553 精霊様のお気に入り
「もぐもぐ……」
「モグ……モグモグ」
宿に戻ってきたフランは、夜になっても元気がない状態であった。
目に見えて落ち込んでいるわけではないのだが、いつもの調子が感じられない。なんと食事中であるというのに、その笑顔はどこか弱々しかった。
メニューは肉がたっぷりのシチューと、餡かけのジャガイモ。黒パン、ライ麦パン、バターロールの3種のパン。魚のオイル漬けの入ったサラダに自家製の酢漬け野菜と、チーズパスタというかなり豪華なものだ。先日のことも考えたら、味も申し分ないだろう。
だが、フランの食事速度はあまり上がらない。学院の食堂と同じくらいだろう。
これは異常なことである。いつものフランなら、美味しい物を食べれば大抵の悩み事は忘れるはずなのだ。
隣で食事をとっているウルシも、フランを気にしていつもの勢いがない。横目でフランをチラチラ見ながらご飯をほおばっている。
『フラン、まだロミオのことが気になってるのか?』
「ん……」
やべっ。ロミオの名前を聞いた途端、フランの表情が目に見えて曇ってしまった。やっぱりロミオを傷付けたことを気に病んでいたらしい。俺がどれだけ仕方なかったと言っても、割り切れないのだろう。
スプーンが止まってしまった。そんなフランに話しかけたのは、宿の女将のお婆さんだ。
「お嬢、今日はなにかあったかね?」
「ん……」
「詳しいことは聞きゃぁせんよ? だがね、それはここで悩んどって、どうにかなることなんかい?」
「それは……」
「これはエルフに伝わる言葉なんじゃが……。新芽は深き森の灰より出ずる」
「?」
エルフのことわざみたいなものかな?
「たとえ住んでいる森が焼けようとも、いつか木々は再び生えて、新しき森が誕生する。つまり、生きとる限り何でも起きよる可能性はあるが、大事なのはその後という意味だでの。取り返しのつかんこともある。失われたものは戻ってこなんかもしれん。だが、それは自分の糧として、この先も生きていくしかないんよ」
長い寿命を持っているエルフっぽい人生観かもしれないな。人間よりも遥かに長く生きる彼らの人生は、きっと様々な事件や出来事が起きるのだろう。それら全てを気にして後悔していたら、心が押し潰されてしまうのかもしれない。
「……む?」
フランはその言葉を理解しようとしているらしい。だが、すぐに腕を組んで首を傾げてしまう。俺だって言葉の意味は分かるけど、本当に理解できるかと言われたら正直微妙だ。
まだ13年しか生きていないフランが納得するには、少し難しい言葉だろう。
「ふむ……。お嬢にはまだ分からんかいね。まあ、わしらエルフの爺婆が、この齢になってようやく身に染みる言葉だで」
「……ごめんなさい」
「こちらこそすまんの。押しつけがましかったけ。ただ、ひとつええかい?」
「ん」
「美味い飯は、集中して食べた方がより美味かとよ?」
「! 確かに」
お婆さんが慰めようと色々な言葉をかけてくれていたが、結局最後の言葉が一番心に響いたらしい。
だが、それでお婆さんとフランは通じ合っているようだ。一瞬見つめ合って、どちらからともなく頷き合う。
「他のことを考えながら食べるのは、ご飯に失礼」
「そうそう」
「ん」
そして、フランが、一心不乱に食事をかきこみ始めた。
完璧じゃないけど、調子が戻ってきたらしい。そして、その顔に僅かな笑みが浮かぶ。これでいつもの元気が出てくれればいいんだが……。
そう思っていたら、再びフランの手が止まった。
やっぱり空元気だったか? そう思ったが、お婆さんの動きも止まっているな。そして、両者の視線が同じ場所を向いている。
「ほほう? どうなさったんかいの?」
「……精霊?」
どうやら、古樹の精霊が食堂の入り口付近に下りてきたらしい。フランとお婆さんが同じ一点を見つめていた。
フランが自分と同じ場所を見ていることに気づいたお婆さんが、驚いた様子でフランに問いかけている。
「もしかして見えるんかいの?」
「なんか、いる?」
やっぱり見えてはいないか。だが、フランがそう返すとお婆さんが一瞬目を見開き、すぐに笑い出した。
「ほっほっほ。精霊様に、随分気に入られたんじゃね」
「どういうこと?」
「才能があっても、精霊様に嫌われておれば、感じることはできん。うむうむ。精霊様はお嬢を見とるよ。元気がないのを心配しとるようだで」
「!」
「気に入らない相手だったら、追い出す場合もあるんじゃが……。精霊様がエルフ以外にここまで気を許すんは、何十年ぶりじゃろうかね?」
「精霊様が気を許してくれてる?」
お婆さんの言葉に、今度はフランが目を丸くした。だが、精霊がそこまでフランを気に入ってくれた理由が分からないな。
たった一晩、泊まっただけだぞ? いや、フランの可愛さに精霊もやられたってことなのかもしれん。精霊さえ魅了するフラン。うむ、ありえる。
「でも、私何もしてない」
「精霊様は、純粋で優しい相手が好きだでね」
可愛さじゃなかった。でも、フランの純粋さを見抜くとは、なかなか見どころがある精霊だ。まあ、俺には見えてないんだが。
フランもさらに精霊を感じようとしたのか、探知系のスキルを起動させた。しかし、すぐに思案顔になってしまう。
『どうした?』
(スキル使っても、全然分からない)
どうも、変化がないらしい。その様子を見たお婆さんがアドバイスをくれる。
「普通の探し方で精霊様は見れんよ」
「そうなの?」
「可視化しとらん精霊様を見るには、精霊魔術のスキルか精霊眼が必要なんよ。そのどちらかの素質がある人間には、僅かに感じることができるそうな」
後は何かきっかけを掴んでスキルを開花させるしかないらしい。感じることができるということは、何かを掴みかけている証拠であるそうだ。ただ、エルフは物心が付く前に精霊を視ることができるようになるため、どうすればいいかという質問には答えられないそうだ。
「……精霊様?」
「……」
フランが精霊がいるであろう場所に声をかける。当然だが、何も反応はない。フランにも分かっていないだろう。だが、お婆さんは目を細めて微笑んでいる。
「うむうむ、精霊様、よかったですのう」
「精霊様、どうしてる?」
「喜んでおった。今はもう樹に戻ってしまったがの。気まぐれなお方だで」
「そう」
「まあ、あの様子ならまた出てきてくださるだろうよ」
「楽しみ」
それにしても、この調子だったらこの宿に泊まっている間に本当に精霊魔術を習得してしまうかもしれないな。
 




