エピローグ
ファルナート王国の王都アイゼルンの北東にある、魔導協会の神秘の塔『ヘルメティ・スパイア』
常に不可視の魔力の結界によって守られ、周囲に不思議なオーラを漂わせている。
その最深部、魔導練達の間の更に地下――空間魔法で拡張された迷宮の奥深く。
隠された錬金術工房。
この世ならざるもの達が導かれる召喚場。
禁断の書庫と名付けられた、誰にもたどり着けない古代図書館。
その先の秘密の通路を抜け、幾重にも張り巡らされた魔導の罠の数々や、召喚された数多の魔獣たちが待ち受ける死の道の先にそれは存在した。
存在という言葉もまた相応しくはないのかもしれない。
エリュハルトの世界とは隔絶されたような、そんな空間。
通常であれば、存在することを認識できないような場所であった。
隔絶された空間に迷わずに到達できるのは、類稀なる魔力と魔導の知識、そして幾重にも張り巡らされた罠の道を安全に通過できる方法を知らなければならない。
もちろん、それほどの知識と実力を兼ね備えたものは多くはない。
沈んだような赤黒い瞳に栗色の髪を無造作に伸ばし、銀白色の杖を構える。幼い外見からは想像もできないような強大な魔力をたぎらせている。
もちろんそれは、魔導協会ギルドマスターにしてΩ級魔導師。ザックマーニャ・リザルトその人であった。
部屋の中央に置かれている、歪な光を称える紫色の水晶球が陰鬱な空気を発する。
『伝達の水晶球』の一種ではあるのだが、一般的なものよりも更に耐久性を増して作られたもので、より強い魔力を持つものが発する波動に耐えうるだけの強度を兼ね備えた特注品であった。
もちろんその者とは魔王レイカに他ならず、彼と通信するために作られたと言っても過言ではない。
ザックマーニャは祈るように水晶球に向けて、自らの魔力を放つ。彼女の左手に持つ錫杖が渇望するかのように細かく震え、一瞬彼女の魔力の一部を貪ったようにも感じた。それはまるで乾ききった地面が勢いよく水を吸い上げるさまにも似た感覚だ。
他の魔導師であれば、長大な魔紋の詠唱を必要としたはずだが、彼女にとってその工程自体が無用であった。いや、正確に言えば唱えているはずなのだ。しかし常人の目には瞬き程の刹那に凝縮され、あたかも何一つ費やしていないようにしか映らなかった。
錫杖の喜びにも似た震えが止まり、ザックマーニャは口元を歪めるようにして微笑む。
水晶球の向こう側に姿を現した黒い影――茶色の毛並みの虎獣人に視点を合わせる。
「リザルトか、定期報告ご苦労だな。して首尾はどうなっておるのだ」
常に苛立ちを匂わせる声が人を不快にさせ、ガチャガチャと不穏を煽るようなフルプレイトメイルの音が耳に触る。
魔王軍幹部、ビゼス・ダストートスの姿がそこにあった。
「王都は何も変わっておらぬわ、ビゼス殿。平和そのものじゃ」
「平和? 何をたわけたことを言っている! ラベルクに飛び出したカルアは帰ってこぬし、お主は焔刃の使い手を始末せずに放置しておる。何を遊んでおるのだ!」
ザックマーニャは内心、向こう側に映る獣人に対して侮蔑の感情を抱くが決して顔には出さない。ただ髪を揺らし、うやうやしく頭を垂れたのみである。
「レイカ様の教えに従っておるまでじゃよ、ビゼス殿。敵は強大であるほど倒しがいがあり、征服した時により味わいが増すとな。あの方の考えることは我らの次元を遠く超えておるわ。素晴らしいことじゃ」
ビゼスは自らの持っている呪斧――七倣刃のひとつでもある『弱者の斧』と銘打たれた特注品――を振りかざし、ザックマーニャに突きつけるようにして威圧した。
「お主やカルアのレイカ様への羨望の心は買おう。だが、敵に塩を送り続け挙句に自らが力を誤り、相手に喰われることの無きように忠告しよう。今すぐに潰すべきだ」
水晶球の向こうで、何かが大きく壊れるような音がし画面が暗転する。
ビゼスが弱者の斧を水晶球が置いてあった机に向けて振り下ろしたのであった。
「既に罠は仕掛けおわっておる。奴らはそれに吸い寄せられ、わらわが直接手を下すまでもなく、その屍は王都に晒されることとなろう。それともビゼス、お主の作りし魔導人形の力は奴らごときに負けると、そういうことなのじゃろうか」
さも愉しげに、ビゼスをおちょくるザックマーニャの口元に笑みがこぼれる。
レイカの元に集いし幹部たちは、お互いへの信頼は皆無であった。
それは軍内部にすら歪な関係性を愉しむことに重点を置いた、魔王の異常な精神性の象徴でもあったのだ。
ビゼスは絶対的な力を、カルアは忠誠心と求愛を、ザックマーニャは知識欲を。
それぞれが欲するものを与え、常に試し続ける。
それはレイカが異世界に飛んだ現在でも、変わることはなかった。
「せいぜい敵を甘くみておくとよいわ。あまりにも目に余るようであれば、我が自ら手を下すまで。お主はのぞき見だけを愉しんでおればよい!」
そう吐き捨て、通信は一方的に切れる。
ザックマーニャは暗転した水晶球には目もくれず、自らが錫杖に向かい撫でるように熱を持って語り掛けた。
「若い芽を摘み取るのは簡単じゃ。今の焔刃の使い手なぞ赤子の手を捻るよりもな。それが育ち、わらわの力に肉薄してから喰らうは快感ではないか。そうやって自らの力を高める先にこそ、知識の泉は満たされよう。そうではございませぬか、姉様……」
彼女の声にはもちろん誰も応えない。
いや、ただ左手に持つ錫杖が憂うように揺れたのみあった。




