第26話 坑口の家
翌々日、あやかは約束どおり、その家へ連れていってくれた。
集落の端に寄った、少しだけ高い敷地だった。
庭は広いが、手入れの仕方が古い。植木の間隔も、物置の位置も、いまの村の家とは少し違う。古臭い書体の表札に吉岡とあり、それだけで歴史を感じさせた。
炭鉱の頃に、働く人が多かった家だとすぐに分かった。
「ここは、昔のまま残ってるほうだよ」
あやかが小さく言った。
「もう外に出た子も多いけど、母屋だけはまだ動いてる」
上がらせてもらうと、座敷の隅に古い写真が何枚も立てかけてあった。
坑内の入口、作業服の男たち、運動会の子ども、雪の日の集会所。
どれも、今の村ではもう見ない顔つきだった。
迎えてくれた吉岡さんは、先に茶を置いてから、写真の一枚を指した。
「これが炭鉱の入口。あの頃は、電気が落ちると、村じゅうが止まると思ってたのよ」
「電気、ですか」
「ええ。働く場所が地下なら、明かりも、通信も、湯沸かしも、全部つながってたから」
菜々さんは、その言葉にすぐ反応した。
「今の村にも、つながってる場所がありますね。会計も、写真も、草刈りも、停電ひとつで止まる」
吉岡さんは、ふっと笑った。
「同じね。形が変わっただけ」
僕は、壁際の配電盤に目をやった。
古いが、使い込まれている。今のものより立派というわけではないが、何度も直して使ってきた跡があった。
村の中にある電気の痕跡は、ただの設備ではなく、暮らしの継ぎ目そのものだ。
「空き家の修繕と、非常時電源の話を持ってきたんです」
あやかが切り出した。
「集会所だけじゃなくて、こういう家でも、停電のときに少し動ける仕組みがあるといいと思って」
吉岡さんは、少しだけ目を細めた。
「それなら、ここは向いてるかもしれないね。昔から、物をしまうだけの家じゃなかったから」
そう言って、座敷の奥の納戸を開けた。
中には、古い帳面と、炭鉱の記念写真と、空き家になった家の住所を書いたメモがまとめてあった。
「出ていった家のことを、私らはみんな覚えてるわけじゃない。でも、誰がどこへ行ったか、誰がまだ戻れるか。そういうのは、こういう控えに残ってる」
菜々さんが、メモを一枚ずつ写していく。
住所、名前、世帯、空き家のままの期間。
それを見ているうちに、村の空白が、ただの放置ではないと分かってくる。
誰かが出ていき、誰かが残り、残った家がその記録を持っている。
「ここ、写真の保存にも使えますね」
僕が言うと、吉岡さんは頷いた。
「そうだね。あの頃の写真は、もう増えないから」
「でも、残せます」
「残せるなら、残したいよ。電気が落ちても、ただ困るだけで終わらないようにね」
その言葉は、非常時電源の話に、少し違う重さを与えた。
設備のための電気じゃない。
記憶を失わないための電気だ。
あやかが、古い写真の一枚を手に取った。
坑口の前で並んでいる男たちの後ろに、まだ小さな子どもがいる。
「この人たち、今の村の家にもつながってる?」
「つながってるよ。子どもが戻ってきた家もあるし、戻ってこない家もある」
吉岡さんは、淡々と答えた。
「でもね、村が続くかどうかは、戻るかどうかじゃない。戻れる場所を残すかどうかよ」
僕は、その言葉を聞いて、控えの意味が少し変わるのを感じた。
生活の不具合は、ただの愚痴じゃない。
戻れる場所を残すための、村の側の記録だ。
茶を飲み終えるころには、吉岡さんの声はだいぶ柔らかくなっていた。
「次に来るなら、空き家のほうも見ていきなさい。あそこはまだ、手を入れれば使える家があるから」
「お願いします」
菜々さんがそう言うと、吉岡さんは小さく頷いた。
「あんたたちがやろうとしてるのは、ただの修繕じゃないんだろうね」
「はい」
僕が答えると、吉岡さんは写真立てをそっと押し直した。
「なら、いいよ。坑口の家ってのはね、最初に明かりがつく家で、最後に消える家でもあったんだから」
帰り道、あやかは何も言わず、写真の話だけを続けた。
どの家が戻れるか。
どの家が空いたままか。
どの家に灯りを残せば、次の声が出るか。
話せる場所は、もう一軒増えた。
増えたぶんだけ、村の空白は少しずつ形を変える。




