560 エルザ印の美容液
キャローナと一緒に更衣室の中を進んでいく。
相当広いようだ。フィットネスクラブやプールのような、大型施設の更衣室に似た作りである。他のクラスもいるらしく、100人以上の女生徒が着替えをしていた。
いや、床しか見てませんから! 気配を察知できるだけだから! 床に散らばってる衣服が目に入るのは不可抗力ですから!
そんな中、キャローナが小さく声を上げる。
「あっ」
「どうしたの?」
「あの、更衣室に案内しましたが、着替えを持っていないのではないですか?」
ああ、フランが授業前に着替えたのは教官用更衣室だからね。普通に考えれば、着替えはそちらに置きっぱなしだろう。
「へいき。持ってる」
「まあ、時空魔術まで? 凄い」
俺たちの場合は次元収納に仕舞ってあるのだ。虚空から制服を取り出したフランを見て目を丸くしていた。
キャローナの前では相当な数の魔術を見せている。彼女が知っているだけでも、火、風、土、雷鳴、光、時空の6種だ。その多才さに驚きを隠せないらしい。ただ、もう驚きなれているというのもあるのか、そのリアクションは薄めだけどね。
「キャローナ?」
「あ、申し訳ありません。フランはロッカーの使い方は知っていまして?」
「ん。イネスに聞いた」
「フランの場合は時空魔術があるので、あまり使わないかもしれませんわね」
次の授業は魔獣解剖学という、魔獣の解体などに関する講義らしい。教官としての仕事は、この授業の後に上級クラスを相手にすることになっている。
「では、教室まで案内しますから、着替えてしまいましょう」
「わかった」
フランとキャローナが着替え始める。うーむ、衣擦れの音が、妙に耳に入ってくる。聞いちゃいけない音を聞いている感じ?
ちょっとドキドキしながらフランたちが着替え終わるのを待っていたら、キャローナが再び声を上げた。
「まぁ」
「ん?」
「いえ、高ランクの冒険者ですのにとてもお肌がきれいなので」
ああ、普通だったら古傷とかが残るんだろう。歴戦の冒険者であればあるほどに。ただ、フランの場合は俺が回復魔術で治してしまうから、古傷が残りにくいのだ。
全くないわけじゃないけど、目立つ傷はない。
「何かお手入れなどなさっているのですか?」
「お手入れ?」
「ええ。そのきめ細やかな肌は、年齢だけでは考えられませんわ」
「ん?」
「何か美容液などをお使いになっているのですか?」
お手入れか。実はしていないわけじゃない。
ウルムットの漢女、エルザ(本名バルディッシュ)からもらった特製美白美容液を、言われた通りに肌に塗らせているのだ。特に露出している顔や手足には入念に。
フランは最初の頃は面倒くさがっていたが、習慣づけることで嫌がることはなくなった。まあ、魔狼の平原での修行中はさぼっていたようだが、今は毎晩のスキンケアを欠かしていない。
もらった美容液がなくなったら、またもらいにいかないとな。
「液ならこれ塗ってる」
「まあ! これは!」
フランが次元収納から取り出した美容液を手渡すと、キャローナが目を見開いて声を上げた。次元収納を見た時よりも数段驚いているだろう。
「どうしたの?」
「こ、これはエルザ印の美白美容液ではないですか! 流通量が少ないために幻とまで言われる逸品ですわ!」
エルザ印というのは、瓶に描かれた斧と女性の絵柄のことだろう。ブランド化しているらしい。
キャローナがメッチャ興奮している。しかも、キャローナの叫びを聞いて、周囲の女生徒たちの目の色が変わっていた。
他クラスの生徒も、フランにビビッて関わらないようにしていた特戦クラスの生徒も、全員の視線がフランの持つ小瓶に注がれている。
しかし、持ち主であるフラン自身は美容液に興味がない。気のない返事をするだけである。
「ふーん」
「そ、それをどこで……? 貴族であっても、手に入るものではないのですよ? 市場に出回った僅かな品も高位貴族の奥方様たちが買い占めてしまわれますし……。噂では、王妃様もご愛用なさっているそうですわ」
そう言われても、フランにとったら面倒な作業の源でしかない。特に感銘を受けたりはしなかったらしい。
「これは、ウルムットの知り合いに貰った」
「ああ、なるほど。ウルムットはこの美容液の生産地という話ですし、フランが飛躍した都市。ならば、そういった伝手があるのかもしれませんね」
さすがに欲しいとは言わない。高価なものであるというよりも、やはりフランにおねだりはできないのだろう。特に実力を見せつけられた後だしね。
周囲の女生徒たちも、特に声をかけてくる様子はない。どうも、キャローナに気後れしているらしかった。貴族だから? いや、特戦クラスだからかもしれないな。とにかく、これ以上騒ぎにならないのであればそれでいい。
そう思ってたんだが、騒ぎを起こしたのは他でもないフラン本人であった。
「これ、使っていいよ」
「ええ?」
「はい」
なんと、美容液の入った瓶を、キャローナに手渡してしまったのだ。
「よ、よろしいのですか?」
「ん。他の人も使いたかったらいい」
「「「――!」」」
その瞬間、ロッカールームが揺れた。フランたちの周囲だけではなく、話を聞いてた遠くの生徒達までもがダッシュで集まってきたのだ。ビビッていたクラスメイトたちも、一瞬でフランの周りに集まっていた。
「こ、これ一本で何万ゴルドもするんですよ?」
「もらいものだし」
「はっ! そういえばフランはこれでも異名持ち……! この程度ははした金ということなのですか! 貧乏男爵家の我が家とは違いますのね!」
遠慮していたキャローナも結局は高級美容液への誘惑と、周囲からの「さっさと使ってこっちに回せ!」的な視線には勝てなかったらしい。恐る恐るその美容液を手に出すと、肌に塗り始めた。
その後は、周囲の女生徒たちがキャーキャー言いながら美容液の瓶を回し始め、あっと言う間に1瓶なくなってしまう。
それでも到底全員には行き渡らなかった。物欲しげな視線がフランに集中する。するとフランは新たな瓶を取り出すと、女生徒たちに手渡した。
「使っていいよ」
「キャー! ありがとう!」
このままだと、あと1瓶は使われる羽目になりそうだが……。
『おいフラン、自分の分は残しておくんだぞ?』
(……)
『フラン?』
(みんな喜んでくれている)
『あ! お前、夜にこれ塗るのが面倒だからここで減らすつもりか!』
(……)
そこまで面倒くさかったとは……。
まあ、渡してしまったものを取り上げられたら恨まれそうだし、出してしまった分は仕方ない。だが、これ以上はもう渡さんぞ。
『ちょ、フラン! なんでもう1瓶取り出してんだ!』
「これも使っていい」
「やった! ありがとうございます!」
「これすっごいシットリ!」
「あはは! ありがとう!」
「ん」
皆が笑顔でフランに礼を言う。クラスメイトたちもフランの手を握って興奮しているな。そこにはもう、怯えも壁もない。
はぁ。女生徒たちに受け入れられるための先行投資だったと思っておくか……。




