥睨すれば、もはや反論する者もなく、ただ言葉を詰まらせたように口をパクパクさせるばかりであった。
「申し訳ありませんが、私は陛下のお傍を離れるつもりはありません」
ただ一人を除いては。
「ほう、先ほどからやけに近いから気にはなっていたが、やはり一番の腹心、といったところだったか?」
「オーリ……オリガ、慎め。ゲオルグ殿は人払いをと言ったはずだ」
「いいえ陛下、確かに、人目や耳を気にすると仰ってはおられましたが、人を払えとは一言も。なれば、目と耳を塞げばよろしいのでしょう?」
その、まるで幼子のような屁理屈に、ゲオルグは思わず眼を見開き、周囲の者はリュドミラを含め、全身から血の気が引いていくのを感じた。
こいつは何を言い出しやがった。ドラグニルに喧嘩を売るつもりなのか。
そう言わんばかりの無言の悲鳴が、広間に木霊しているような錯覚すら覚えている者もいるだろう。それだけの衝撃的な発言であった。
そんな、絶望と怒りと混乱がない交ぜになったカオスな空気が広間を制圧してから、やや間を開けて一番に口を開いたのは、ゲオルグだった。
「クッ…………クックク……あっはっはっはっは!!」
それは、紛うことなき笑い声。予想しなかったゲオルグの反応に、再び広間の人々は混乱する。もう何が何だか、といった様子だろう。
「いやいや、なるほどなるほど、そうかそうか……面白い。そんな下らん屁理屈を、堂々と面と向かって言われたのは初めてだ。お主、名はなんと言ったか?」
「オリガです。オリガ・ゼレンコフと申します、スタンフォード様」
「オリガか、良い、俺のことはゲオルグと呼べ。いや、それにしても、久方振りに笑わせてもらった。この国に来てからは初めて、いや、人間との会話でこんなに笑わせられたのは初めてかもしれん」
「それはそれは、光栄に存じます」
「ハッ、光栄になど、どうせ心にも思っていまい?」
「…………」
「構わんさ。俺は、そういう嘘をつかん奴の方が好きなのでな。世辞も虚言も必要ない、本音で話し合える相手、それが、対等というものだと、そうは思わないか? ヴィルヘルムの女帝?」
「えっ?……えぇ、そういうものかもしれないわね……」
「少し、口調が変わっているが、そっちが素か?」
「!?」
ゲオルグの指摘に、慌てて口を噤むリュドミラ。彼女も、皇帝である前に一人の女性だ。そういう一面があっても何もおかしくはないが、恐らくは公私を完全に切り替えることのできる性質なのか、あるいは普段から基本的には自己を押し殺しているのだろう。
「まぁ多くの家臣の手前だ、深くは聞くまい。それより、オリガ」
「何でございましょう」
「気に入った。お前に関しては、残るも行くも好きにすればいい。その様子では、もしこの女帝に何かあれば、命運をともにするくらいの覚悟もあるのだろう?」
「無論、いえむしろ愚問ですね」
「なれば結構。他の者も、今から俺がどんな話を切り出しても冷静に、かつ客観的に判断できるという自信があるなら残ればいい。勿論、場合によってはその身の安全は保障しかねる。俺が約束したのはこの女帝の安全だけだからな」
見るからに機嫌を良くしたゲオルグに、むしろ混乱の雰囲気が増す周囲。それが落ち着くのには、まだ少しばかり時間を要するのだった。
ちなみに、オリガ・ゼレンコフはこの時のことをこう振り返っている。
「私は元々、ドラグニルを前にしてあんな態度をとれるような豪胆さは持ち合わせておりません。ただ、陛下と二人にすることで何が起こるのか、それが全く想像がつかなかった故に、お傍を離れるべきではないと判断しただけです」
だがそれにしても、あの態度では下手をしたら殺されていたのではないかと言われると。
「あのお方は話の節々からも、回りくどい言い方や嘘を嫌っているというのがわかりましたので、賭けてみたのです。気に入って貰えれば、きっと一緒にいても良いと仰っていただけると思いましたので。もし間違っていたならば、その時はこの命を差し上げればよいだけです」
この話を聞いたかどうかは定かではないが、リュドミラは皇帝としての職務に就いている間、常にオリガを傍に置き、重用したという。そしてそれに表だって不満を言える者もいなかったのは、想像するだに難くない。




