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東郷の決意

「なーんていうのは冗談ですから、さ、はやく入って」

そう言って、防水靴を履いた霧島が浴室から東郷を手招きした。

「とかいいつつ、なんでお前まで入ってくるんだよ、霧島」

「洗ってあげますよ、ほらこっち」

「いや、いいって、自分でやるよ。それくらい」

頑として抵抗を試みる東郷であるが、最後の砦のバスタオルが霧島の手によって剥ぎ取られてしまう。

「や…やだっ、霧島」

東郷が泣きそうな顔をする。

「だからもう! お風呂に入るにしても女の子は色々大変なんですってば。だからちゃんということ聞いてください。センパイ」

霧島がそう言って着ているトレーナーの腕をまくった。

「女の子はね、いつもきれいにしていなくちゃいけないんです」

優しい温かさでシャワーが東郷の頭に降り注ぐ。

「じっとして」

髪を手際よく洗い上げていく霧島の手が気持ちよくて、東郷は目を閉じてしばしされるがままになっていた。

「シャンプーの後は、トリートメントをしみ込ませて、その後はコンデショナーです」

「うっ……女の子って本当に大変なんだ」

「そうですよ、この髪の長さとキューティクルを保つのは至難の業なんです」

そう言いながら、霧島はコンディョナーを洗い流し、タオルで髪をアップにした。

「あっ、ちなみに身体についたトリートメントやコンデョナーをきちんと洗いながさないと、後でニキビや肌荒れの原因になってしまうんです。気をつけてくださいね」


(疲れた)

東郷は小さく溜息を吐いた。ドライヤーで霧島に髪を乾かして貰っているのだが、ドレッサーの鏡に写ったその顔には、すでに疲労の色が濃く滲み出ている。

「そんな顔しないでください。センパイもきれいな女の子は好きでしょう?」

「いや、まあそれはそうなんだけど、ひょっとしてこれを毎朝やるの?」

東郷はげんなりとその場に突っ伏した。

そんな東郷を霧島が不思議そうに見ている。

「楽しくないですか?」

「へ? 楽しい?」

東郷が素っ頓狂な声を出す。

「そうですよ。女の子だったら誰でもきれいになりたいって思いますよ。だから必死で努力するんです。そしていつもより少しだけきれいになった自分を、好きな人が見つめてくれたら……きっとすごく幸せだろうなってずっと思ってました」

そういって鏡越しに霧島が笑っている。

(ヤバイっ、今のキュンときた)

東郷はくらくらとした眩暈を覚えながら赤面する。

「なに? どうしたんです? 顔赤いですよセンパイ」

そういってからかうように言った霧島の顔を、東郷が両手でやんわりと包みこむ。

「あのさ、俺お前のことちゃんと好きだからな」

その言葉に、霧島が静止する。

「あ……ああああのっ、霧島?」

その沈黙に東郷が一瞬焦りを覚えたのだが、やがて霧島にきつく抱きすくめられる。


霧島は泣いていた。

無言のままで小さく肩を震わせて。


「霧島……?」

東郷の瞳が見開かれる。

「お前なんで泣いてんの?」

東郷が慌てて後ろを振り返り、霧島の顔を上げさせる。

霧島は泣き顔を見られまいと、顔を背けようとした。

「なんでだよっ、好きだっていってんのに何で泣くんだよ!」

胸に一抹の不安が過り、東郷は声を荒げた。

「嬉し……く……て」

嗚咽混じりに霧島がようやく応えた。

「その言葉欲しさに、あたし死にそうになってましたから……」

霧島は泣きながら笑った。


その笑顔に、東郷はきつく唇を噛んだ。

(俺はこいつにこんな顔をさせて、一体何やってたんだろう)

自責の念に胸を掻き毟りたい衝動に駆られる。


(恋とは誰しも命がけなのだ。その過程で負った傷が原因で、死んでしまう奴だっている。

傷つくのが恐くない奴なんていやしない。

だけど霧島は逃げなかった。

何度拒否されても、そのひたむきな瞳を俺から逸らす事は一度もなかった。

俺が霧島を拒否した分だけ、その心にはきっと無数の傷がついているはずだった)


「霧島ごめん」

東郷は霧島に頭を下げた。

「俺はお前を癒す事ができるのだろうか? 今からでもそれを償うことができるのだろうか?」

東郷が霧島を真っすぐに見据えた。

「俺はもう逃げないよ。何度でも言う。俺、お前が好きだからなっ! 寝癖ついてても、たとえ風呂に入ってなくたって、俺、ちゃんとお前のこと好きだからなっ!」

東郷が顔を真っ赤にして半ば怒鳴っている。

不器用ではあるが、その言葉は確かに霧島の心を打った。

「ありがとうございます。もういつ死んでも悔いはありません」

そう言って霧島はにっこりと笑った。

「ああもう! ったく……縁起でもねえこといってんじゃねーよ。これからだろ? 受験終わったらデートするんだろ? だったらプラン練っとけ。どこでもお前の好きなところに連れてってやるから」

そう言って東郷が霧島を見やる。

「いっ痛ぅ」

刹那、ちくりと下腹が痛んだような気がして東郷が顔を顰める。

「なに? どうしました? センパイ」

霧島がそんな東郷を怪訝そうに見つめた。

「別に、どうもしねえよ。それより飯食いにいこうぜ」

東郷は曖昧に笑って霧島とダイニングへと向かった。




◇  ◇   ◇



『2-C』の教室の前まで霧島が東郷を送った。

「窓際の後ろから二番目の席があたしの席です」

「おう、わかった」

霧島がそういって指差した席の前には、剣道部の現主将である仙台がいた。

「あっ、ラッキー前の席、仙台君だし」

そんな東郷の視線に気がついたのか、仙台もこちらを一瞥した。

東郷が仙台に会釈すると、仙台はなぜだか真っ赤になって視線を外した。

「なんでい、仙台君の奴……変なの」

東郷はそんな仙台の態度に、少し拗ねたように口を尖らせた。

一方霧島は、そんな仙台に対して剣呑な視線をくれる。

「あのムッツリ、さては惚れたな。絶対許さねえ……センパイ、くれぐれも気をつけてくださいね。なんせセンパイは今あたしの身体で、しかも超絶乙女なセンパイの精神が入っているんですからね。女としての色気むんむんなんですからねっ! スーパーサイヤ人だってめじゃないくらいに最強なんですからねっ! そこんとこちゃんと自覚してくださいよ。じゃないと大変なことになるんですからね」

霧島が東郷の両手を握りしめ、泣き出さんばかりの勢いで必死に訴えている。

「な……なんかよくわからんけど、とりあえずわかったよ」

東郷は霧島の迫力に押されて渋々頷いた。


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