35. 小3のときアメリカで一年暮らしたことが人生に大きく影響した
ドイツのエッセイなのに、今回はアメリカです。すみません。
もうすぐ50歳になります。
人間50年と謳った織田信長が本能寺の変で亡くなったのが48歳。
いつの間にか織田信長より年上になってた!
昔は50歳ってすごく大人で落ち着いてると思ってましたが、中身はたいして成熟しないまま外側だけ朽ちていっているなーと感じます。
40代はとても楽しかったです。
人生で一番楽しかったかもしれない。
10代は受験で必死。高校時代は毎日3時間睡眠で勉強の毎日でした。
20代は就職氷河期でひどい目にあい、やっと受かった会社で馬車馬のように働き、奨学金を返すためいつもお金がなく、結婚は出産はキャリアはーと悩みまくり。
30代になってやっと奨学金を完済し、結婚と出産とキャリアをどうするかまだ途方に暮れていました。
36歳のとき、13年勤めた会社を退職し、アメリカに語学留学し、そこで出会ったドイツ人と結婚。ドイツに移住。
40代で出産、離婚、小説家デビューができました。
色々あったけど、今が一番幸せかもしれません。
といっても、たいていいつも、今が一番幸せやわーと思える、そこそこ楽観的な性格なのですが。
私の50年の人生で、一番大きなターニングポイントになったのは、小3のときにアメリカのコロラド州に住んだことです。
父の仕事の関係でアメリカに行き、現地の小学校に通いました。
家族全員が本好きで、家には本が大量にあり、米英の児童文学を読み漁ってました。
特に大好きだったのがローラ・インガルスの「大草原の小さな家」シリーズ。
(https://www.crayonhouse.co.jp/shop/g/g9784834003567/)
福音館書店の大きな箱入りの本が一式あって、100回ずつぐらいは読んだと思います。
箱入りの単行本は高いので滅多に買ってもらえなかったのですが、大草原、ハイジ、モモは単行本で家にありました。
単行本っておやつを食べながら読むのにちょうどいいんですよね。
めくりやすい。
実家の大草原にはたくさんのお菓子のしみがついてます。
一年アメリカに行くよと親から告げられたとき、ローラの国に行くんだーと大興奮しました。
英語がしゃべれないまま、現地の小学校に行って、ローラやメアリーやアルマンゾのような子どもたちと友だちになりました。
私服を着て、ピアスやマニキュアをしているアメリカの小学生は、とても大人っぽく見えました。
登校初日では、同級生に囲まれて「Say Heather」「Say Mark」「Say Natalie」と言われて、めんくらいました。
みんな、自分の名前を教えてくれてたんですね。
英語がしゃべれなくても、子どもというのはあっという間に仲良くなるもんで、毎日楽しく学校に通ってました。
算数、音楽、体育の時間はみんなと授業を受け、それ以外の時間は英語が母国語でない子どもだけの英語教育を受けていました。特別英語教育を受けてたのは、日本人とスペイン人で合計10人もいなかったように思います。
アメリカってなんて自由で素敵な国と感激したのが、給食時間。
大きな食堂で、お盆を持って列に並び、自由に好きなものを選べるんです。
飲み物は牛乳やジュースのパックを取ってよく、ピザやパスタなど好きなメインを食べられるんです。
日本の給食は、あれはあれで楽しいですけど、アメリカのカフェテリア形式は自由度が高く、大人になったみたいでドキドキしました。
(UnsplashのCDCが撮影した写真)
毎朝、授業が始まる前に、先生が名前を読み上げるんですね。
その時に、お弁当か給食か自分で申告し、給食の場合はお金を先生に払います。
確か50セントぐらいだったような。
みんなと一緒のものを食べるという、日本式で育ってきていたので、お弁当だろうが給食だろうが、個人が決めるというシステムに驚きました。
日本とは違うなーと感じたのが、全校集会。
日本だったら、クラスごとに身長低い順にピシッと整列しますよね。
それで、前へならえってして列を整え、座るときは体育座り。
アメリカだと、ぺちゃくちゃしゃべりながらダラダラと集まり、みんな好きなところにてんでバラバラに座り、しかもあぐらなんです。
毎日がカルチャーショックでした。
嬉しかったのが、夏休みが6月~8月末ぐらいまで、約3カ月もあったこと。
しかも宿題がありません。
家族で旅行をしまくりました。
車のトランクに炊飯器、米、インスタントカレーなんかを詰め込んで、ひたすらドライブ。
(UnsplashのPaul Trienekensが撮影した写真)
アメリカって広大な国なので、道路がまっすぐ地平線まで続いてるんですね。
そして、空がすごく高い。空気が乾燥しているからだそうです。
当時はナビなんてなかったですから、紙の地図を広げ、今どこだから次はどこの道路でーなんて、父と母が相談しながら運転してました。
割と行き当たりばったりで、宿の予約なんてしてません。
夕方ごろになると、家族全員で空き室ありのモーテルを血眼で探します。
(UnsplashのMaxime Roedelが撮影した写真)
満室だとネオンサインが「NO VACANCY」なんですね。ずっと「NO VACANCY」のモーテルが続いて、やっとこさ「VACANCY」のサインをみつけると、家族全員で歓声を上げます。
そして、部屋についたら、母が炊飯器でお米をたき、みんなでカレーを食べました。
自然が豊かで、たくさんの野生動物を見ました。
角がマイタケみたいなムース、グルグル角のビッグホーン、巨大なパイソンなど。
(UnsplashのShivam Kumarが撮影した写真)
(UnsplashのGower Brownが撮影した写真)
(UnsplashのEric Murrayが撮影した写真)
大草原の小さな家で読んだ世界が広がっていました。
ずっとこのままアメリカに住んでいたいって頼んだのですが、父は帰りたかったみたいで、泣く泣く、しぶしぶ日本に帰ってきました。
一年ぶりの日本の小学校で、久しぶりに前へならえをしたとき、心の底から絶望したのを覚えています。
「アメリカ帰りめ、アメリカへ帰れ」って上級生男子からいじめられましたしね。
いつか、アメリカに住むんだって、あの自由で豊かな国に戻るんだって、心に決めました。
ところが、36歳になって語学留学したら、私の大好きだった古き良き、大草原の小さな家的なアメリカはすっかりなくなり、貧富の差が拡大し、路上生活者があふれ、そこでまた絶望しちゃうんですけどね。
世界が悪くなっているのか、それとも私が色々知ったことによって精神が摩耗してアメリカから輝きが失せて見えるのか、どちらなのかわかりません。
娘には世界がきらめいて見えてるようなので、それが救いです。




