午 :午餐
再び彼女が意識を取り戻した時、彼女の瞳が最初に映したのは、“彼”の顔であった。
“彼”――ルアークは、仰向けに横たわるメイをじっと見詰めていた様だった。
互いに目が合ったことを気付いた二人は、慌てて互いに目を逸らす。そして、取り繕う様に“彼”より言葉が紡ぎ出される。
「……点検は終わりました。特に異常は見られませんでしたよ」
「……そ、そうですか……ありがとうございます……」
短い言葉のやり取りを交わした後、メイはそそくさと作業台から降り立ち、脱いでいた自らの侍女服を身に帯びて行く。
一通り、侍女服を身に纏った彼女は、改めて“彼”――ルアークへと向き直った。
「ルアーク様……ありがとうございました」
「い、いえいえ……そんな、たいしたことはしていませんから……」
改まって深く頭を垂れる彼女に、少しばかり困惑気味の様子で“彼”は言葉を返す。それは、定期点検の度に繰り返されてきたやり取りでもある。
そんな何時ものやり取りを終えた彼女は、時間が正午から幾分か過ぎた頃合いに至っていることに気付く。
「……もう正午を過ぎた頃合いの様ですね……
ルアーク様の為に薬液を調合させて頂きました。よろしければ、ご昼食に如何ですか……?」
「そうですか、ありがとうございます。
それなら、ご一緒に昼食を頂くことにしましょうか……」
幾らかおずおずとした様子で紡がれるメイの言葉に、“彼”は快く承諾の答えを返した。
「は、はい……それでは準備を致しますので、食堂の方へ先に向かっていて下さい」
「分かりました。それでは先に行って待っていますね……」
そう言うと、“彼”は侍女達の部屋を一足先に出て行ったのだった。
* * *
“彼”が立ち去った部屋で、メイは“彼”の為に用意した薬液の入った瓶とともに、自分用の薬液の瓶を取り出して、作業台に置く。そして、棚の中に収めてある食器――皿や匙を取り出した。
改めて“彼”の為に調合した薬液の出来栄えをメイは確認した後、次いで取り出した食器に欠けや曇りがないことを確認する。
そうした薬液や食器の確認を終えた彼女は、食器を平盆に並べた上で、薬液の入った二つの瓶を整備の終えた配下の侍女の二人に声をかけて持たせる。
そうして、自分と侍女の三人で部屋を出て、“彼”の待つ食堂へと歩を進めて行ったのだった。
* * *
食堂にメイ達が到着すると、その中で“彼”――ルアークは待っていた。“彼”は食卓のいずれの席も座ることなく、食堂の壁際に立っていた。
そんな“彼”の姿に、メイは驚きに目を見張る。
「……ルアーク様、席に座って待って下さればよろしかったのに……」
銀盆を手に慌てて歩み寄るメイの姿に、“彼”は微笑みを浮かべて言葉を返した。
「貴女がすぐに来て下さるだろうから……こうして待っていただけなんですけれどね……」
「……今日も大旦那様や大奥様からは許可を頂いているですから、御遠慮なさらなくて結構ですのに……」
微笑んで語る“彼”の言葉に、メイは苦笑混じりの言葉を紡いだ。
実の所、古代紀の金属人達は自らを創造した人物を自身の親と認識し、製造された工廠を故郷や実家と言った存在として認識すると言った慣習がある。
そして、メイはティアス=コアトリアの手によって創造された存在である。それは西方大陸の人々――特に金属人にとって、メイ自身がティアス=コアトリアの娘の一人であると見做しうることを示している。
このことは、ティアス達――コアトリア家の面々もルアークやその父であるミゼル=ヴァンゼールから耳にしており、承知している。
とは言え、彼女は、あくまでも自分はコアトリア家の侍女であると言う立場を取っている。その為、“ティアス=コアトリアの娘”と言う身分を名乗ることもなく、“ティアス=コアトリアの娘”として扱われることも穏やかな態度ながら拒絶している。
しかし、こんな時ばかりは、“ティアス=コアトリアの娘”と言う立場にあることを、彼女は心密かに有難く思うのだった。
そして、“彼”を食卓の上座――普段は当主ティアスが座る席へと促し、その席の前に“彼”の為に用意した皿や匙を並べて行く。
更に、彼女は“彼”の席の隣――普段であれば、当主夫人であるセイシアが座る席の前に、自分の為の皿と匙を並べて行った。
そうして、メイとともに入室して来た侍女達に命じて抱えて来た瓶の中身を各々の皿へと移させる。“彼”――ルアークの前の皿には銀色の液体が満たされ、メイの前の皿には琥珀色の液体が満たされた。そして、瓶の液体を皿に入れ終えた二人の侍女達は、メイの無言の指示に従って食堂の隅へと引き下がって控える様に立ち尽くす。
動きを止めた侍女達からメイはその視線を移し、改めて彼女は“彼”を見詰める。
「それでは、ルアーク様……頂きましょうか……?」
「えぇ……そうしましょうか……」
二人はそんな言葉を交わした後、食前の祈りを始めたのだった。
* * *
“彼”は、皿に満たされた薬液を匙で掬い、その口に運んだ。そして、口と目を閉じて、暫しの間その味を味わう。
その一部始終を、メイは固唾を呑んで見詰め続けた。“彼”に用意した薬液は、彼女が調合を行った代物だ。調合法は“彼”に教えられたとは言え、その味の良し悪しは彼女には判別できないのだ。
故に、緊張で少しばかり身を硬くしていた彼女に向けて、“彼”は微笑みを浮かべて言葉を返した。
「……美味しいですよ、メイさん……」
「……そ、そうですか……ありがとうございます……」
その微笑みとともに紡がれた“彼”の言葉に、メイの表情は見る間に喜色に色合いで満たされて行く。
互いに微笑みを交し合い、“彼”――ルアークは再び匙を取り、彼女――メイは自らの匙を取って皿に満たされた薬液を口に運ぶ。彼女の口の中に、芳醇な甘味と旨味が広がって行った。
* * *
そして二人は、自らの食事に舌鼓を打ちつつ、歓談と談笑を交し合う。
そうして、穏やかで楽しい時間は過ぎて行く。
そんな時間の中で、彼女は心の片隅にちょっとした妄想が過ぎる。
それは、ティアスとセイシアの様な仲睦まじい夫婦となった“彼”と自分の姿であった。食堂でティアスの座る席に“彼”が座り、セイシアの座る席に自分が腰かけ、レインやメルテス達が座る席には、いる筈のない自分の子供達が席に着き、それぞれが仲睦まじく和気藹々と言葉を交わす……そんな風景が彼女の脳裏に映し出されていた。
その風景をほんの少しだけ陶然と見惚れた後、我に返った彼女はその妄想を振り払う様に軽く首を振った。
首を振る彼女の様子に気付いた“彼”は、怪訝そうな面持ちで彼女へと気遣いから言葉を投げかける。
「……メイさん、どうかしましたか……?」
「……え?……あ、いえ……何でも、何でもありません……」
「……?……そうですか?……それなら良いのですが……」
慌てて言い繕う彼女の様子に些か訝しく思いながらも、“彼”は敢えて追求することなく、食事とそれに伴う歓談を続けることにした。
再び匙で皿の薬液を掬いながら、“彼”は新しい話題を切り出して行く。そんな“彼”の話に耳を傾けつつ、彼女は自身が浮かべた妄想を振り払った。
* † *
“彼”――ルアーク=ヴァンゼールは、この世界に存在する金属人の中で三番目に年若い人物である。それは、第三紀以降に誕生した三人の金属人の一人である。
そして、メイもまた、上述した三人の金属人の一人ではある。
ただし、メイと“彼”の間には十数年の年齢差は横たわっている。とは言え、“彼”の方が年長と言っても、他の多くの金属人が総じて、第二紀後期の生まれであり、メイ達最若年の三名とは千年以上の歳の差があると言う事実の前では、それ程気にすべきことではないのかも知れない。
しかし、彼女にしてみれば、“彼”とは身の程が違うと思わずにはおれない事柄が想起されてしまう。
何故なら、歳の差以上に“彼”とメイの間には大きな懸隔が横たわっているからだ。
まずは、両者の間にある隔たりとして機体の世代区分と言うものがある。
金属人に限らず、魔法機械と呼ばれる存在には“世代区分”と言う区分法がある。基本的に“世代区分”は数字の少ない方が古い形式で制作されたことを表しており、原則的には数字の数字の少ない世代は機能性で劣り、数字の多い世代が優れた機能を有するとされている。
しかし、これが金属人をはじめとする魔法機械生命体のに関しては、やや事情が異なる。
魔法機械生命体の始祖――ミゼル=ヴァンゼールを“第零世代機”とする魔法機械生命体の“世代区分”は、その劣化複製体とも言うべき“第一世代機”と“第二世代機”が生みだされ、更に魔法機械生命体の諸能力に制限を加えた“第三世代機”と“第四世代機”と続くこととなる。
魔法機械生命体の“世代区分”は、上記の“第零世代”~“第四世代”の五種に分類できる訳だが、結果として他の魔法機械の“世代区分”と逆行して、古い世代に分類される機体群の方が機能等の面で優れた存在となっている。
さて、“彼”――ルアークはミゼル=ヴァンゼールの子であり、その“世代区分”は“第零世代機”に分類される。対して、メイのそれは“第四世代機”に分類されている。それは、自我意識の強弱や金属人特有の特殊能力等の諸機能の優劣等に天と地ほどの格差が存在していることを暗示している。
そして、もう一点は二人の出生である。
先程も述べた通り、メイは希代の賢者たるティアス=コアトリアによって創造された金属人ではある。
しかし、彼は古代アティス王国に栄えた“魔法機械技術”を修得しているが、その精髄を理解していると言う訳ではない。だからこそ、金属人の中でも機能や構造が簡便な部類である“第四世代機”を創造するのが限界だったとも言える。
一方で、“彼”――ルアーク=ヴァンゼールは、金属人としては非常に稀有な出生の事情を抱える人物であった。
“彼”は、母の母胎より産み出された存在だった。“彼”の母――アニス=ヴァンゼールは夫であるミゼルとの子を得ることを望み、自らを受胎可能な存在へと自己進化させたのだと伝えられている。
故に彼の女性は世界で唯一受胎能力を持つ魔法機械生命体であり、その子等である“彼”とその妹は世界でも――特に金属人等にとって“特別な存在”と呼んで差し支えない者達なのだ。
加えて言えば、余り知られていないことながら……
“彼”の父母ともに神々にその存在が認められ、魔法機械生命体の守護者として、神族の末席に列ぶ存在となっているのだ。
更に加えるなら、“彼”の一家であるヴァンゼール家は、西方大陸では広く名が知られており、“彼”自身も父母とともにイレヴス王国をはじめとする西方大陸の諸王国から技術顧問としての招請を受ける身分となっている。
対してメイは、セオミギア王国の新興貴族たるコアトリア家に仕える侍女であり、一応の肩書に“侍女長”と呼ばれるものの、身分とすれば平民に相当する筈なのだ。
年若い劣等種にして貴族の一使用人でしかない自らと、神々の列に加わる方々を父母に持つ優越種にして|(西方大陸の)諸王国 において要人と遇される“彼”……
それらを引き比べる彼女には、素直に“彼”への思慕を口にすることは些か躊躇われるのだった。
* † *
そんなことを思って、その面差しに翳りを浮かべた彼女に向かって、“彼”は心配そうに声をかけた。
「……どうかしましたか、メイさん?……何だか、気分が優れない様ですけど……?」
「い、いえ……決して、そう言う訳ではありませんから……」
「……そうですか……それなら、良いのですが……」
“彼”の問いに、慌てて言い繕うメイの姿に首を傾げつつも、“彼”はその言葉に納得することにした様だった。そして、彼は思い出したかの様に言葉を繋いだ。
「……あっ!……そう言えば……メイさん、今日はこれから何か予定がありますか?」
そう問いかける“彼”の言葉に、些かその意図を測りかねたまま、メイは言葉を返した。
「……いえ、特には……強いて言うなら、今晩の夕餉の食材を買い足しに行かねばならないと言う所でしょうか……」
「それなら、僕もご一緒しても良いですか? 何なら、荷物持ちでもやりますから……」
その返答を聞き、“彼”はある提案を口にしたのだった。
その言葉を聞いて、彼女は思わず匙を取り落し、目を丸くした。
そして、暫しの自失の時を経た後で、喜色を滲ませて承諾の言葉を紡ぎ出すことになるのだった。