552 厄介な契約
「この後はどうされます?」
庶務課のようなところで学生手帳、教員手帳を受け取り、授業に必要なものを揃えた後、イネスに行き先の希望を尋ねられていた。
今日行かなくてはいけない場所はもう回ったらしく、行きたい場所があれば案内してくれるという。
ということで、俺たちは気になった場所をイネスの案内で見て回ることにした。
最初に向かったのは、敷地内の様々な施設の中でも特に異彩を放っている雪山だ。
「おおー」
「オンオン!」
白い雪が一面に敷きつめられ、そのまま中央に行くにつれて段々と高くなっている。雪山というか、ゲレンデっぽいか?
「雪山登山の訓練や、雪上での基礎戦闘訓練に使われます」
「入っていい?」
「今なら構いません」
「ウルシ、いく」
「オン!」
イネスの許可をもらった直後、フランとウルシが雪原に駆け出す。
フランもウルシも、雪が初めてというわけではない。魔狼の平原にだって降っていた。
ただ、周りは普通の光景なのに、ここだけ雪が積もっているという不可思議な光景にテンションが上がっているのだろう。
フランの足がズボズボと膝くらいまで埋まっているな。まるで降ったばかりの柔らかさだ。
てっきり冬の間に降り積もった雪を集めて、溶けないように冷やしているのかと思っていたんだがどうも違うらしい。
俺の想像通りならもっと硬いはずだからな。特に山になっている部分は圧迫されて、氷のようになるはずだ。除雪作業で一ヶ所に集めた雪が、カッチカチに固まってずっと残っているアレである。
雪塗れになるまで駆けまわって満足したのか、フランとウルシがイネスの下に戻る。そして、フランがやや興奮した様子で尋ねた。
「これ、どうやってる?」
「氷雪魔術などを使って、維持しているのですよ」
「なるほど」
毎日、魔術で雪を生みだしているらしい。固まった雪は溶かして水に戻し、それをまた雪にしているのだという。
「とは言え、この時期だけですが」
さすがに夏場などは維持が難しいか。外気温がそこまで高くない、今の時期だけ造ることができるらしい。
夏場などは藪の深い小山として、山歩きの訓練などに使うそうだ。
その後は岩山や、湖、湿地など、主に実習に使う演習場を見て回った。多くの場所は、魔術師や精霊たちが整備をし、維持しているらしい。
「演習場はだいたい案内しましたね。次はどうされます? そろそろ日が落ちますが」
「ん……。ゼロスリードはどこにいる?」
「申し訳ありません。今日のところは案内するなと言われております。ただ、互いに落ち着いたら、学長と一緒という条件付きで面会できると」
「……わかった」
そりゃそうだ。ゼロスリードを殺しかけて、その日の内に会わせてくれるはずもない。フランもダメもとで聞いたらしく、そこまで落ち込んでいる様子はなかった。
「じゃあ、ロミオは?」
「そちらも難しいです。寝込んでおりますので」
そう言えば、邪気のせいで調子を崩しているんだったか。だが、ロミオが寝込んでいる理由はそれだけではなかった。
「お見舞いはできない?」
「あー……そうですね……」
なんだ? 妙にイネスの歯切れが悪いな。
「すみません。ロミオという少年が寝込んでいるというのは嘘です。フラン殿が職員室に来た頃には、もう目覚めていたそうです」
「? なんでそんな嘘ついた?」
「ロミオ少年とフラン殿を会わせるなと言われているのです」
「どういうこと?」
「実は、フラン殿の事を怖がっているということでして……」
フランがゼロスリードに襲いかかった、あの事件。被害を受けたのは首を斬り裂かれたゼロスリードと、フランの殺気を受けてしまった不運な生徒たちだけではなかった。
もう1人、大きなダメージを負った者がいたのだ。それが、ゼロスリードと特殊な力で結ばれているロミオであった。
ウィーナレーンも言っていた。ゼロスリードとロミオは、どちらかが傷つけば相手も傷つくような厄介な状態にあると。
そして、フランがゼロスリードを傷付けたとなれば――。
フランが少々ショックを受けた様子で、口を開く。
「ロミオも、傷ついた?」
「はい……。その、全く同じダメージではなく、せいぜい10分の1程度の傷だそうです。ただ、3歳の子供ですので……」
ちょっと傷がついただけでも大怪我だろう。
「ロミオは大丈夫?」
「怪我はすぐに癒されたそうです。ただ、その傷が誰によってもたらされたものなのか理解しているようでして」
それで、フランを怖がっているわけか。どうやら、間接的にロミオも殺しかけていたと知ればフランが動揺すると思い、できるだけその事実を伏せようとしてくれていたらしい。
ただ、ロミオに会いに行くと言い出してしまったので、真実を語ったのだろう。適当に誤魔化した場合は「じゃあ後日で」ということになってしまうだろうからな。
「……今日は帰る」
「わかりました」
肩を落としてそう呟いたフランを、イネスが心配そうな顔で正門まで送ってくれた。こんな顔をしていると、年相応に見えるのだろう。
「事情は聞いております。その、ロミオのことに関しては予測することは不可能ですし、あまりお気になさらない方がよろしいですよ?」
「ありがと」
そう返しつつも、フランの顔は晴れない。理屈ではないのだろう。3歳児を殺しかけたという事実が、どうしようもなくフランの気持ちを落ち込ませている。
『まあ、幸いにも殺さずに済んだんだ。今はそっちを喜んでおこう』
「ん……」
「オン」
「ありがとウルシ」
手をペロペロと舐めるウルシに、フランの顔が僅かに綻ぶ。しかし、これでゼロスリードへの復讐が遠のいたというか、難しくなった。
ウィーナレーンがロミオたちの契約を解除しない限り、傷つける事さえできなくなったのだ。フランが再び激高して殴りかかっただけで、ロミオが死んでしまうかもしれない。
ウィーナレーンが零していた通り、厄介な契約だった。




