禁断の遺跡へ潜入 前編
スラムの空に、沈みかけた夕日が赤い光を落としていた。
瓦礫の街並みに反射するその夕焼けは、まるで滲んだ血のように朱く濁って見える。
この地の空はいつも曇りがちで、澄んだ青など望むべくもない。
だが、それでも今日の夕陽は――やけに、不吉だった。
黒羽真白が去ったあと、沈黙が場を支配していた。
しばらくして、鴉羽が重たく口を開いた。
「……おい、義影。お前、本当に黒羽上官と戦うつもりなのか?」
その声音は明らかに真剣で、焦燥すら滲ませている。
「殺されるぞ。あの人、冗談抜きでヤバいんだぞ?」
鴉羽の声には、恐怖が混じっていた。
SEUの隊員たちにとって、黒羽真白は“天災”のような存在。逆らえば、無条件に潰される。誰もがそう信じていた。
そんな彼女に“目をつけられる”など、通常なら恐怖で正気を保てない。
それに対して、瑠衣は眉一つ動かさず、静かに応じた。
「ああ。だが──もちろん殺されるつもりはない。俺は、勝つつもりだ」
鴉羽が目を見開く。
「……勝算はあるのか? あの冷国上官ですら、手も足も出なかったんだぞ?」
瑠衣は目を細め、宙を見やった。
「……やっぱり、あの戦いの噂は広まってるんだな」
それは、彼にとっても予想外ではなかった。
あの瞬間、訓練場に立ちこめた殺気と雷鳴のような音は、周囲の誰にも無視できるものではなかっただろう。
「ま、あんなもん見せられたら、広まるに決まってるだろ。黒羽上官が本気で冷国上官を殺そうとしていたんだってな。ただ、寸前のところで助けに入った奴がいたとか――って、お前、まさか……」
鴉羽が言いかけたときには、すでに答えを悟っていた。
「ああ。俺が止めたんだよ。冷国が殺されそうになってたからな」
「……なんだと?」
その瞬間、空気が凍りついた。
冗談では済まされない。
SEU新人──義影瑠衣が、シングルナンバーの二人の戦闘に割って入ったという話など、常識で考えれば狂気の沙汰だ。
「おいおいおい……お前、正気か? あの二人の戦いに新人が割って入るなんて、無理に決まってるだろ」
言いながら、鴉羽は半分怒鳴っていた。
信じたくない。だが、信じざるを得ない何かがあった。
「まあ、信じようが信じまいが構わない。けど──黒羽が目を付けてきた。それが証拠じゃないのか?」
淡々と語る瑠衣の声音に、虚勢も見栄もなかった。
事実を、そのまま述べているだけ。だからこそ、怖い。
「……いや、しかし……」
鴉羽は、それ以上言葉を継げなかった。
あまりに突飛な話に、頭が追いつかない。
そして、苛立ったように頭をガシガシと掻きむしる。
「あーもう!どうなっても知らんからな、ほんと……!」
口ではそう言いながらも、内心では何かがざわついていた。
この義影瑠衣という男は、本当にただの“新人”なのか?
煙草に火をつけた鴉羽は、紫煙をくゆらせながら呟いた。
「……でも、お前みたいな奴、嫌いじゃねぇけどな」
不器用な賞賛だった。
その言葉に、瑠衣は答えなかった。
沈黙のまま、二人は残りの見回りを終えた。
◇
――深夜。
拠点の簡素な個室にて、瑠衣はひとり、武装刀を手にしていた。
──義影宗一。父の形見。
だが、あの列車での戦いで、武装刀は確かに限界を迎えかけていた。
刃は欠け、光沢も鈍り始めている。
黒羽との戦いで使えば、途中で折れてしまうかもしれない。
──この武装刀は、父そのものだ。
斬るための武器ではない。
過去と、誇りと、記憶を背負った“絆”だった。
壊すわけには、絶対にいかない。
そこで、瑠衣は立ち上がった。
「……鴉羽に聞いてみるか」
休憩室。
夜中にも関わらず、鴉羽は煙草を片手に、資料らしき紙を読んでいた。
「……よぉ。眠れなかったか?」
「いや、相談がある。武装刀のメンテについてだ」
その言葉に、鴉羽は目をぱちくりさせた。
「は? メンテ? このスラムで?」
数秒の沈黙の後、盛大に吹き出した。
「悪ぃが、武装刀の鍛冶屋なんて、このスラムにゃいねぇよ。メンテしたいなら、本部にでも戻るしかねぇな」
「……そうか」
瑠衣は思わず眉をひそめた。
「武装刀が壊れたらどうするんだ?」
「そのへんの武器庫から拾ってこい。ってのが、この辺のやり方さ。……あんまし選んでられねぇのよ、ここじゃ」
やはり、選べる状況ではないのだ。
だが――
鴉羽はふと、思い出したように指を立てた。
「……ま、もしくは。って話なら、一応あるにはある」
「何だ?」
「スラムの奥地にな、《禁断の遺跡》ってのがある。
そこに“最強の武装刀”が眠ってるって噂があるんだ」
鴉羽は眉をひそめながら続けた。
「だが、中は幻影の巣窟。政府ですら調査を諦めて、今じゃ護符と月神様の結界で封印してる。だから誰も近づかねぇ」
「……案内してくれ。そこへ行く」
瑠衣の即答に、鴉羽の表情が止まる。
「……お前、聞いてたか? “政府ですら諦めた”って言ったんだぞ? 凶悪なごろつきですら、あそこには近付かないんだぞ?」
「聞いた。だが、それでも行く」
「なぜそこまで──」
「……俺の力を最大限に活かすには、より強い武装刀がいる。
父の刀を壊すわけにもいかない。なら、他に選択肢はない」
その目には、確かな決意があった。
もはや誰が止めようと、止まることはない。
鴉羽は長い沈黙の末、天を仰いでため息を吐いた。
「……やれやれ。このスラムには頭のネジがぶっ飛んだ奴が多いが……お前は中でも別格だな」
そして、ニヤリと笑った。
「死んでも責任は取らねぇぞ。だが、案内くらいはしてやるよ。覚悟、できてんだろ?」
瑠衣は、ただ一度、静かにうなずいた。
そして次の日の朝。
スラムは、相変わらず重たい空気に包まれていた。
朝日が昇っているはずなのに、街路には薄暗い影が張り付いたまま離れない。
瓦礫の隙間を吹き抜ける風は冷たく、鉄錆と腐臭を混ぜ込んで肺に流れ込んでくる。
遠くでは、何かが崩れる音と、正体の分からない呻き声が混じっていた。
「……ここから先は、もう管理区域の外だ」
鴉羽が、足を止めて言った。
周囲を見渡しても、人気は全くない。。
道標も、補強された建造物もなくなり、あるのは荒れ果てた大地と、打ち捨てられた文明の残骸だけだ。
「誰も手出しできねぇ。いや……正確には、誰も“したがらねぇ”場所だな」
言いながら、鴉羽は煙草に火をつけた。
さらに進むと、風景は一変した。
腐食した木々が不自然な角度で立ち並び、地面はひび割れ、まるで大地そのものが死にかけているかのようだ。
幻影による浸食の跡である事はすぐにみてとれた。
そして──
視界の先に、それは現れた。
──有刺鉄線の柵。
無機質な金属が何重にも絡み合い、高さは優に十メートルを超えている。
その表面には、数え切れないほどの紙片が貼り付けられていた。
――幻影避けの護符。
風に煽られ、かさかさと不気味な音を立てて揺れている。
柵の中央には、色褪せた看板がぶら下がっていた。
『立入禁止区域
極めて危険!!
命の保証は致しません』
あまりにも直球な警告だった。
「この中を、さらに進んだ先に遺跡がある」
鴉羽は煙を吐きながら言う。
「……だが、それ以上の情報はねぇ。皇国政府の調査隊も、途中で全滅するか撤退してる。
俺が案内できるのは、ここまでだ」
その言葉には、はっきりとした線引きがあった。
「ここから先は幻影も出る。命の保証はできねぇ」
鴉羽は瑠衣を見た。
「……くれぐれも、気をつけろよ」
それは命令でも忠告でもない。
純粋な“心配”だった。
「……ああ。道案内、助かった」
瑠衣がそう答えると、鴉羽は一瞬だけ口元を歪めた。
「ほんと、死に急ぐのが上手いな。お前」
そう言い残し、踵を返す。
煙草をくわえた背中が、荒野の向こうへと消えていった。
ひとり残された瑠衣は、改めて目の前の有刺鉄線を見上げた。
「さて……」
近くに扉らしきものはない。
破壊すれば、結界と護符のバランスが崩れ、封じられている幻影が溢れ出す可能性が高い。
──選択肢は、一つ。
「跳ぶしかないか」
瑠衣は数歩、後ろへ下がった。
呼吸を整える。
地面を蹴る感覚を、脳裏でなぞる。
そして──
「──はっ!」
一気に助走をつけ、踏み切った。
身体が宙へと放り出される。
視界が一瞬、空だけになる。
――次の瞬間。
瑠衣の身体は、まるで重力という概念を忘れたかのように、有刺鉄線の頂点を軽々と越えていた。
金属に触れることすらなく、内側の地面へ着地する。
──ドン。
衝撃は、ほとんどなかった。
「……やっぱり、おかしいな。俺の身体」
思わず、独りごちる。
かつての自分なら、十メートルの跳躍など夢物語だ。
だが今は、それを「跳べる」と疑いもしなかった。
影の因子を取り込んだ混血新人類としての力。
それは確実に、瑠衣の身体を人間の枠から押し出しつつあった。
「……戻れなくなってきてるな」
小さく呟き、前を見る。
封印の内側は、さらに空気が重い。
音が吸い込まれ、世界が一段深い場所へ沈み込んだかのような感覚があった。
遠くで、何かが動く気配。
「幻影か」
だが、瑠衣は足を止めなかった。
恐怖はない。
あるのは、静かな覚悟だけだ。
「──必ず、手に入れる」
武装刀の柄に手をかけ、歩き出す。
この先に何が待っていようと、引き返すつもりはなかった。
封印の向こう。
幻影の棲む《禁断の遺跡》へ向かって──
義影瑠衣は、ひとり進んでいった。




