通りすがりの殺人者 6
入院して数日後にはある程度動けるようになった。腹部の痛みはまだ残るが我慢できないほどではない。食欲はあまり戻らないが、食事もできるようになり、退院の許可も下りた。
明日にでも退院という日の夜、顔を出さなかったルカが現れた。表に出ろという。
近くの河原まで歩き、鉄橋の明かりが照らす空き地まで連れていかれて対峙した。
曇り空で風が強く吹いていた。鉄橋を渡る電車の音が辺りに響く。周りに人影は見えない。
「清水のナイフだ」と、手渡された。公園で男にかかっていったときに構えた果物ナイフだった。
清水は眉を寄せた。こんなところに連れてこられ、ナイフを返される。ルカの意図が分からなかった。
「ルカ?」
「それで私を刺してみろ。ターゲットを殺すつもりで」
何を言っているかわからなかった。だが、ルカの顔をしばらく見つめ、理解した。
「人の殺し方を教えてくれるつもりか?」
ルカは黙ってうなずいた。
清水は折りたたみの刃を出し、しばらく考えた後、また刃を折りたたんだ。いくらルカがプロだとは言っても、もしものことがある。
「刃をしまったままでもいいか?」
「好きにしろ……だが、本気でやれ。ターゲットを殺すつもりでだ」
清水はイメージした。
目の前に富田タケルが現れたと想像する。恐怖が湧いてくる。手の中のナイフを強く握りしめた。
ルカは無表情のまま、ただ立っていた。短い髪が風に揺れている。
清水は両手でナイフを包み、構えた。だが、一歩が出ないまま時が流れた。
「どうした? そんなんで人が殺せるのか?」
ルカの言葉が終わるころ、頭の上を列車が通過する。その轟音に後押しされるように清水は飛び込んでいった。狙うのは心臓。そこを刺すことができれば人は死ぬはずだ。
腕を伸ばした。ルカの胸を貫くつもりでやった。躊躇なくできたはずだった。
だが、ヘッドスライディングのように地面に叩きつけられていた。何のことはない。ただルカが避けただけだった。
列車が通過して行き、音の響きが遠のいてゆく。
「そうやってターゲットを殺せると思っていたのか? どうしようもないな……殺気丸出して向かってくれば、私じゃなくても簡単にかわされてしまう。人は止まった的じゃない。動くんだ」
清水は顔をしかめて立ち上がった。
「じゃあ、どうすればいい?」
「ナイフ術は武術と同じだ。長い鍛錬と型の習得。何度も反復して身体に叩き込む」
「そんな時間は……」
「だから、基本の形だけ教える」
ルカは左手で清水の右手首を掴み、「関節をきめ」と背中の方に捻り上げ、「相手の動きを封じ」と左ひじで清水の首を後ろから押さえ込み、「急所を狙う」と首筋に右人差し指を当てた。
清水の右ひじに激痛が走る。
「あるいは……」と今度は仰向きに倒されながら「関節をきめ」と右肩を締め上げ、「動きを封じ」とのどに肘を当てて押さえこみ、「急所を狙う」とのどぼとけの下に左手の人差し指を当てた。
清水はあまりの喉の痛みに慌ててタップし、開放された後もはげしくせきこんでしまった。
「大丈夫か? 手加減したつもりだったが……」
「だ、大丈夫だ。しかし、鮮やかなもんだな。いいように転がされてしまった」
「それから、心臓への攻撃はあまりおすすめしない。小型のナイフでは骨に当たってしまったり、防弾チョッキやアクセサリーが邪魔になることもある。狙うなら首がいい。頸動脈を切断できれば間もなく絶命するし、声帯を傷つけられれば声も出せない。刃物を当て、素早く引くようにするとうまくいく」
ルカは清水の首筋にもう一度、人差し指を当て、素早く引いた。
清水は一瞬ひやりとした。いま、首が引き裂かれたような感覚がしたからだった。あわてて、首に手をやる。大丈夫、皮すら切れていない。
「ちなみに、私の得物はこれだ」
ルカは右手を清水の顔の前にかざし、軽く振った。すると、人差し指と中指の間に剃刀の刃が現れた。手品を見ているよう。
「こんなものでも正確に急所を切断できれば、簡単に人は死ぬ」
「……」
清水は圧倒されていた。背筋に冷たいものが走る。そればかりか全身から汗が吹き出し、真夏だというのに身体が震えた。
「教えてくれ。今の体術を覚えたい」
どれほど時間が過ぎただろうか。
考えてみれば、こんなことに付き合う義理はルカにはないはずである。ただの気まぐれかもしれない。だが、清水にとって、今一番必要なものであった。もう、時間がないのだから。
身体が限界にきて倒れこんだ。息が荒い。吐きそうだった。
ルカは清水の傍らに座り込んだ。息は乱れていない。
「清水、そろそろお別れだ」
「え? ああ、そうなのか……」
それも仕方ないと清水は思った。もともと住む世界の違う人なのだから。
「ルカ、いろいろありがとう。君のことは忘れない」
清水は起き上がり、握手を求めた。
「まだわからないか清水は……殺し屋になど会っていないし、覚えていない。それでいいんだ」
「そうか、そうだった……でも、僕は忘れない。心優しい殺し屋に出会ったことを……」
「……」
いつのまにか風も弱まり、月が顔を出していた。水面に輝く月の破片を穏やかな気持ちで眺めながら、清水はルカと別れた。
二度と会うことがないかもしれない。ただ、彼女の人生が光に照らされた場所であればいいと心から願っていた。




