第五話 捻じれて歪んだ夢
外回廊に出たウィラードはエリスを抱え直すと、より速度を上げて走る。
「ウィラード様。マリオンさん一人で、本当に大丈夫なんですか?」
横抱きで運ばれている最中。
舌を噛まないように注意しながら、不安を隠せない声音でエリスが尋ねると、ウィラードは足を緩めずに語り出す。
「あいつは私以上に敵が多くてね、普段から一人で返り討ちにしているんだ。型にはまった戦い方をさせなければ、マリオンは間違いなく誰よりも強い。私としては、力加減を誤って暗殺者を撲殺するんじゃないかと、そちらの方が心配でならないよ」
「えっ!?」
味方よりも敵の命を案ずるウィラードに、エリスは愕然とさせられる。
(そう言えば……)
エリスの護衛に就くことが多いマリオンは、「これでもあたし、とーっても強いのよ」と自慢することが幾度もあった。
中性的な容姿やオネェ口調の影響で、戦いとは縁遠い存在だろうと勝手に思い込み、「また冗談を言ってる」と話半分に聞いていたが……人は見かけによらないとは、よく言ったものである。
今後も、マリオンだけは怒らせないようにしようと、エリスは心の中で密かに誓った。
「襲撃者達の対処はマリオンに任せるとして、私達はグレアム・エイボリーの捕縛に集中しよう。奴を野放しにすれば今回と同様の手段を使い、新たな魔女を生み出しかねない」
「……そう、ですよね……」
善良な人柄で聖花術師としても優秀だったギーゼラ。
彼女の弱みに付け込んだグレアムは、聖なる存在を作為的に忌むべき魔女へと堕とした。
今、グレアムを取り逃がしでもすれば、何の罪もない他の聖花術師が標的となり、その心へ憎しみの種を植え付けられるかもしれない。
(グレアム様は、どうしてこんな惨い手段を選んでしまったの?)
いつだったか、お茶会の席でグレアムは言っていた。
『私は姉上を心の底から尊敬しているんだよ。教会と王家の繋がりをより盤石にすべく、昼も夜も切れ目なく公務に励んでいらっしゃる。もし、姉上が男児として生まれていたら、次期教皇になられていたかもしれないね』
あの時のエリスは国の情勢よりも目の前のお茶菓子に夢中で、特に深く考えもせず頭に浮かんだ言葉を率直に口に出した。
『グレアム様も紅花枢機卿と公爵、二つの重要な責務を両立させてますよね? それって、とても凄い事だと思うんです。だからきっと、次期教皇様に選ばれますよ』
『そうだと嬉しいな。――よし! 私が教皇の座に就いたら、この国を真の政教一致の大国にしてみせようじゃないか。こればかりは、どう足掻いても姉上では成し得ない偉業だ。しかし、私一人の力でも成し得ないだろう』
『だったら、お二人の力を合わせてみたらどうでしょう。姉弟で協力したら、不可能も可能になるんじゃないですか?』
『そうだね。エリスの言う通り、時がきたら姉上に協力してもらおう』
その前に、頑張って教皇の座を勝ち取らないとね――と、当時のグレアムは晴れやかに笑っていた。
少なくとも、このような惨劇を引き起こす予兆は見られなかったはずだ。
いつから純粋な【目標】が惨たらしい【野望】へ変化したのか?
その疑問は、直接本人にぶつけなければ分からないだろう。
「エリス、そろそろ紅の宮殿だ。今なら安全な場所へ避難させられるけど……」
物思いに耽っていたエリスは、頭上から降ってきた声でハッと我に返る。
殊更強くウィラードにしがみ付いた彼女は、「嫌です」と頭を振った。
「妹弟子を危険に晒したまま、先輩の私だけ逃げるなんてあり得ません! 置いていかれても自力で付いて行きますからね!」
「それだと、いざという時に守れなくて困るな」
ふっと吐息交じり微笑んだウィラードは、エリスを抱く腕に力を込める。
「ここから先は何が起こるか未知数だ。決して私の側から離れてはいけないよ。何があったとしても必ず守ってみせるから」
真っ直ぐ前だけを見据える瑠璃色の瞳。
この先、何があってもウィラードが守ってくれる。
頭の中で彼の台詞を繰り返すと、それだけで胸の奥がじんわりと温かくなり、怖気付きそうになる心が勇気で満たされた。
「私だって、ウィラード様が傷付く姿は見たくありません」
エリスはほんの少しだけ首を伸ばし、ウィラードの頬に口付けをする。
解呪効果が切れる頃合いでもあったが、自然と「そうしたい」と思っての行動でもあった。
驚いた様子で見下ろしてきたウィラードに、エリスは柔らかく微笑みかける。
「紅の宮殿から出る時は、二人共無事じゃないとダメですからね」
約束ですよ――と続ければ、ウィラードも僅かに表情を緩めて頷いてくれた。




