790 やはり食い逃げ
(師匠、どうしたの?)
どうやらフランに動揺が伝わっていたらしい。首を傾げて俺を見ている。
『いや、あそこの金髪の女の子な』
(ん)
『食い逃げするつもりらしい』
(!)
フランが驚いたようにそちらを見た。
その視線の先では、相変わらず金髪の少女が懊悩していた。
席から一瞬だけ腰を浮かせたり、頭を掻き毟ったりと、どう見ても挙動不審である。俺たちが店員さんに通報しなくても、勝手に気付かれそうだ。
(食い逃げはダメ)
フランが深刻な表情で呟く。
(お店で美味しいゴハンを食べたら、ちゃんとした対価を払うべき)
『そ、そうだな』
(ん! 食い逃げはダメ。絶対に)
熱量も凄い。絡んできたチンピラを叩きのめす時よりも、よほど真剣であった。
俺たちがさりげなく見守る中、少女がおもむろに立ち上がる。だが、再び座り込んだ。
心の中で葛藤しているんだろう。
「くっ……。身元がバレるのだけは……。で、でも……」
家出少女か何かか? ここで自分の素性がばれるのを嫌っているようだ。だが、罪を犯すことに対する抵抗感も残っているらしい。
だが、結局は身バレを嫌がる気持ちが勝ってしまったようだった。
スクッと立ち上がると、通りとオープンカフェを隔てる低い生垣に手をかける。そこから逃げるつもりか?
しかし、それを止める存在がいた。
「ねぇ」
「!」
少女の傍らに移動していたフランだ。少女が驚いた表情でこちらを見る。
ただ、驚いたのはこちらも同じだ。
この少女、タダものではなかった。音も気配もなく一瞬で近づくフランに反応し、身構えたのだ。
そもそも、逃げ出そうとした時の動きも、非常に速かった。
フランが止めていなければ超高速で生け垣を飛び越え、あっと言う間に雑踏の中に姿を消していただろう。
こちらをメチャクチャ睨んでいる。俺は咄嗟に鑑定を使うが、どうもおかしい。
演奏などのスキルしか見えないのだ。これだけ強そうな少女が、この程度のスキルなわけがなかった。
何らかのアイテムで妨害されている?
邪気を纏った抗魔たちといい、この大陸に来てから鑑定が仕事をしていない。そもそも、このところ格上と出会うことが多く、鑑定が完全に機能しないことが多かった。
今後の事を考えると、それはまずい。
初見の相手との戦いで、鑑定が通じるかどうかは命を左右するだろう。
そう考えると、鑑定の強化は重要だった。だが、ポイントでの強化は不可能だ。鑑定スキルにも、天眼スキルにも、これ以上はポイントを振り分けることができない。
だが、スキルを進化させずとも、やれることはあるはずだ。浸透勁を使えるようになったフランみたいに、要はスキルの使い方なのだ。
ただ相手の上辺の情報を見るのではなく、より深く視る。肉を、魔力を、その奥の存在を、視るのだ。
いつもは常時並行発動している全てのスキルを切る。そして、魔力を天眼に流し込む。俺に目などないが、だからこそ普通とはちがうものが見えるはずだ。
『見える……』
少女――ソフィーリアのステータスが見える。だが、まだ完全じゃない。一部が■■■で隠れてしまっている。
もっとだ。もっと深く視るんだ。
天眼スキルをさらに意識する。無いはずの眼に激痛が走った。
『ぐ……おぉ……』
あ、これは結構ヤバい奴だ。以前の俺なら、その負荷に耐えられなかったかもしれない。
だが、魔力の扱いに熟達した今の俺であれば、何とか負荷を抑え、耐えることが可能だった。
名称:ソフィーリア 年齢:19歳
種族:人間
職業:神謳楽聖
ステータス レベル:50/99
HP:202 MP:1597 腕力:49 体力:69 敏捷:168 知力:712 魔力:608 器用:819
スキル
意思伝達:Lv8、演奏(弦楽器):LvMax、演奏(鍵盤):LvMax、演奏(打楽器):Lv8、演奏(笛):Lv8、回避:Lv6、回復魔術:LvMax、楽譜:Lv8、歌唱:LvMax、風魔術:Lv6、観察:Lv4、危機察知:Lv2、共感:Lv7、気配隠蔽:Lv3、気配増大:Lv7、鋼糸技:Lv2、鋼糸術:Lv3、瞬発:Lv2、振動感知:LvMax、振動衝:Lv8、精神異常耐性:Lv9、治癒魔術:Lv3、同時演奏:Lv8、反響定位:Lv8、舞踊:Lv5、棒術:Lv4、魔曲:LvMax、魔奏:LvMax、魔糸生成:Lv2、魔術耐性:Lv7、魔力感知:Lv3、魔力障壁:Lv5、魔力放出:Lv3、遠拡声、音感、気力操作、聴力強化、不屈、不眠不休、並列思考
ユニークスキル
楽神の祝福、魔声、魔力統制
エクストラスキル
■■■■、創譜の真理
固有スキル
親和歌唱、伝承演奏
称号
歌う者、回復術師、奏でる者、絶望の歌姫、悲哀の奏者、死地を越えし者、神話の演奏者、楽譜創造者
装備
魔弦・ラウダ、隠遁のローブ、隠遁の衣、音消しのピアス、隠蔽の腕輪
最初は吟遊詩人なのかと思ったが、旅をしているような感じではない。職業から考えても、どこかのお抱え演奏家か?
音楽系のスキルが凄まじい。技術が高いだけではなく、神の祝福まであるのだ。いわゆる天才って奴なんだろう。
音楽的なことなら、どんなことでもやれてしまうらしい。
音楽系のスキルに埋もれているが、戦闘力も低くない。糸と風魔術を併用して戦うのだろう。それに、魔曲などのスキルは、戦闘でも使えるようだった。ゲームに登場する吟遊詩人的なことができそうだ。
高レベルの音楽によるバフデバフと、治癒魔術。後衛として完成されている。レベルから考えても、ランクB冒険者に相当するかもしれない。いや、エクストラスキルの能力によっては、ランクAにも匹敵する可能性があるだろう。
ただ、一つだけどうしても見破れないスキルがあった。多分、装備の隠蔽効果でそのスキルをより重点的に隠しているのだろう。
何でこんな奴が食い逃げなんて……。稼ぐ方法なんかいくらでもあるだろ!
「な、何よ……」
「それはやっちゃダメ。大罪」
「……」
た、大罪って……。
「食い逃げは許されない罪。打ち首獄門」
「……」
「このお店の料理はすごい。対価を払う価値がある」
フランが自分の行動を見破っていると理解した少女は、ガクリと項垂れるように椅子に座り込んだ。
攻撃して無理やり逃げるような真似はさすがにしないらしい。
「……だって……仕方ないじゃない……。私だって、払えるものなら……」
「知り合いがいるなら呼んできてもいい」
「いないわ。居たとしても、見つかる訳にはいかないもの……」
分かってたけど、やはり訳アリだ。どうすればいいかね? 未遂だが、食い逃げは食い逃げだしな。
例えば、装備品を俺たちが買い取るとか? 価値はいまいち分からんが、ここの食事代よりも安いことはないだろう。
『どうするフラン?』
「……」
『フラン?』
項垂れる少女を見つめていたフランが、急に踵を返した。
「あ、ちょっと!」
『フラン、どうするつもりだ?』
(私に任せて)
『まあ、フランがそういうならいいけど』
追いかけてくる少女を引き連れて、そのままカウンターに向かって歩いていく。
「お会計を」
「はい。3番テーブルのお客様ですね」
「あと、この女の人のお会計も一緒にお願い」
「お会計を纏めてお支払いになるということですか?」
「ん。私が払う」
なんと、金髪少女ソフィーリアの分まで一緒に支払ったではないか。
『いいのか?』
「ん」
店を出たフランが、背後のソフィーリアを振り向いた。呆然としつつも、どこか睨むような目でこちらを見ている。
「何で……?」
「これは貸し。次に会った時に、返してもらう」
フランは少女の返答を待たずに、背を向けた。
『また会うかどうかわからないぞ?』
(それならそれでいい。でも、何となくこうするのがいいかと思った)
『そうか……』
(ん)
少女を気に入ったというよりも、放っておけないと思ったのだろうか? それとも、獣人の野生の勘が、恩を売っておくべきだと判断した?
その割に、ソフィーリアは親切の押し売りだと思っていそうだが……。
そう思っていたら、ソフィーリアがフランの背に向かって小さく、それでいながら妙に聞こえやすい声で呟いた。
「ありがとう」




