通りすがりの殺人者 4
清水は身体を起こそうとして、腹部に強烈な痛みを感じた。
「まだ動かない方がいい。空手の有段者の蹴りをまともに食らったんだ。動くどころかしばらく食事もできない」
ルカの言葉に、清水は記憶がよみがえってきた。そうだ。あの男にやられたのだ。
「あの娘はどうした? 助かったのか……もしかして君か?」
ルカの顔を見た時から、どこかで見たことのある顔だと感じていた。髪型が違うし、化粧もしていないが、富田タケルのマンション近くで見たチェック柄のミニスカートの女の子。そして、公園で男に襲われていた女の子に似ている。
「そう……私……」
ルカは表情を変えなかったが、返事にためらいがあるように感じた。
「そうか、良かった」
清水は腹部を抑え、枕に頭を深く沈めた。と同時にある光景が頭に浮かんだ。はっきりとはしないがそうだったように思える。
「あの男……死んだのか? 君が殺した?」
「……」
「どうなんだ? 僕には君が男の首を切り裂いたように見えた」
ルカは大きくため息を吐いて、目を伏せた。
「おまえ、馬鹿なのか?」
「え?」
「それとも日本人はみんな危機管理能力が低いのか?」
「なんの話だ?」
ルカは額に手を当て目をつぶった。どうやら馬鹿にされたらしい。
「仮に私が殺人犯だとする。清水が目撃者なら、私は清水を殺すだろう。気を失って何も見ていないと思ったから、清水は生きている。分かるか?」
「ああ、なるほど……」
「だから清水が自分の身を守りたいなら、何も見ていない。覚えていないと言うしかない」
「……」
清水は考えた。確かにそうだ。なら、なぜ今すぐ殺さないのだろう。こんな解説まで持ち出して。
「なぜ、助けようとした? 自分が殺されるかもしれないのに」
ルカの顔は無表情だった。まるで、攻められているような気分になる。
「人を助けるのに理由が必要か?」
「家族や大切な人のためなら勇気ある行動だと思う。だが、私はまったくの他人だ。命をかけてまで助け出す義理はない。無謀だ」
「それは仕方がない……そういう風にできているのかもしれない僕の身体は……勝手に動くものは止められない」
確かにそんな感じだった。二十四年前も、そして今回も。足がすくむほど怖いのに、なぜか……。
今更ながら、身体が震えてくる。
一歩間違えれば、死んでいたかもしれなかった。
「水、飲むか?」
ルカは返事も待たず、水差しからグラスに水を注いだ。そういえば、喉がからからに乾いている。腹部に力が入らないようにゆっくりと起き上がる。ルカが手を貸してくれたが、やはりひどい痛みだった。
グラスを手に持った清水は少し躊躇していた。
「大丈夫。私は毒殺などというつまらない殺し方はしない……仮に殺し屋だったとしたらの話だが」
「殺し屋?」
清水はなるほどと思った。あの鮮やかな殺し方はプロの技だったのかと納得がいった。ならばまた、自分は余計なことをしたことになる。彼女を助けるなど必要なかった。むしろ、迷惑をかけてしまったことになる。
グラスの水を一気に飲み干した。
不思議な感覚だった。目の前に美しい殺人者がいる。なのに、恐怖も怒りも感じない。善悪で言うなら、人殺しはどんなに取り繕っても悪のはず。
「やはり、危機管理能力が欠けているな」
「……脅かすな。ただの水だ。君は僕をからかって楽しんでいるのか?」
「楽しむ?」
ルカは考え込んでいるようだった。不思議な女だと思った。ほぼ無表情で愛想もない。殺し屋だといいながら、恐怖で支配しようとしない。二〇代後半くらいに見えるが、まるで小学生の少女と話しているような気分になる。
「君は悪党しか殺さない殺し屋じゃないのか?」
清水にはそう思えてならない。
「私は生きる価値のない者しか殺さない……仮に殺し屋なら」
「それなら聞きたい。どうして悪党だとわかる? 今まで、間違ったことはないのか?」
「間違ったことはない。悪人は臭いでわかる。人を殺して平気でいられる人間、我々のような危険な人間も独特の臭いがする」
「……臭い?」
「そうだ」
ルカの言葉はにわかには信じがたい。だが、もしそんな臭いがあり、自分にそれをかぎ分けられる能力が備わっていたのなら、二十四年前に間違えることなどなかった。
「なら、僕はどうだ? 僕は人を殺したことがある。人殺しの臭いがするか?」
「清水は人殺しの臭いも悪人の臭いもしない……ただ死の臭いがするだけだ」
「死の臭い?」
「そうだ……死を掛けてまで誰を殺すつもりだ?」
清水は驚いた拍子に腹部に力が入り、顔をしかめた。
見透かされている。死期が迫っていることも、人を殺したいと思っていることも……。
「なぜ、それを……?」
「どうしてこんな話をしていると思った? 清水から依頼をもらうためだ。誰を殺したいか言え。そいつが悪党なら代わりに殺してやる」
ルカの無表情を初めて怖いと感じた。人を殺させろと迫る女性が目の前にいる。若く美しい殺し屋に西洋の神話に出てきそうな荒ぶる女神の印象が重なった。
清水は考えた。まさかこんな展開になるとは思わなかった。プロの殺し屋に依頼するなど、少しも考えたことなどなかった。そういう選択もあるのだと初めて知ったのだった。だが……。
「君に殺しの依頼はしない……仮にルカがプロの殺し屋だったとしても」
ルカは顔をしかめた。まるで言っている意味がわからないとでもいうように。
「お金の問題か? 仲介を通さない分、格安にしておくぞ」
「そうじゃない。君に罪を追わせられない。これは僕が背負うべき罪であり、罰なのだから」
「はあ? 私はプロだぞ。私に任せた方が確実にターゲットを始末できる」
「そうかもしれないけど……そうじゃないんだ」
二人の間に沈黙が流れた。
眉をよせていただけのルカの顔が次第に緩み、笑顔へと変わっていく。ルカの笑顔を初めて見たと清水は思っていた。だが、それにはとどまらず顔をくちゃくちゃにし、大声を上げて笑い出した。涙を流し、清水の背中をバンバン叩きだし、ベッドのうえを転がるように笑い出した。気で触れたのかと心配になるくらいの爆笑ぶりがしばらく続いた。
なにがそんなおかしかったのか清水は考えてみたが、よくわからなかった。
ただ、小さな女の子がふざけて遊んでいるようにしか見えないなと感じていた。




