開門(キックオフ)
「なんだ、これ……どうなってんだよ……!」
パニックに陥り、
その場から逃げ出そうとした時だった。
神社の入り口から、
下品な笑い声が聞こえてきた。
「おい見ろよ、マジで誰か寝てるぞ」
「うわ、ホームレス?
いや……ちょっと待て、
あれ元子役の蓮じゃねえか?」
派手な色のスカジャンを着た若者二人組が、
スマホを片手にこちらへ近づいてくる。
彼らの顔には、
獲物を見つけたハイエナのような、
薄汚い好奇心が張り付いていた。
「マジだ、本物の蓮だ! 劣化しすぎだろw
今日のバズネタ確定だな」
一人の男が、
嘲笑と共に蓮の顔の数センチ先まで
スマートフォンを突き出した。
フラッシュの光が、蓮の網膜を白く焼く。
(……やめろ)
蓮の胸の奥で、
黒い澱のような感情が渦巻いた。
かつての鬼童。
自分を商品として使い捨てた大人たち。
そして今、
目の前で自分を「死体」のように
撮影して愉しんでいる無知な若者。
すべてが重なり、
蓮の脳内で何かがパチンと弾けた。
(跪け……俺を笑うな。
お前ら全員、俺の下に這いつくばれ……!)
その瞬間、
石化した右指が、
心臓の鼓動を上書きするほどの
激しい熱を帯びた。
蓮は本能的に、右指の指先で、
若者が構えるスマートフォンの画面を
なぞるように**「スワイプ」**した。
空気を切り裂くような、
キィィィンという高周波の音が、
蓮の脳内にだけ響いた。
「……あ?」
スマホを向けていた若者の動きが、
糸の切れた人形のようにピタリと止まった。
その瞳から光が消え、焦点が虚空へと泳ぐ。
数秒の静寂の後、若者の顔面が、
まるで熱病に浮かされたかのように赤く染まり、
目からは止めどなく涙が溢れ出した。
「ああ……ああああ……!
蓮、さん……蓮、さま……っ!」
若者は持っていたスマートフォンを
地面に投げ捨て、蓮の足元に滑り込んだ。
彼は泥だらけの石畳に額を擦り付け、
嗚咽を漏らしながら蓮の汚れた靴を抱きしめた。
「すみません……なんて、なんてことを……!
あなたは、あなたは僕たちの光だ!
あなたの素晴らしさを、
今の今まで気づかなかった
僕を殺してください!!」
隣にいたもう一人の若者も、同様だった。
彼は自分の顔を何度も殴りつけながら、
恍惚とした表情で蓮を見上げている。
「蓮さま……。
僕を見てください、
僕を……あなたの奴隷にしてください……!」
蓮は、その光景を冷徹な目で見下ろしていた。
恐怖は、すでに消えていた。
代わりに込み上げてきたのは、
背筋が凍るような、
しかし甘美な**「全能感」**だった。
かつて鬼童が自分を操り、
日本中を熱狂させた「魔法」。
今、自分の手にあるのは、
それよりも遥かに強力で、
暴力的な「強制発火」の力だ。
「……ああ、そうだ」
蓮は、自分の足元で泥を舐めている若者の頭を、
ゆっくりと撫で下ろした。
かつて鬼童が、自分に対してそうしたように。
冷たく、事務的に、そして完全な支配者として。
「最高だよ。お前ら……いい『演出』だ」
蓮の右指の石化が、
歓喜に応えるように不気味な音を立て、
第二関節へと這い上がってきた。
石の表面には、
数万人の呪詛が結晶化したような、
淡くどす黒い光が明滅している。
「待ってろ、鬼童……。
お前が俺に教えた
『嘘を真実に変える仕事』……。
今度は俺が、お前で試してやる」
蓮が立ち上がり、
廃神社を後にしようとしたその時。
背後の鳥居の影から、
一人の男が音もなく姿を現した。
狐の面を被り、
仕立てのいい黒のスーツを纏った男。
「素晴らしい、開門です。
有馬蓮さま」
男は深々と頭を下げた。
面の下で、男が冷笑を浮かべているのが
気配で分かった。
「契約は執行されました。
あなたはこれから、世界という名の生贄を集める
『ゲートウェイ(門)』となる。
……代償の回収は、
あなたがその栄光の頂で、
最も美しく咲いた瞬間に
始めさせていただきます。
それまで、
精々この偽りの黄金の日々をお楽しみください」
案内人・コトシロの声が、
雨の音に溶けて消える。
蓮は振り返らなかった。
右腕の重みは、
すでに彼にとって「呪い」ではなく、
世界を叩き潰すための
「武器」となっていた___。
第1章、完。




