禁断の遺跡へ潜入 中編
空はまだ白んでいた。
だが、地上の光はこの遺跡の奥には殆ど届かない。
瑠衣は、静かに一歩を踏み出した。
荒れた石段を下り、重く軋む鉄扉を開けた先に広がっていたのは、地下へと続く漆黒の回廊だった。
しん……と、世界が静まる。
空気は淀んでいた。閉ざされた地下のせいだろう。ジメジメとした湿気と、かすかに漂う鉄と腐臭が鼻を突く。
「……薄気味悪いな」
呟いた声が、通路に吸い込まれる。反響はない。
それがまた、不気味さを増幅させた。
灯りはない──はずだった。
だが、瑠衣が一歩踏み出すたび、左右の壁に立てかけられた古びた松明が、ぼうっと自動で灯り始めた。
まるで彼の進行に呼応するかのように、次々と炎が揺らぎ、遺跡内の道筋を照らしていく。
火を点けるための仕掛けも、熱源も見当たらない。
どういう理屈で点灯しているのか──まったくわからない。
松明の明かりは、不自然なほどに一定していた。
まるで、“外の世界”との接点を拒絶する代わりに、この空間だけの法則で動いているような──そんな異質さがあった。
「妙に静かすぎる」
幻影の巣窟――。
そう呼ばれていたこの遺跡に、奇妙なほど音も気配もない。
だが――その沈黙の中で、瑠衣はすぐに“それ”を見つけた。
転がる白骨。
瓦礫に埋もれるようにして倒れていたそれは、もうとっくに生きた証を失った人間の成れの果てだった。
――いや、人間だったもの。
それが身に纏っているのは、間違いなくSEUの軍服だった。
階級章はすでに削れ、名札も見えない。
傍らには、無造作に打ち捨てられた一本の武装刀。…錆びつき、禍々しいまでに黒ずんだその刀身が、主の末路を物語っていた。
「……先客ってわけか。武装刀を探して、ここで果てたか」
軽く目を伏せ、合掌するように右手を胸元で結ぶ。
どれだけの覚悟でここに来たのか、それはわからない。だが少なくとも、今、こうして立っているのは――自分だけだ。
瑠衣は静かに歩を進めた。
通路は複雑に入り組み、何層もの階層を螺旋状に潜っていく。
途中、崩れた柱や落盤跡を乗り越える箇所もあり、探索は思った以上に骨が折れる。
だが、それ以上に違和感があった。
「本当に幻影の巣なのか?」
そんな疑問が、歩を進めるたびに募っていく。
確かに、この遺跡はSEUの中でも侵入禁止に指定されていた。
その理由は、内部にうじゃうじゃと幻影が棲みついているからだと聞かされていた。
にもかかわらず──
――静寂。
生物の気配すら感じない、死のような沈黙。
いくら進んでも、何も起きない。
逆に、それが不気味だった。
だが──。
(……見られている)
ふと、背筋にぞわりとした感覚が走った。
明確な視線。存在の気配。
誰かが……否、何かが、暗がりの奥からじっとこちらを覗いている。
振り返っても、そこには誰もいない。
だが、感覚だけが確かに残っている。
数秒、いや数分に渡ってそれは続いた。
(気のせいじゃねぇな……)
次の瞬間だった。
『ウオオオオオオオッ!!!!!』
突如、けたたましい咆哮が洞窟内に響き渡った。
地鳴りのような唸り声。石壁が震え、埃が落ちる。
直後、左右の暗がりから飛び出してきたのは──黒い影の群れ。
「来やがったか!」
十体を優に超える数。
ぬらりと伸びる黒い腕。暗がりに広がる不気味な赤い瞳。
あれは、間違いなく下級幻影だ。
声を上げる間もなく、幻影たちは一斉に瑠衣へと襲い掛かった。
しかし──
「ふんっ!」
武装刀が抜かれる音。
刹那、幻影の一体が宙に跳び、斬撃とともに爆ぜた。
瑠衣は一歩も引かない。
その身のこなしは、もはや人のそれではない。
幻影の爪を一寸で避け、逆の足でカウンターを入れる。
振り下ろされた黒い腕を、刀で受け流し、返す刃で斬り上げ核を潰していく。
一体、また一体──音もなく影が地に伏していく。
息すら乱さず、最後の一体を袈裟に斬り伏せたとき、周囲に残るのは、蒸発するように消える瘴気だけだった。
「……ふぅ。肩慣らしには丁度いい」
刀についた黒い液体を振り払うと、再び歩き出す。
しかし、ほんの数十歩進んだところで、またしても咆哮が響いた。
『グオオオオオ……ッ!!』
そして今度は──先程の倍以上。
洞窟内の四方八方から現れた影の群れは、視界を覆い尽くすような数だった。
「なるほど……ようやく幻影の巣窟らしさが出て来たじゃないか」
軽口を叩きながらも、その目は真剣そのもの。
全方向から襲い来る幻影。だが、瑠衣は怯まない。
むしろ、その瞳は静かに燃えていた。
踏み込み。抜刀。回転。
連撃。跳躍。背後取り。
あらゆる動作が、まるで戦闘を通り越して舞踏のようだった。
だが、いくら倒しても、数が減らない。
無限とも思える幻影の群れ。
これでは埒が明かない。
(数で押してくる気か……ならば)
瑠衣は刀を収め、右手を高く掲げた。
「重力断罪」
その声と共に、大気が軋む。
空間が、歪んだ。
次の瞬間、周囲にいた幻影たちが──
まるで巨人の手に掴まれたかのように、一斉に地面へと叩きつけられた。
ゴシャアッ!! ゴボッ! バギッ!
骨が砕け、肉が潰れ、黒煙と絶叫が辺りに満ちる。
数十体の幻影が、もがくことすらできずに地に沈んだ。
煙が晴れる。静寂が戻る。
瑠衣は一瞥もくれず、前を向いたまま呟く。
「雑魚に付き合ってる暇はない」
ただ、歩く。前へ。
その足取りは、あくまで静かに、だが力強く。
やがて、道の先に──それは現れた。
巨大な扉。
幅は十メートル以上。分厚い岩と金属で成されたその扉は、まるでこの先にある何かを封じているかのようだった。
表面には幾何学的な紋様が無数に刻まれ、中心には“警告”の意を示すかのような赤いラインが走っている。
まるで、開ける者に対して「ここから先は戻れない」と言わんばかりの意志を放っていた。
「最深部のおでましか」
だが、違和感は拭えなかった。
ここまで、敵らしい敵とはほとんど遭遇していない。
下級幻影は確かに群れを成して現れたが、それだけだ。
こんなにもあっさり、遺跡の最奥へ辿り着いてしまっていいのか。
(簡単すぎる……)
幻影の巣窟と呼ばれ、制圧を断念されたはずのこの遺跡が──
ただの雑魚幻影だけで終わるはずがない。
この扉の先に“本命”がいる。
いや、そうでなければ、この気味の悪さに説明がつかない。
瑠衣は深く息を吐き、両手で扉に触れた。
ギギ……ギィ……
金属が軋むような、耳障りな音が空間に響いた。
鈍く重い圧力が、腕にのしかかる。
扉はゆっくり、しかし確かに開いていく。
そして──
中に広がっていたのは、静謐な“大広間”だった。
天井は高く、まるで教会のドームのように円形を描いている。
壁にはいくつもの古代文字が刻まれ、中央には石造りの螺旋階段。
そして──その頂上に、それはあった。
一本の“刀”。
まるで宝具のように、静かにそこに刺さっていた。
「……あれか。鴉羽が言ってた“武装刀”ってのは」
だが、近づくにつれて、違和感は“確信”へと変わっていった。
黒く濁った刀身。
光沢はなく、鈍く染みついたような漆黒の色。
刃はかすかに歪み、柄には髑髏を象った金属装飾。
ただ置かれているだけなのに──空気が凍るような禍々しさを放っている。
思わず眉をひそめる。
目を奪われる。息を呑む。
それは武器というより、呪物だった。
「気色悪……。なんだこの刀は……」
思わず口を突いて出た呟きに、自分で驚いた。
この自分が“声”を漏らすほどの威圧感を感じるとは。
そのとき、ふと目に留まった。
階段の根元──そこに、小さな石碑があった。
古びた石に刻まれた文字。埃に覆われながらも、文字だけは不思議とくっきりと読める。
『この刀を使いたければ、力を示せ』
「なるほど、そうきたか」
苦笑し、肩をすくめる。
だが、そこでまたしても“空気”が変わった。
──光。
ぼう、と青白い光が空間に灯る。
そしてその光の中から、ゆらゆらと浮かび上がってきたのは――
一人の老人の姿をした、ホログラム。
顔はぼやけ、輪郭も不確か。
だが、その佇まいには圧倒的な“存在感”があった。
そこにあるのは、単なる映像ではない。
まるで人の魂がそこに宿っているような──そんな異質さ。
(……こいつ、ただのホログラムじゃないな)
背筋に、ひやりとしたものが走った。
久しく感じていなかった危機感。
あの幻影皇帝の前でさえ、これほどまでに全身の筋肉を緊張させたことはなかった。
(ここまで順調に進めた理由……まさか、全部“こいつに辿り着かせるため”?)
あまりにスムーズすぎた。
幻影の巣窟にしては抵抗が少なすぎる。
あたかも、瑠衣の到来が予定されていたかのような展開。
そして、この異様な老人の出現。
すべてが、気味が悪いほど繋がっている。
その時だった。
『お前、この刀を使いたいのか?』
老人の口が、ゆっくりと動いた。
その声は低く、くぐもっている。
だが──間違いなく、生きている声だった。
それが、たとえ録音されたホログラムのセリフであったとしても。
『お前、この刀を使いたいのか?』
青白く揺れるホログラムの老人が、再びそう問いかけた。
その声音には、不自然な抑揚がある。だが……機械音声には聞こえない。
あまりに“生々しすぎる”。
「ホログラムが喋った……?」
内心の警戒を抑えながら、静かに問い返す。
「お前は一体誰だ?」
『ワシは、この刀を作った者だ。このホログラムは、ワシの刀に近づくと自動で再生される。そして、あらかじめ決まった質問に対してのみ答える事ができる』
「なるほど……登録してない質問は答えられないってことか」
『左様。それで、再度問う。お前、この刀を使いたいのか?』
「……ああ」
その瞬間、ホログラムの目が、ふっと細められたように見えた。
気のせいではない。人間と同じ“感情の機微”を感じた。
『ならば、力を示せ』
「……力を示せって、どうすりゃいい」
『なに、簡単なことだ』
老人の言葉とともに、瑠衣の目の前に新たなホログラムが現れる。
──その瞬間、明らかに空気が変わった。
空間が、圧を持った。
映し出されたその男は、ただ“立っている”だけだった。
だが、周囲の温度が下がったような錯覚を覚える。
(……なんだ、この感じは)
その男は、厳めしい顔をしていた。
白髪を後ろに撫でつけ、鋭い眼光は獣のように光っている。
腰には、武装刀が左右に二本。──二刀流。
動いていないのに、既に“構えている”ような圧がある。
その姿を見た途端、瑠衣の両足に、無意識のうちに重みが走った。
『そのホログラムには、大和皇国最強と言われた男──月神家初代当主、月神玄水の戦闘データが組み込まれている』
老人の声が告げる。
『そいつと戦い、勝つことができれば、その刀をくれてやる。ただし──負ければ』
口角が、笑ったように吊り上がる。
『お前は死ぬ』
その言葉と同時に、周囲の床に視線が向いた。
そこには、いくつもの“白骨”が転がっていた。
形はまばらだが、どれも明らかに戦闘中に斃れたものだ。
首を刎ねられた者。胸に穴が空いた者。肋骨が内側から弾け飛んだ者。
「……ここで挑戦した奴らの、成れの果てってことか」
『そのとおりだ。皆、“力を示せなかった”。お前は、どうかな?』
瑠衣はふっと息を吐き、静かに言った。
「……お前は一体、何者なんだ。そこまでしてこの刀を守る理由は?」
しかし──
『その質問にはプロテクトがかかっている。知りたければ、勝つことだ』
「……チッ、めんどくせえな。だが、やるしかねぇか」
深く一歩、前に出る。
懐から、自身の武装刀を抜き放つ。
光を反射し、白刃が空気を裂く。
その一振りが、この空間に“火種”を放った。
──すると。
『……戦う前に、聞いておきたい』
玄水が、初めて口を開いた。
それは、ホログラムのはずなのに、妙に“生の声”だった。
『其許の名は?』
「……義影瑠衣」
その名を聞いた瞬間、玄水の目が僅かに見開かれた。
『義影……瑠衣。良い名だ』
そして、背筋を伸ばし、己の名を名乗る。
『我が名は、月神玄水。すでにこの世を去った者だが、訳あってこの刀の守人をしている。』
声に、年老いた男の静けさと、かつての武人としての重みがあった。
だが──その奥底には、明らかな“殺意”が宿っていた。
『其許には悪いが、この刀を使うにふさわしいか──試させてもらう』
そう言って、月神玄水が、ゆっくりと腰の2丁の武装刀に手をかけ、両手に持った。
キィン……という音が鳴った。
ただの金属音ではない。
空気が震え、音が身体に“刺さる”感覚。
──そして次の瞬間。
ズンッ、と空間そのものが軋んだ。
足元の床が軽くひび割れる。
ただ、刀を構えただけで。
ただ、佇んだだけで。
「…………」
瑠衣の額に、うっすらと汗が滲んだ。
幻影皇帝に背を向けた今、あらゆる死地を潜り抜けてきた自分が──
“ただのホログラム”に、ここまでの緊張を覚えるなど想定外だった。
(これは、ただの戦闘データじゃない……まるで生きているみたいだ)
玄水の一歩に合わせて、空気が鳴る。
音すら置き去りにするような“殺気”。
それはもはや、残留思念の域すら超えていた。
『構えよ、義影瑠衣。手加減はしない。此度は、お前の覚悟を見せよ』
「……上等だ」
瑠衣は目を細め、刀を構える。
緊張が張り詰める。
まるで時間が止まったような沈黙。
先に動くのは、どちらか。
一瞬の判断が、生死を分ける。
──静寂を破ったのは、玄水だった。
『──参る』
刹那。
玄水の姿が、消えた。
「ッ──!」
次の瞬間、瑠衣の右肩に、“風”が走る。
回避するより早く、反応が走っていた。
踏み込み、カウンター。
瑠衣の武装刀が唸りをあげて、空を裂く。
だが──斬れなかった。
玄水は、空を跳ぶようにして着地し、口元にうっすらと笑みを浮かべた。
『ふむ。反応は悪くない。だが──その程度では、死ぬぞ』
「ちっ……!」
瑠衣の瞳に、明確な戦闘の光が宿る。
月神玄水。
かつてSEUの最高戦力にして、戦神と称された英雄。
その影は、今も生きている。
刀とともに。
──そして、瑠衣の試練が、いま始まる。




