第153話 合理的撤退
アル・ミルカーたちが戦場を離れた後も、ソブラウとアインツの戦いだけは終わっていなかった。
乾いた連射音が、静まり始めた戦場に短く響く。ソブラウはトリガーを引いたまま、横方向へ滑るように移動しながら銃口を振った。狙いはアインツの下肢、特に膝関節だったが、放たれた弾丸は装甲に弾かれる以前に、その防護された関節部へ届くことさえない。
「同じところばかりだな」
低い声とともに、アインツが一歩踏み込んだ。
その動きには無駄がなかった。膝、足首、股関節といった関節部が正面から狙われないよう、身体の角度を細かく調整している。こちらがどこを狙っているのかを理解したうえで、射線から関節を外しているのだ。
(やっぱり読まれてますね)
ソブラウは移動を続けながら、最初に接触したときのことを思い返していた。
距離が詰まった一瞬にナイフを差し込み、膝窩を狙った。あそこを崩せば、巨体を支える足を一気に奪えるはずだった。しかし、傷は浅く、決定打にはならなかった。
(あの時、仕留められなかったのが痛い…)
その視線が、アインツの顔へ移る。目と眉間を広く覆っているゴーグル。これまでにも何度か狙って撃っているが、単発の銃弾では傷らしい傷すら残らない。
(あのゴーグルを撃ち続ければ、壊れるかな?)
(あのボディアーマーよりは脆いっしょ。視界確保のための装備だ。ならば、蓄積で破れる可能性だってある)
ソブラウは狙いを膝窩からゴーグルへ移すことにした。
眉間を覆う防護を破壊できれば、その奥を撃ち抜ける。確実な方法ではない。だが、他に決定打がない以上、賭ける価値はあった。
(ただし、敵に悟られないようにしないと)
まずは肩口へ銃弾を送り込む。火花が散った。それでもアインツは止まらない。撃たれることを前提にしたような動きで、そのまま距離を詰めてくる。
「その程度で止まると思うな!」
アインツのアサルトライフルが持ち上がった。
重い連射音が響き、ソブラウは即座に姿勢を崩して射線から外れる。背後のコンクリートに弾痕が刻まれ、砕けた破片が飛び散った。
(まともに喰らったら即死ですね…)
距離を取る。そして撃つ。これの繰り返し。
今度は足元へ弾を散らし、その次にはゴーグルを狙う。上下へ狙いを打ち分けることで、アインツに本当の狙いを悟らせない。地面を削った弾丸が砂塵を巻き上げ、視界をわずかに揺らした。
「小細工だな」
「そうでもないですよ」
ソブラウは答えながら、再び射撃した。
今度はアインツの身体そのものを狙わない。踏み込もうとする、その少し前へ弾丸を置く。進路を制限するための射撃だった。
アインツの足が、ほんのわずかに止まる。完全に動きを封じたわけではない。しかし、踏み込む勢いを削ぐには十分だった。
(これでいい。とにかく、的を絞らせないように)
命中させることだけが目的ではない。
アインツの踏み込みの質を落とし、射線を固定させず、自分が捕まらない状況を維持する。そのためにソブラウは絶えず位置を変え続けた。再び銃撃が交差する。
アインツは前へ出続け、ソブラウは横へ逃げながら撃ち続けた。どちらも決定的な一撃を許さないまま、時間だけが過ぎていく。
やがて、アインツが呟いた。
「関節を捨てたか」
(気付かれた?)
ソブラウは一瞬だけ考える。
(狙いを散らしすぎたか…)
弾丸が装甲を叩き、火花を散らす。しかし決定打にはならない。アインツの射撃も同じだった。重い弾丸が周囲を削っていくものの、ソブラウの身体を捉えるには至らない。
互いに理解していた。この距離、この装備、この状況では、簡単には決め手が生まれない。
「削り合いになるな」
アインツが言った。
「いえ、その前に終わらせます。」
ソブラウの返答には迷いがなかった。
戦場には時間制限があり、弾薬にも限りがある。そして、ここで敵を倒すことだけが任務ではない。そのすべてを考えれば、いつまでも1人の敵に付き合っているわけにはいかなかった。
そのとき、遠方から聞こえていた銃声が間延びした。戦場の密度が変わった。
ソブラウは一瞬だけ意識を戦場の別の場所へ向ける。搬出ルートを覆っていた煙、車両の動き、そして物資の流れ。その変化から、戦闘の大勢が決したことを悟った。
「……通したのか。」
「そのようだ」
アインツも同じ結論に達していた。アサルトライフルの銃口がわずかに下がる。しかし、完全に構えを解いたわけではない。アインツは踏み込みを止め、ソブラウも銃口を下げた。
「任務は達成した。これ以上は消耗だ」
その判断は明確だった。
撤退する。
ソブラウにも追撃することはできた。しかし、意味がない。この相手は追えば追っただけ付き合ってくるだろう。そして、そうなれば消耗戦になる。
(こいつを倒すことが全てじゃない。それに、まだ駐屯地では仲間が戦っている。そっちの援護に行きたい……ここで殺しておきたかったけど)
ソブラウはアインツを見た。ここで決着をつけることはできない。ならば、今は戦場全体を優先するべきだった。
「撤退する。」
アインツが背を向ける。重い足音が遠ざかっていく。しかし、完全に隙を見せているわけではなかった。振り返れば即座に撃てる距離を保ちながら、少しずつ戦場から離れていく。
ソブラウは撃たなかった。弾丸が通らないことを理解している。それに、今は撃つ理由もない。
しばらく進んだところで、アインツが振り返らずに言った。
「次は、初手を見せるな」
「余計なお世話だ、バーカ!」
ソブラウの返事が戦場に響く。
(イラっ…やっぱ、ここで殺すか……いや…これ以上は無理だ…あの小僧、振る舞いの軽さとは違って、相当な手練れだ。これ以上は戦えない。戦ったら――死ぬ…)
アインツは歩きながら、自分の身体の状態を確認していた。
ドワーフ特有の頑丈さと、身に纏ったボディアーマーによって致命傷は避けている。しかし、ソブラウは関節の繋ぎ目を何度も狙ってきた。そこには決して小さくない損傷が蓄積している。
戦闘を続けていれば、次に狙われるのは肘窩かもしれない。そこで前腕を失う可能性がある。あるいは、あのゴーグルを破壊され、そのまま眉間を撃ち抜かれるかもしれない。
続けていれば、その二択になっていた。
(奴が合理的に判断し、撤退を選択したから生き延びたにすぎん。恐ろしい奴だ。五十鈴以外にもあんな手練れがいたとはな。)
アインツは、ソブラウをそう評価した。
(だが――)
(五十鈴とあの小僧以上の敵はいない。策を練れば問題なかろう。)
アインツは知らない。ソブラウがGASTのエース級の足下にも及ばないことを。それを理解する日は、いずれ来る。そのとき、アインツはGASTという存在が持つ本当の恐ろしさを思い知ることになる。
「ふうっ」
ソブラウは大きく息を吐いた。戦場には、まだやるべきことが残っている。
「皆さん、とりあえずお疲れ様です。ひとまず、怪我人の治療をしましょう。」
ソブラウさんが、こちらへ歩いてくる。
「それと、今の内に弾の補充も。敵さんが置いていったやつがここにあります。こいつをありがたく頂戴しましょう」
指示を受け、僕らは負傷者の手当てを始めた。同時に、戦死者の遺体を一か所へ集めていく。
その中には、佃三曹の遺体もあった。僕は無言で、その遺体を運んだ。
ソブラウさんは負傷したブエンテロ班長とゴルムさんのところへ向かう。
「班長とゴルムさんは、離脱してください。その怪我で戦っても死ぬだけですよ。」
「くそ、まさか部下のお前に命令されるとはな…」
ブエンテロ班長が苦々しそうに言う。
「この怪我では仕方ないが…何か腹立つな。」
ゴルムさんも不満を漏らしたが、それ以上は抵抗しなかった。
僕が戦死者の遺体を並べていると、ソブラウさんがこちらへ戻ってきた。
「もうすぐ104がやって来る。戦死者彼らは、家族や仲間のもとへ帰れる。」
「……はい。」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に張り詰めていたものが崩れた。涙が出た。
多摩川では、その場で仲間を弔うしかなかった。家族や仲間のもとへ帰すことができなかった者たちもいた。今回も同じように、ここで弔うしかないのではないかと思っていた。
だから、ソブラウさんの言葉を聞いて、僕は安心してしまったのだ。
少なくとも、この人たちは帰れる。家族のもとへ、仲間のもとへ。
「皆の死を無駄にしないのが生者の務めだ、段場。」
和戸一尉の声がした。僕は顔を上げる。ソブラウさんも戦場の向こうへ視線を向けた。
「まだ駐屯地では仲間が戦っています。体制を整えて向かいましょう。」
2人の言葉を聞いて、僕は再び戦場へ意識を戻した。涙を拭い、立ち上がる。
オペレーション・ミネルヴァ――第8次首都圏奪還作戦は、まだ始まったばかりだった。ここまでの戦いでは、敵の攻撃を防ぎ、物資の搬出を止めることが僕らの目的だった。
だが、次は違う。次は、防ぐ側ではない。こちらが、奪いに行く。
登場人物紹介
ソブラウ……GASTアルバトロス班の隊員
段場 隼人……本編の主人公
和戸 一暁……35普連4中隊の中隊長
ブエンテロ……GASTアルバトロス班の班長、怪我で離脱する
ゴルム……GASTアルバトロス班の隊員、怪我で離脱する
タイタン・アインツ……テリムト立川基地の副指令




