1-18笑顔の刃
レグラン皇国が喧騒に揺れる、その最中。
薄暗い部屋の静寂の中に、1人の少女ルーナはいた。
ルーナの耳が廊下からの足音を拾った。
だが、いつもと違う。
看守の足音は、短くて重い。
今聞こえてくるのは、もっとゆったりとした音で履いているのは、革靴。
革靴特有の足音だ。
ルーナはそっと粗末な寝床から体を起こした。
眉間に深く皺を寄せる。
あの男が来るのか……
いつも皺ひとつない黒のスーツ。
整えられたオールバックの黒髪。
左頬に走る長い傷跡。
右手の黒い革手袋。
灰色の瞳。
支配人ドラガン。
男は廊下をゆっくり歩き、ルーナの房の前で止まり、そのまま収容房の扉が開いた。
「こんにちは、ルーナ」
穏やかな声、親切な隣人みたいな声でドラガンはルーナに声をかけた。
ルーナは一言も返さず、寝床から壁際に一歩下がった。
ドラガンは、少しだけ口の端を上げ
「今日はただ、話に来ただけだ」と
後ろに手を組みゆっくりと一歩、房の中に入ってくる。
「ルーナの両親の話をしようか。
ヴァルダとエリスの事だ」
この男の口から、自然に出た、父母の名前
「ずっと二人は頑張ってた、本当に。
ヴァルダは、最初お前の分まで食事を断ろうとしてた。
エリスは石の床に頭をこすりつけて、娘の代わりに私を使えって懇願した。
感動的だったよ。家族愛って素晴らしい」
さらりと言った。
ドラガンが話しながら、ルーナのいる寝床の方へと一歩ずつ近付いて来る。
恐怖からではない、ただ関わりたくない理由で、ルーナは一定の距離を保とうと、
男の一歩に合わせるように、壁に背をつけたまま壁伝いに逃げていた。
だが所詮は狭い収容房。
ドラガンが奥へ進むほど、押し出されるように気づけば入口付近まで追い詰められていた。
「しかし、二人とも壊れたね。ゆっくりと、確実に」
ドラガンは粗末なルーナの寝床の前で立ち止まった。
そして入口付近にいるルーナに、
背を向けたまま静かに続ける。
「あれはいつ頃だったかな。ヴァルダの目が変わった。
鞭を打つ前に、必ず言ったんだ。『娘の代わりだ』と。
そうしたらね、自分から言うようになったよ。
『お前さえいなければ』って」
「……良いデータになった」
ルーナの喉が、音もなく動いた。
やめてと言いたかったが、声が出なかった。
——父の目が、変わっていったのは本当だ。
——母の目が、娘を見る目じゃなくなっていったのも、本当だ。
「エリスはね、泣きながら言ってたよ。
お前のせいで殴られる、
お前さえいなければ楽になれるって。
涙を流しながら」
「だから、君を差し出したんだ。
自分たちの安寧の為に。
私が頼んだわけじゃない。
二人が決めたことだよ」
ルーナの視界が、少しぼやけた。
「違う」と叫びたかったが
けれど声にならなかった。
脳裏に過る、父のあのニタニタした顔。
あの頃からもう、父親は完全に壊れていたんだ。
ドラガンの言葉を全否定できない。
けれど、この男の声を聞いてはいけないと強く思った。
だって、母の最後の言葉は……
感情に蓋をするんだ。
この男の言葉は嘘ばかりだ。
「興味深いね、家族というのは。
壊れても、壊れたことに気づかない。
ずっと信じてたんだろう?」
ルーナは答えない。
母の「ごめんね」を思い出しながら、
自分も母に向けての謝罪を心の中で繰り返す。
ドラガンが、手を挙げた。
その瞬間ルーナは看守に捕まった。
驚いたが声は出なかった。
なぜいきなり私を捕まえたのか、理解出来ない。
(逃げるわけないのに)
自分がいかに考え違いをしていたかを、すぐに思い知る。
がっちりと看守二人に押さえつけられたまま、ドラガンが粗末な寝床に手を伸ばし、
隠していた“骨”を拾い上げた。
「触るな!!!」
ルーナは、一瞬にして、激しく抵抗する。
押さえていた看守二人が、思わず後ろに揺れるほどの勢いで。
「知っていた。お前がエリスの骨を、大切に大切に保管しているのを」
ドラガンは拾い上げた骨を、
革袋に入れようとした瞬間、
カラン、と落ち、骨は石の床に跳ねた。
「やめてぇぇ!
お願いします!やめて、触らないでっ!戻せぇ!返せぇ」
ルーナの叫びを無視して、
ドラガンは床に落ちた骨には目もくれず、寝床からまた別の骨を拾い上げ、
淡々と革袋に入れた。
「触らないでよぉ、やめて、やめてください」
泣き叫ぶルーナの前で、
いくつかの骨が袋に吸い込まれていく。
そして最後に、落ちた骨を拾い上げながら、
ドラガンは初めてルーナの正面へと向き直り、その灰色の瞳で彼女を見下ろしながら真っ直ぐに見据えた。
「ルーナ、私のお願い事を聞いてほしいんだ」
その冷徹な眼差しと完全に視線が交わった瞬間、
「返せ!返せ!!返せぇ!」
「ルーナ、聞け。
お前が大事にしている母の骨を返してあげよう。お前の願い通り、返してあげよう」
「返してよ、お願い……」
「あぁ、返すとも、ルーナ。
私のお願いを聞いてくれたら。
二度と君からこの革袋を取り上げない」
ルーナは泣きながら、
それでもしっかりとドラガンの目を見た。
涙で濡れた瞳が、ただ“答えを待っていた”。
「3日前に会った竜人を覚えているだろ。名前はラオスと言う。そのラオスに言って欲しい言葉があるんだよ。
一言だけでいいから、言ってくれるかい?」
「言葉を……言う……?」
「そうラオスに、一言だけ言って欲しい。
言ってくれるかい?」
小さな骨がヒラヒラと目の前で揺らされてる。
「言う、言うから返して!」
「ルーナ」
ドラガンは優しくゆっくりとルーナの名前を呼ぶ
「……?」
「ルーナ」
「……自分の名前を言えばいいの?」
「ルーナ、愛してるよ」
「はっ……?」
にっこりとドラガンが微笑んだ
その笑みが脳に届き、
言葉の意味が理解された瞬間——
ルーナは、吐いた。
「ルーナ、君は酷いね。人の告白を聞いて吐くなんて」
喉の奥でクツクツと笑うドラガン。
悪寒が止まらない。
吐き気も止まらない。
気持ち悪い。
「君が竜人に言う言葉が、【愛してる】だ」
ドラガンはルーナの前に屈み、
髪を乱暴に掴み上げ、顔を無理やり上げさせる。
「いいね。【愛してる】とラオスに言うんだよ。そしたら革袋は返そう」
母を見捨てないように。
しっかりとやるんだよ。
そう言って、
ドラガンは手に持っていた骨をルーナの近くに置き
立ち去ろうとし──
革靴で踏みつけ、粉々にした。
「―――- 」
ルーナの声にならない叫びがこだまする。
ドラガンはそのまま、
ルーナの横を静かに通り過ぎ、ゆっくりと帰っていった。
残されたのは、
粉々になった骨を丁寧に集め泣き続けるルーナだけだった。




