男コンプレックス
東郷忠臣は、ため息を吐いた。
風呂上がりに、生まれたままの姿を鏡の前にさらしてみる。
「俺、マジ体毛やばい。剃るのもアレだし、いっそのこと脱毛しちまうか」
間もなく高校生活、最後のバレンタインデーを迎えようとしている。
東郷にとって、いや世の男性の諸君にとって、それはむしろ受験よりも大切な行事であった。
もっとも頭のいい東郷はすでに滑り止めの大学にも合格していたし、受験だからと特にプレッシャーを感じることはなかった。
目下の悩みは異性関係。
そう、現在東郷には彼女がいない。
高一のとき、通学電車で告白されて一度付き合ったことがあったが、他人より体毛が濃いせいでこっぴどく振られてしまったというトラウマがある。
悲しい過去を思い出し、東郷は少し涙ぐんだ。
人間とは皆、なにかしらのコンプレックスを抱えている。
特に自分に自信が持てないときほど、他人から見れば取るに足りことないでぐちぐちと悩む。
やがて時が立てば、それを笑い飛ばす度量もできるのだが、そのときは気がつかない。
ひたすらに自分の殻に閉じこもり、その傷を舐めることで精いっぱいになっているもんだ。
◇ ◇ ◇
昼休みの食堂は、戦場だ。
腹を空かせた育ちざかりが、ざっと1000人ほどつめかける。
五台ある食券機の前にはすでに長蛇の列ができており、生徒たちは苛々と自分の番を待っている。
毎日食券機の前に並ぶのが嫌で、東郷のポケットには密かに数種類のメニューを表示した食券が忍ばせてあった。
「なんにすんの? 如月」
隣で如月は壁に貼り付けられてある、少し黄色く変色した手書きのメニュー表をまじまじと見つめている。
「ほんじゃあ、俺今日ラーメンにするわ」
東郷は制服のポケットを探り、ラーメンの食券を如月に手渡した。
「ほれ」
「あらあ、毎度のことながら気が利くのね、東郷君は。まるで世話焼き女房みたい」
茶化したようにそういった如月を東郷は横目で軽く睨んだ。
「うるせーよ、どうせ俺は外見強面で、体毛濃いくせに、中身は女々しいやつだよ。
モテねえよ。つうか、てめえ金払え、320円だ」
そういって、東郷が如月の前に手のひらを差しだすと、如月はぺろりと舌を出した。
「東郷君のいけずぅ~」
そういって、口をとがらせる。
「俺は男には奢らんと決めている」
そういうと如月はしぶしぶ財布から320円を取りだし、東郷に支払った。
「なあに? 東郷君まだあの失恋をひきずっているわけ?」
少しにやけた顔で如月が東郷の顔を覗きこんだ。
如月がラーメンをすするその横で、東郷がトリめし丼をかきこんでいる。
如月はイケメンだ。
少し色素の薄い髪は、脱色したわけではなく自前である。
母方の祖父がスェーデンの人で、クォーター。
そういうわけで如月は目鼻立ちの整った、どこか日本人離れした容貌をしている。
(腹立つくらいのイケメンだよね、君は確かに)
東郷はまじまじと如月を見つめた。
「いいよね~、君は。女なんて掃いて捨てるほどいるもんねぇ。どうせ俺はモテないよ。だってケツ毛ボーボーだもん」
かという東郷も強面ではあるが、決して不器量なわけではない。
男らしい野性味と凛々しさから、戦国バサラに登場する片倉小十郎を彷彿とさせる。
いわば寡黙なワイルド系美男子といったところか。
「アレだよ? モテるモテないって、体毛はむしろ濃い方が男も女もモテるんだよ。そもそも体毛っていうのは自分のフェロモンをできるだけ遠くに飛ばすためにあるもんだしよ。だから東郷君は自分がモテないことを体毛のせいにしちゃあ、いけねぇ」
(はーん、いい男にはわからねえよ、このナイーブな男心なんて)
東郷は鼻を思い切り顰めて見せた。
如月はそんな東郷をを気にもかけず、ひとりで話を進めている。
そんな二人を遠巻きに女子たちが眺めていた。
(キャー、ラッキー。如月先輩と、東郷先輩だわ。何を話しているのかしら)
(どんな話題でも、あの二人なら絵になるわ~)
絵になるか? っていうか、体毛について、だぞ?
夢見がちな年頃なのであろう。
乙女たちは憧れと羨望の混ざった、複雑な視線を二人に送り続けた。
「あっ、だからさあ、男と女ってのはもっとスピリチュアルな何かなんだよ。俺の姉貴が超当たるって言ってた占い師がいるんだけど、放課後行ってみねえか?」
そういって、如月が身を乗り出した。
(占い、ねぇ……)
東郷はあまり気乗りしなかったが、せっかく如月が勧めてくれたこともあるし、放課後にその占い師を尋ねることにした。
如月によればその占い師は、よく学校の裏手にいるらしい。
校門を出て、コンクートの塀を一巡りしてみるが、その姿を見つけることはできなかった。
冬の日暮れは早い。
グラウンドを朱に染め、沈みゆく太陽がわけもなく泣きたいほどに胸を締め付ける。
遠くに野球部の掛け声を聞きながら、東郷は間もなく迎える高校生活の終焉を思う。
青春が終わる。
そんな気がした。
何かに焦り、だけど何に焦っているのかはわからない。
とりあえず、ムラムラします。
「あー、彼女欲しい!!!」
沈みゆく太陽に向かって、東郷は叫んだ。
「ひっひっひ……それが青春ってもんだよ。若いねえ」
逆光に小柄な猿のようなシルエットが浮かび上がる。
少しぎょっとして東郷は目を凝らした。
老婆が道端に御座を敷き、小さな台の上に腰かけている。
老婆はひどく痩せており、腰も醜く曲がっていた。
黒っぽい着物を着て、黄味がかった白髪を背に流れるままにしている様はどこか見る者に対し、畏怖の念を抱かせる神々しさすら兼ね備えていた。
「あたしは占い師だ。この辺では良く当たると有名なんだよ。ひひひ……なんならお兄さんも見てあげようか?」
東郷はごくりと生唾を飲み込んだ。
未来を知りたいと思う好奇心と、畏怖の念が交差する。
すべてを見透かしているような老婆の視線から、不意に逃れたい衝動に駆られる。
がそれとは裏腹に足が動かない。
老婆の白く濁った瞳から、視線をそらすことすらできない。
「恐がることはないよ。さあ、こっちにおいで」
老婆の骨ばった手が東郷を手招きすると、操られるように東郷は老婆の前に座った。
「あんたは、魂が性別を間違えているね。あんたは本来女になるはずだったんだ。なのに男の身体に入ってしまったもんだから、ちっともモテやしない。それが原因だ。あんたが愛するパートナーを作りたいのなら、あんたと同じように性別を間違えてしまったパートナーを選びな。そうすればきっと上手く行く」
(なんだかよくわからない理屈だ。
要するに俺は身体は男だけれど、魂が女で、その俺と付き合うパートナーは魂が男でないとうまくいかないと……)
東郷は苦虫を噛みつぶしたような、渋い顔をした。
「じゃあ、男っぽい女を選べばいいのか?」
そう問うと、老婆は顔をくしゃくしゃにした。
「どうした婆さん?」
「いや、入れ歯がはずれたもんでな。そうさのう、まあだいたいそういうことさな」
老婆は入れ歯がうまくはまらないのか、まだもぐもぐとやっている。
いつの間にか夕日はもうすっかり沈んでしまい、辺りはうすいコバルトに色を変えている。
きんと冷えた空気に一番星が映えた。
思わず吐き出した吐息が白い。
「男ぽい女……か」
果たして本当に出会えるのかな、
そんな漠然とした不安が東郷の胸に満ちる。




