失踪のわけ 2
健一が実家にたどり着いたのは、午前0時を少し回っていた深夜だった。
両親はすでに寝ているようで、奈美の部屋の明かり以外は消えている。
疲れた身体を早く休ませたい気持ちをこらえ、物音を立てないように家に侵入、二階の自分部屋へと向かう。
部屋の電気をつけ、扉を閉めたところで健一はへたり込んだ。
疲れた。
肩に担いだ荷物を下ろし、ベッドまで這うように移動する。
誰にも咎められずに寮を出る事できたのは幸いだった。午後三時過ぎだ。
途中、図書館に寄ったり、本屋で探し物をしたりでこんなにも遅くなってしまった。
ドアをノックする音がして、奈美が入ってきた。
ティーシャツにショートパンツ、いつもの夏の部屋着姿がなまめかしい。健一はそっと目を伏せた。
「健一、ありがとう!」
「うわああ!」
奈美がベッドに押し倒すようにダイビングしてきて抱きついてくる。
胸の感触を感じて、健一は頭が真っ白になっていた。
「もう一度、整理するよ。清水さんはガンで入院。退院の前日に清水さんのベッドで顔見知りの広川って老人が殺されていた。発見されたときにはまだ、清水さんはそこにいた」
健一は勉強机に移動し、ノートパソコンを前にしていた。傍らには缶切りで開けた業務用の粒あんの缶詰に銀色のスプーンが突き刺さっている。
「そうだよ。静香さんがお父さんの見舞いに行ったら、そのベッドで遺体を見つけた。びっくりしたところにお父さんが戻ってきたって言ってた。でも、警察が来る頃にはいなくなっていて、病院中探してもいなくて、そのまま消えちゃった……」
健一のベッドの上で女の子座りをしている奈美が言った。
清水が失踪して三日が立っている。
「その静香って人と清水さんの関係は?」
「たぶん、恋人同士」
「たぶん? そう紹介されてないのか?」
「……お父さんとはほとんど会話できなかったから」
奈美はうつむいてしまった。
健一はスプーンに山盛りのあんこをすくって、口の中に放り込む。
広川の死が清水失踪につながっていることは間違いないだろう。気になるのは、その前日に会ったとされる立石というライターとの関係だ。鶴舞の爆発火災の犠牲者となっていることも気にかかる。
「どう? なにかわかったことない?」
まっすぐに見つめてくる奈美に健一は困惑していた。
「まあ、今の段階ではたいしたことは……」
「でも、たいしたことじゃなきゃわかってるんでしょ? 健一は私と違って頭いいんだから」
なおもまっすぐに見つめてくる奈美に、健一は大きくため息をついた。
「現時点で清水さんが失踪した理由として考えられることは、三つだ」
奈美は「うんうん」と前にのめりだしてくる。
「まずは自殺をするための失踪。清水さんはガン患者で余命宣告もうけている。そういう人が失踪したとなれば、まずはそれを疑うべきだろう」
「それはない。お父さんは自殺なんかしないもん」
「自信満々だな。なぜそう言い切れる?」
「だって約束したから。夏休みになったら水族館案内してくれるって」
「それって静香さんとした約束だろ? それは約束のうちに入らない」
「とにかく、お父さんは自殺なんかしない」
健一は右手に持ったスプーンの柄の部分で頭を掻いた。すこし意地悪だったかもしれないと反省する。
「まあ、俺もこれはないと思う。広川や立石の死が失踪と無関係とは思えないからな」
「じゃあ、二つ目」
「清水さんが殺人事件の犯人またはその協力者であった場合だ。警察から逃れるための失踪というわけ」
奈美は大きくため息をついた。
「健一、真面目に考えてる? そんなわけないじゃん」
「残念ながら大まじめだ。一番有力なのはこれだと思う。警察もそう考えて捜査しているかもしれない」
「お父さんは人殺しなんかしない」
「……気持ちはわかるが、奈美だって清水さんのことよく知らないだろ? 何年も会ってないんだし」
「会ってなくたってわかるよ。お父さんは優しい人だもん」
顔を真っ赤にして怒っているようだった。無理もない。気持ちは分かる。だが、論理的ではない。
「ただ、この場合も疑問点は残る。清水さんに鶴舞の爆発火災事故は起こせない。もう一つ、広川を殺した後すぐに逃亡すればいいのに、病室に戻ってきたことも疑問が残る」
「なんだ、びっくりさせないでよね。じゃあ違うじゃん。三つめは?」
怒ったカラスがもうほっとしている。
だが、これが有力であることは間違いない。
「最後は危険を感じて身を隠している場合だ。知り合いが立て続けに死んだことにより、次は自分かもしれないと恐れた。または、清水さんの病室で広川が死んでいるのを見て、自分と間違われて殺されたんだと思ったから」
「う~ん、それっぽいけど、お父さんが何に対して身を隠しているかの理由がわからないと失踪の理由もわからないってことにならない?」
「そういうこと。この場合、立石が事故でなく殺されたのだとする必要があり、誰からなんのために殺されたのか、清水さんとのつながりがなんなのか……わからないことだらけになる」
「なるほど……」
「まだまだ疑問点はある。清水さんと間違われて広川が殺されたとするのはいささか強引な気もする。年齢も背格好もずいぶん違うようだしね。それと一番の疑問点は警察に保護を求めなかったこと。身の危険を感じているなら、普通は警察に相談するものだ。病気の身体で身を隠すリスクを負う理由がわからない。よほど警察には知られたくない秘密があるのか……」
健一はあんこをほおばった。
奈美も頭に人差し指を突き付けて考え込む。
「とにかく、静香さんに話を聞きに行こう。明日のテストで奈美の期末試験は終わりだろ? 終わったらその足で知多へ行く」
「了解」
奈美は警察官の敬礼のポーズをして出て行った。
奈美がいなくなった部屋で健一はパソコンのキーボードをたたいていた。
東京から持ち帰ったカバンの中から、立石茂則著の本が二冊顔を出している。
健一はモニター画面から目を離し、その本を見た。
粒あんの最後の一すくいを口に入れ、空いた缶にスプーンを放り込む。
立ち上がって、床に転がっているその二冊の本を手に取った。
一つは未成年殺人者の手記をまとめたもの。そしてもう一つは冤罪の可能性を示唆した殺人事件に関する本であった。