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支配域の管理論〜ドミネーション・マネジメント  作者: nov


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第27話 紙になる記憶

 最初の冊子が届いたのは、朝の早い時間だった。


 薄い段ボールを開けると、同じ表紙の本が十数冊、きっちり並んでいる。

 坑口の家の吉岡さんをモデルにした、誕生から昔の生活、炭鉱での仕事から閉山後までの村を描いた。AIに人物写真を読ませて歴史教育漫画風に仕上げたものだ。

 紙はまだ少し硬いが、手に取るとちゃんと重みがある。


「……ほんとに本になったのね」


 吉岡さんは、表紙を見たまましばらく黙っていた。

 若い頃の自分によく似た顔が、黒い坑口の前に立っている。


「似てますか」


 菜々さんが聞くと、吉岡さんは鼻で笑った。


「似てるかどうかは分からないけど、こうやって並ぶと、ちゃんと自分の話なんだなって思うね」


 漫画の中では、炭鉱の入口、閉山の日、空き家になっていく家並み、草刈りが追いつかなくなった畑、戻れる場所を残したいという吉岡さんの言葉が、淡々と並んでいる。

 派手な事件はない。

 けれど、村の輪郭はよく見える。


 菜々さんは、すでにPOD(プリントオンデマンド)の少部数印刷で一度刷り上げていた。

 売る分は小さく、まずは村に戻す分を多くした。

 集会所、郵便局、公民館、役場の周辺、学校に近い知り合いの家。

 置き場所はあらかじめあやかが調整してある。


「買ってもらうより、まず見つけてもらう方が大事だもの」


 そう言いながら、菜々さんは箱を閉じた。


 昼前、最初の配布先へ持っていくと、集会所の裏で茶を飲んでいた男たちが自然に手を伸ばした。

 一人がページをめくり、もう一人が表紙の吉岡さんを見て目を細める。


「これ、あの家のばあちゃんか」


「そうらしいよ」


「へえ」


 へえ、のあとに続く言葉が、いつもより少なかった。

 笑い話にも、昔話にも、少しだけ届き方が違う。


 郵便局にも一冊置いた。


 待ち時間に手に取った年寄りが、立ったまま数ページ読み、そこで初めて「この辺、こんなだったか」と言った。

 役場周辺の知り合いにも回した。

 誰かが持って帰るたびに、村の見え方が少しずつ変わる。


 肝心だったのは、配った先で誰もそれを「宣伝」とは言わなかったことだ。

 これは売り物でもあるが、同時に記録でもある。

 だから受け取る側も、すぐに警戒しない。


 夕方、吉岡さんの家に戻ると、彼女は一冊を膝に乗せたまま、しばらくページを繰っていた。


「私のことを本にするなんて、変な時代になったもんだね」


「嫌でしたか」


「嫌じゃないよ。こんなふうに残るなら、悪くない」


 吉岡さんは、巻末のあとがきを読んで、少しだけ目を上げた。


「戻れる場所を残すための記録、か。いいこと言うじゃない」


 その言葉は、先日聞いたものより、ずっと軽く、ずっと強かった。

 記録が冊子になると、気持ちの問題が、少しだけ現実の形を持つ。


 夜、集会所に置いた一冊を見に来た男がいた。

 昼に黙っていた男だ。

 ページをめくったあと、彼は短く息を吐いた。


「これ、悪くないな」


 誰に言うでもなくそう言って、本を閉じた。


 翌日には、もう一冊が別の家へ回る。

 回った先で誰かが読めば、その家の人がまた読む。

 村の記憶は、置かれた棚の上で止まらなかった。

 紙になったことで、かえって歩き出した。


 僕は、箱の中に残った冊子を見ながら思った。

 言葉は、口にあるうちは空気に戻る。

 でも、紙にすると、村の中を移動するものになる。


 そして、移動する記憶は、空気より強い。

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