12 海水
続きです。
「え!? シオンも!?」
驚いたハチクの口から、ポロリと歯ブラシが落ちる。
「何があったんですか? すごく手が冷たいです。師範の手みたい」
「っ…………」
シュウリの義手は震え、俯いたまま黙っている。
「え? まさか、師範と何か……」
「僕のことはお気になさらず」
シュウリはそそくさと2人から手を離し、眼鏡を掛け直した。
放されたシオンの手には、既に丁度の代金が置かれている。
冷えたGを握りしめ、シオンは問いかけた。
「シュウリさん、間違っていたら教えて下さい…………大統領が、僕を指名したんですか。昨晩の一件を見て」
「……!!」
「そしてシュウリさんは、僕が父に叱られる姿を見て、『二度と傷つけない』と言ってくれました。だから、そんなこと望んでいない。違いますか」
シュウリの義手は、静かに細波を立てた。
「……大統領の"勘"は厄介でしてね。相手を一目見ただけで、どこまでも可能性を見抜くんですよ。君はもう、見つかってしまった」
静かな夜に、義手からポチャリ、と一粒の雫が落ちる。
そこへ今度は、シオンの方から義手を手に取った。
「とりあえずシュウリさん。もううちで食べていきましょう。お腹空いてますよね、冷えも酷いです。海藻のスープならすぐ作れますよ」
シオンの微笑みを見つめるシュウリの腹が、まぬけな音を鳴らす。
「ふふ。お疲れ様です、シュウリさん。中でお話しましょ」
「……お言葉に甘えて」
静かに眼鏡を掛け直すシュウリの心中は、仕草に反して非常にうるさいものだった。
(大統領に限らない。誰もが彼を欲するに決まってる。鋭い観察眼、他人に手を差し伸べる包容力、───何より)
シオンの指は、ぎゅうっと義手を掴んで離さない。
(この全身海水に満ちた僕を引っ張る、凄まじい腕力!! 宝星会としては手放す方がおかしい! ……僕だけが知っていればよかったのに……僕が守らなければいけないのに!!)
「置いてかないで、歯ブラシどっか行ったの!」
ハチクは、暗闇の中地べたを這っていた。
───────
夜の厨房内。かすかに2階から、シオンの父のいびきが漏れる。
シュウリの両義手の波の干渉が、食事の終わりを告げる。
「……ご馳走様でした。シオン君」
「お粗末さまでした。父も母も疲れて寝ているので、どんなお話でも構いませんよ」
スウ、とシュウリは一呼吸置き、言葉に詰まっていた。
空気を切り替えたのはハチクだった。
「あの、この度は俺を推薦して下さってありがとうございました。入会試験頑張ります。それと、これ。ヒトモドキ専門の宝星会にお渡しした方がいいですよね」
ハチクが懐から取り出したのは、昼間に倒したヒトモドキのオトシモノの、年季の入った指輪であった。
「これは……」
「2体現れたうちの1体を倒したら、これが落ちてきたんです。もう1体は、なんか鎧の方が倒しました」
「ご報告ありがとうございます……それにしても」
シュウリの脳裏に、エイテンとスバルを交えた会話が蘇る。
─────
「実はハチク様、もとい公爵子息には、本格的な鍛錬は行わず、護身術のみ教えさせて頂いておりました。理由はそのまま。彼が『公爵一家の後継』だからです。刀は、護身用に持たせとるだけです」
─────
「大嘘じゃないですか……」
「なっ、本当なんですって。これが落ちてきたんですって」
「あ、違います。こっちの話です……よし」
シュウリは指を外し、指輪を義手の海水へ仕舞い落とした。
「こちらは確かに、ハチク君の手柄として責任を持って預かります。本当にお疲れ様でした。それで、先程の話に戻してもよろしいでしょうか」
冷茶を片手に耳を傾けるハチクとは裏腹に、シオンは即座に頭を下げた。
「すみませんでしたシュウリさん。僕もその場にいました。でも、『無傷』で帰ってきましたので、あの、両親には……」
「僕達が無力で、君達が優秀だった。ただそれだけの事です。頭を上げてください」
シュウリは、義手を卓の上で組み、シオンをじっと見つめる。
「シオン君。一旦ご両親の事は置いといてほしい。君自身が、どんな進路を望んでいるか、僕は聞きたいんですよ」
「進路……?」
シュウリの眉間に皺が寄る。
「こんな事、ただの客が聞くのは変ですよね。でも、もう他人事じゃない。宝星会に、君は選ばれてしまったんだ」
シオンは考え込んだ。
少しの沈黙の末、シュウリに告白をし始めた。
「僕、進学を諦めたんです。知っての通りうちの店、ここ数年全然儲かってなかったから、学費なんて払えなかったので。…………本当は、貴方が勤めるマクロ学院の、栄養学科に入りたかったんです」
シュウリは、黙々と続きに耳を傾けた。
「マクロ学院は年齢不問なので、まあいつか、なんて思っていました。でも、常連のイニチッチさんの制服を見るたびに、どうしても……よくない気持ちが出てくるんです」
ハチクも、冷茶を飲む手を止め、聞き入っていた。
「イニチッチさんは、そのコンロを直してくれた恩人なのに、酷い話ですよね。でも考えてしまうんです。『僕もマクロ学院に通っていたら、どうなっていたんだろう』って。…………すみません。宝星会と関係なくて」
もじもじと揉んでいたシオンの両手に、ひんやりとシュウリの義手が重なる。
「僕も似たようなもんだよ」
「…………えっ」
シュウリのオッドアイの瞳が、優しくシオンを見つめた。
「……僕、こんな体でしょ。マクロ学院に通いたくても、両親に反対されていたんだ。当時はまだこれがなかったからね。『どうやって板書する気だ』って」
自虐的に微笑みながら、パチャパチャと手脚を鳴らしてみせる。
「とある友人が代わりにマクロ学院に願書を書いてくれてね。お陰で学問を学べて、成り行きで講師をしてる。授業の中で、自分で開発した義肢が動いた時は、可能性が広がったよ。Gはかかっても、後で返ってくるよ、マクロ学院は。…………いつでも待ってる」
「…………っ」
シオンの頬が紅く染まり、瞳が潤んでいく。
「そのGが、今のシオンにないんじゃないの」
ハチクの一言で、シオンの頬はスンッと元へ戻っていった。
シュウリの義手から、汗のように海水が滲み出ていく。
「実はその学費…………宝星会員になれば、大統領が全額負担するシステムです。マクロエリアは、フウガ共和国の領地なので。結局話が戻ってしまった…………」
シオンは下を向いたまま、小さく震える。
「…………ふふ、ふふふ」
「シオン君……?」
「シオン、何か面白い?」
「いえ、すみません。あまりにもよくできているから。大統領って、だから大統領なんだなあ」
シオンの顔が上がる。皆が見慣れているはずの笑顔が、どこかギラついていた。
「生粋の商売人ですね。尊敬しました。……そりゃ、うちのシオカラ亭が潰れかけたわけです。
─────はい。我が家の負けです」
静寂。シオンの瞳孔が、黒く開いていた。
「入会試験、僕も受けさせてください。素晴らしい交渉をありがとうございます」
ポカンとした顔で、2人はシオンを見つめる。
「万が一合格したら、僕は無償で志望校へ通えて、シオカラ亭の話題性は続く。不合格だったとしても、僕の将来を期待した方々が足を運び続ける」
「っ、その試験が、貴方の命を脅かすとしたら?」
シュウリの義手はピチャピチャと震えていた。
その手をシオンはそっと握りしめる。
「─────僕の命を奪った大統領に矛先が向き、子を失った我が家に風向きが変わります。シオカラ亭の勝ちです」
席を立ち上がり、掴み掛かったシュウリの肩がシオンに止められる。
「……! ……ぐっ!?」
シュウリは力の加減なくシオンに向かったはずである。
そんな成人男性を、両手で微動だにせず止め、語り続ける。
それが、長年苦渋ならぬ『塩』を舐めて育った、現時点でのシオンの力である。
「──────受けて立ちますよ。宝星会」
彼の穏やかな垂れ目は、シュウリをも貫くほど、鋭く黒く煌っていた。
厨房には、かすかな父のいびきだけが響いている。
「…………君の思い、しかと受け止めました。ただ、ひとつだけ言わせてください」
シオンから体を離したシュウリは、シオンの肩を叩いた。
「万が一シオン君が死んだら、僕もその場で続いて死ぬ」
静寂。
「……このイチバンボシの僕が後を追えば、ここは『いわくつきの店』となる。言ってる意味、分かりますね」
シオンは、彼の目を見てゆっくりと頷いた。
「ありがとうございます。心得ました」
「よろしい。では、君も試験を受けると」
シュウリが立ち上がり、懐の呼び出しボタンを押すと、シャッターの向こうで飛行艇が到着の音が聞こえる。
「『死なないで』って素直に言えばいいのにね」
ハチクが小声で、シオンに無邪気に耳打ちをした。
「何か言いましたか」
「うぇ、何も!」
即座に背筋が伸びたハチクを見て、シュウリは白衣の裾で口を隠した。
「ふふ。君って純粋だよね。僕は嫌いじゃないよ」
「む」
頭をパチャパチャと撫でられたハチクは、むず痒そうにシュウリを見上げた。
──────
「お見送りどうも。それでは夜も遅いので、お大事に」
「師範によろしく伝えてくださーい」
「また明日、常連さん」
彼は飛行艇に体を預け、颯爽と夜空へ溶けていった。
「……シュウリさん、夢を反対されていたんですね」
「すごいよね、手脚を自作って。反対したご両親、見返したんだろうな〜」
上空。ベッドの飛行艇に寝転がり、自宅へ向かう中、普く夜空に向けて、海水の手脚を透かした。
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「アバレルナ、血ガ溢レル」
「ハイ、ハンブンコ」
「シュウリ逃げて……立つの……」
「お前にはもう、脚があるんだ……」
「次ハ、ハラ」
「……シュウ……」
「……お前……だけ……は……」
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────
──
「『死なないで』、か…………」
四角い眼鏡の奥に沈むオッドアイの瞳。
もとい、義眼の片目。
死んだ灰色の目に、そっと義手を覆った。
シュウリの手脚が、みなさんの脳内でどんな絵になってるのかすごく気になる。




