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巻ノ五百弐拾弐 使え!プライオリティパスを の巻

 仕事ばかりで遊ばない大作は今に気が狂う。そんな悲劇を防ぐため、仲良し夫婦は久見崎軍港を訪れていた。訪れていたのだが……


「此処は何処? 私は誰?」

「此処は久見崎軍港。大佐は大佐よ。それ以上でもそれ以下でも無いわ」


 大作の渾身のボケにお園が秒で華麗な突っ込みを入れてくる。

 我ながら本当に良いコンビだなあ。比翼連理というか琴瑟相和というか…… あるいは偕老同穴とかどうじゃろな? それとも……


「要は鴛鴦(おしどり)夫婦って事でしょう? だったら『lovebirds』で良いんじゃないの。本当はボタンインコやコザクラインコのことらしいけど英語圏では仲睦まじい夫婦の喩えらしいわよ」

「いやいやいや! それはあかん奴やろ。本当の鴛鴦は年ごとにペアを変えるって聞いたことあるぞ」

「それならばどうして鴛鴦夫婦は中の良い夫婦の例えなのかしら? 小さな事が気になってしまう。私の悪い癖なのよ」

「それはアレだな、アレ。中国は宋の故事『鴛鴦(エンオウ)の契り』とかいう奴だよ。ちなみに(エン)はオシドリの雄、(オウ)は雌だぞ。嘘か本当かは知らんけどとある王が家臣の妻に手を出そうとしたんだけど……」


 そんな阿呆な話をしながら仲良し夫婦は久見崎軍港の中を縦横無尽に駆け巡る。駆け巡ったのだが……

 しかしまよってしまった!


「分からん! さぱ~り分からん! GPSが無いって本当に不便だなあ。やっぱロランかオメガシステムの導入を急いだ方が良いかも知れんな。そうだ! 閃いた!」


 例に寄って例の如く、軽いパニックに陥った大作は現実から逃避することで精神の安定を得ようとする。

 だが、そうは問屋が卸さない。突如として背後から掛けられた声が遊離しかけた魂を現実へと引き戻した。


「いやいや、大佐殿。ロランならば既に試験運用が始まっておりますぞ。ご存知ありませなんだかな?」

「な、何ですと! そういう貴方は何方でしたかな? ああ、船大工殿ではございませぬか。ご無沙汰しております。ご機嫌は如何でしょうか?」

「お陰様で恙無う暮らしております。今は船大工ではなく久見崎造船所長を任せて頂いておりますれば所長とお呼び下さりませ」

「そ、そうなんですか。それは失礼をば仕りました、所長。って言うか、ロランの試験運用が始まってるって本当なんですか? そんな話は寝耳に水なんですけど?」


 口をぽかぁ~んと開けた大作は馬鹿丸出しの顔で小首を傾げる。

 船大工改め造船所長は人を小馬鹿にした様な嘲笑を浮かべると小さく鼻を鳴らした。


「これは異なことを承る。報告書なれば毎日の様に日報をお送りしておりますぞ。よもや目を通して頂けておらぬのでしょうや?」

「いやいやいや、見てます、見てます、見てますから。ちゃんと確り拝読しておりますって。ただ、ちょっとばかり読み難いというか分かり辛いというか…… 私の不徳の致す所というんでしょうかね。兎にも角にもロランが使えるのなら此処が何処かも分かるんですよね? 良かったぁ~っ! もしかして迷子になっちゃったかと心配してたんですよ」

「さ、左様にござりますか…… 今後はより一層と分かり易い日報を書くように心掛けて参ります。では、此れにて失礼をば」


 言うが早いか船大工改め造船所長は掻き消すように姿を眩ませてしまう。その余りにも見事な逃亡劇には大作も舌を巻くしかない。


「ちょ、おまっ! あかんやん…… この迷宮から脱出できる唯一の手掛かりを失っちまったぞ。どうすれバインダー!」

「餅ついて、大佐。彼処に案内板があるわよ。あれを見れば一目瞭然。此処が何処だか立ち所に分かっちゃう…… って、分からんわ! さぱ~り分からんわよ。これは参ったわねえ」

「お園にも分からないのか? そんなんもう無理ゲーじゃん! 俺、なんだかどうでも良くなってきたぞ。もう諦めて帰っちまおうか?」


 完全に集中力を切らした大作は早くも帰り支度を始めた。だが、今となっては撤退こそ至難の業とも言えなくは無い。何せ此処が何処だかすら分からないのだから。


「座して死を待つくらいなら打って出ろよ、大佐。Go For Broke!」

「そうはいうがな、お園。例えるなら俺たちはテキサス大隊が何処にいるのかも知らない442連隊みたいなもんだぞ」

「戯れよ。帰り道ならちゃんと覚えてるわ。此方だから着いてきて」


 自信満々のドヤ顔を浮かべたお園は大手を振って歩き出す。

 大作はちょっとムカついたがこの状況で面と向かって逆らうような愚は犯せないので黙って後ろを着いて行く。

 雑然とした造船所内には建造中と思しき船がずらりと並んでいる。

 まるでゴーストタウンのように閑散として人気が全く無いので寂しいことこの上ない。

 台風でも通ったんじゃないかと思うほど資材や工具が乱雑に散らばっている。


「いったい此処で何があったんじゃろな。もしかして今日って休日だったとか?」

「そんなこと無いんじゃないかしら。今しがた造船所長に会ったばかりよ」

「ですよねぇ~っ! とは言え、だったらどうして誰もいないのかなあ。わけがわからないよ……」


 その時、歴史が動いた!

 人っ子一人いない閑静な造船所に突如として甲高いサイレン音が鳴り響く。

 まるで空襲警報を思わせるような耳障りな騒音は大作の胸中を不安でどす黒く塗りつぶす。

 サイレン音は鳴り始めたときと同様、唐突に鳴り止んだ。と同時に夥しい数の工員が雲霞の如く作業場に雪崩込んできた。

 チラリと時計に視線をやったお園が我が意を得たりと頷く。


「なぁ~んだ、昼休みだったのね。いったい何事が起こったのかと心配しちゃったわよ」

「終わり良ければ全て良し。これにて一件落着! そんじゃあ、帰るとするか」


 こうして仲良し夫婦は小さな旅を終えて帰路に就いた。




 川内川を遡上する乗合船は来たときに比べて混雑している。大作は懐からファストパスを取り出すと助さんが印籠を翳すかのように天高く掲げた。


「あのねえ、大佐。印籠を出すのは格さんよ」

「いやいや、ドラマが始まった頃は助さんと格さんが交互に出してたそうだぞ」

「そんなん言い出だしたら弥七や八兵衛が出したこともあるじゃんかよ!」

「黄門様やお新が出した話もあったはずよ」

「そういう変わったエピソードでいうと偽黄門様が出てくる話なんかは……」


 ファストパスのことをすっかり忘れて二人は水戸黄門の話に花を咲かせる。花を咲かせたのだが……

 大作が我に返ると乗る筈だった乗合船は船着場を遠く離れて小さくなっていた。

 更に二人に追い打ちを掛けるように船着き場の搭乗手続き係《グランドスタッフ》が遠慮がちに声を掛けてきた。


「お園様、大佐。誠に申し訳ござりませぬがファストパスは先月末で廃止となりました」

「えっ! これってもう使えないの? 俺、聞いていないんですけど……」

「一月ほど前にお知らせをお送りしておりまする。今月からはプライオリティパスをお使い下さりませ。お手元に届いておりませなんだかな?」

「いや、あの、その。送ったと言われても届いていないものは届いていないんですけど……」


 窮地に追い込まれた大作は捨てられた子犬のように上目遣いで搭乗手続き係《グランドスタッフ》の顔色を伺う。

 だが、捨てる神あれば拾う神あり。お園が懐からクレカのような薄っぺらい板切れを取り出した。


「電話って…… じゃなかった、プライオリティパスってこれね、おばさま!」

「すんげぇ…… っていうか、持ってたんならさっさと出せよ。まったくもう…… んじゃ、これで乗せてもらえますね。搭乗手続き係《グランドスタッフ》殿」


 満面の笑みを浮かべた大作は印籠を出す助さんのように……


「だぁ~かぁ~らぁ~っ! 印籠を出すのは格さんよ! その他の人が出すのはお天道様が認めても修道女棟梁の私が決して認めないわ! うわぁ~っ!」

「時に大佐様。誠に畏れながら本日の上り便は先程の船が最終となります。ご不便をお掛けして申し訳ござりませぬが明日またお越し下さりませ。それでは此れにて御免仕りまする」


 搭乗手続き係《グランドスタッフ》は深々と頭を下げるときっかり三秒間だけ姿勢を維持した。

 余りと言えばあんまりな展開に大作は開いた口が塞がらない。

 そんな気を知ってか知らずか搭乗手続き係《グランドスタッフ》は弾かれたように背筋を伸ばすと脱兎の如く逃げ去る。


「くそ~っ、一足遅かったわね! ルパンめ、まんまと盗みおって!」

「奴はとんでもないものを盗んでいきました。あなたの心です」


 後に残された二人は唖然とした顔のお互いを見つめ合うことしかできなかった。


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