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麦穂の革命  作者: レモンティー


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第十章 海の向こうの帝国

探検隊帰還の報せは、わずか三日で王国全土に広まった。

市場では商人たちが騒ぎ、

酒場では冒険譚が語られ、

貴族たちは地図を広げて議論していた。

だが王宮では別の問題になっていた。

「本当に国家が存在するのか?」

国王が尋ねる。

玉座の前には探検隊長エドワードが立っていた。

四年前に出航した青年だ。

日焼けし、

痩せ、

髭も伸びている。

だが目だけは出航前より鋭くなっていた。

「存在します」

「断言できるか」

「できます」

エドワードは迷わなかった。

会議室中央の机には大量の品物が並べられていた。

黄金の装飾品。

見たことのない織物。

鮮やかな染料。

精巧な陶器。

そして奇妙な果実。

貴族たちは息を呑む。

「これを現地で?」

「はい」

「部族ではないのか?」

「違います」

エドワードは首を振った。

「都市があります」

会議室が静まり返る。

「人口数万規模の都市です」

さらに静かになる。

「石造建築があります」

「道路もあります」

「官僚もいます」

「軍隊もいます」

国王が腕を組んだ。

「帝国か」

「おそらく」

「どれほどの規模だ」

エドワードは少し考える。

「分かりません」

「分からん?」

「我々が訪れたのは沿岸部だけです」

そう言って地図を広げた。

巨大な大陸。

そして沿岸に点在する都市。

「彼ら自身も内陸の全てを把握していませんでした」

アルベルトは地図を見つめる。

前世の歴史を思い出していた。

未知の文明との遭遇。

大航海時代。

だが歴史は必ずしも同じにはならない。

会議後。

国王はアルベルトを残した。

広い玉座の間に二人だけになる。

「どう思う?」

「難しい質問ですね」

「正直に言え」

アルベルトは窓の外を見る。

王都の街並み。

煙を上げる工房。

賑わう市場。

増え続ける人口。

「彼らは敵かもしれません」

「うむ」

「友人かもしれません」

「うむ」

「最大の交易相手になる可能性もあります」

国王は黙った。

「戦争になると思うか?」

その問いにアルベルトは即答しなかった。

しばらく考える。

そして言う。

「こちら次第です」

「ほう」

「金だけ見れば戦争になります」

「なるほど」

「利益だけ見ても戦争になります」

「ふむ」

「ですが人間を見れば別です」

国王は少し笑った。

「お前らしい答えだ」

数週間後。

第二次探検隊が編成された。

今度は探検ではない。

外交使節団だった。

通訳。

学者。

商人。

護衛。

総勢三百名。

国家事業である。

出発前夜。

アルベルトはエドワードと酒を飲んでいた。

「また行くのか」

「もちろんです」

エドワードは笑う。

「まだ地図の空白が多すぎる」

「冒険家らしいな」

「閣下も同じでしょう」

「何がだ?」

「問題を見つけると放っておけない」

アルベルトは否定できなかった。

半年後。

外交使節団は新大陸へ到着する。

そして初めて正式な接触が行われた。

相手の名は――

アステリア帝国。

人口数千万。

数百年続く大国家。

高度な行政機構。

広大な街道網。

強力な軍隊。

想像以上だった。

報告書を読んだアルベルトは驚いた。

「街道網?」

「はい」

報告役の学者が答える。

「帝国全土に整備されています」

「距離は?」

「我が国の五倍以上です」

会議室がざわつく。

「行政機構は?」

「非常に優秀です」

「農業は?」

「発達しています」

アルベルトは思わず笑った。

「面白い」

いつの間にか国王の口癖が移っていた。

その後十年間。

王国とアステリア帝国の交流は急速に進む。

交易路が開かれる。

学者が行き来する。

技術者も交流する。

双方の知識が混ざり始める。

王国は鉄と機械技術を輸出した。

アステリアは新作物を輸出した。

特に革命的だったのは芋だった。

痩せた土地でも育つ。

収穫量が高い。

保存も利く。

アルベルトは初めて見た時に叫んだ。

「これは強い」

エミリアが笑う。

「作物を見て興奮する人、初めて見ました」

逆に王国から伝わった技術もある。

高炉。

水車。

改良農具。

兵站管理。

そして統計学。

数字による行政である。

アステリアの官僚たちは熱狂した。

二十年後。

世界は大きく変わっていた。

王国は辺境の小国ではない。

巨大交易圏の中心国家になっていた。

人口は三倍。

税収は五倍。

工業生産は十倍。

都市には石造りの工場が並ぶ。

そしてその頃。

アルベルトは六十歳を迎えていた。

白髪が増えた。

歩く速度も遅くなった。

だが仕事量は変わらない。

いや増えている。

ある日の夕方。

王宮の庭園。

アルベルトはベンチに座っていた。

隣にはエミリアがいる。

長年の秘書であり、今では最も信頼する相手だった。

「疲れましたか?」

「少しな」

「珍しいですね」

「年だ」

エミリアが笑う。

「ようやく自覚しましたか」

庭園からは王都が見える。

煙突。

運河。

倉庫。

学校。

研究所。

かつて存在しなかったものばかりだ。

アルベルトは静かに呟く。

「変わったな」

「そうですね」

「最初に来た時は飢えた村しかなかった」

エミリアも頷く。

「あの頃は本当に貧しかった」

しばらく沈黙が続く。

風が吹く。

木々が揺れる。

やがてエミリアが尋ねた。

「後悔はありますか?」

アルベルトは考える。

長い人生だった。

農業改革。

土地改革。

物流改革。

兵站改革。

製鉄改革。

海洋進出。

外交。

数え切れない。

そして答えた。

「ある」

エミリアが驚く。

「あるんですか?」

「ああ」

「何です?」

アルベルトは苦笑した。

「休暇を取らなかった」

エミリアは声を上げて笑った。

「それは自業自得です」

「反論できない」

二人はしばらく笑った。

夕日が王都を黄金色に染める。

その光景を見ながらアルベルトは思った。

自分は英雄ではない。

剣豪でもない。

魔導師でもない。

ただ農業が好きだっただけだ。

しかし一粒の種が畑を変え、

一つの畑が村を変え、

一つの村が国を変え、

そして国が世界を変えた。


後世の歴史書にはこう記される。

アルベルト・フォン・ライゼン。

農民の収穫量を増やそうとしただけの男。

しかしその結果、世界の歴史そのものを変えてしまった。


そして人々は彼をこう呼んだ。

「麦穂王」

あるいは――

「農業革命の父」と。

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