第四話 すべてを操りし者
跪いていた床から慌てて立ち上がったエリスが、金属音の聞こえた方を振り返ると、眼前にウィラードの引き締まった大きな背中が広がる。
彼は腰に佩いた剣を抜き放っており、数歩先で右腕を押さえて低く呻いているグレアムを、射殺すような冷たい眼光で射抜いていた。
「次、私の婚約者に危害を加える素振りを見せてみろ。容赦なくその両腕を切り落とす」
真冬の吹雪よりも凍てついた声色で、ウィラードが最初で最後の警告を発する。
グレアムの足元には短剣が落ちていた。
ウィラードの発言から推測するに、彼はその短剣でエリスを攻撃しようとしたのだろう。
グレアムがエリス目掛けて振り下ろそうとした刃を、間髪を入れずにウィラードが剣で防ぎ、先ほどの凄まじい金属音が発生したわけだ。
(ウィラード様が守ってくれなかったら、私は今頃――……)
血塗れで倒れ伏す己の姿を想像して、エリスの肌がぞわりと粟立つ。
「どうやら私は、味方に引き込む人間を間違えたようだ。よもや、花を撒き散らすしか能がない落ちこぼれの小娘が、魔女化を解く異能の聖花術師だったとは……。逸早く気付けていたら、聖女の血族として丁重に保護していただろうに」
実に残念だよ――と、グレアムは口端を吊り上げて厭味ったらしく笑う。
途端、ウィラードを取り巻く空気がズンと重くなった。
静かに怒る青の王子が抗議の声を上げようとした時だ。
痛めた右腕をぶらりと身体の脇に垂らし、グレアムは左手で法衣の懐から銀色の物体を取り出す。細長い棒状の金属は犬笛のようで、彼はそれを口に銜えると鋭く息を吹き込む。
耳に痛い高音域の音が響き渡ると、次の瞬間には調合室の窓を蹴破り、黒装束を纏った男達が現れた。
中庭で襲撃してきた暗殺者と同じく、フードを目深にかぶり口元をマスクで覆っている。手に握られているのも大きく刀身が反った特徴的な剣だ。
「グレアム様、お願いです! これ以上、罪を重ねるのは止めて下さい!」
暗殺者を警戒するウィラードに抱き寄せられながら、エリスは堪らず哀切な声で訴える。
脳裏に思い起こされるのは、ギーゼラとグレアムの三人で楽しく過ごした、昼下がりの和やかなお茶会の場面だ。
三ヵ月に一度は「面白い物が手に入ったよ」と、珍しいお菓子や花の種をプレゼントしてくれた。
家格の高い大貴族でありながら平民にも分け隔てなく接してくれる、心優しい聖職者の鑑だと思っていたのに……いつから彼は、血も涙もない非道な人間になってしまったのだろう?
「これだから田舎娘は理解に乏しくて困る。よく聞くがいい。聖リュミエール王国を真の政教一致の大国へ生まれ変わらせる。それこそが私の目的だ」
「……ふざけるのも大概にしろ。王座に据えたクリスを傀儡にして、次代の教皇となった貴様が国の実権を握るつもりか」
怒気が滲むウィラードの言葉に、グレアムは「おや?」と器用に片眉を上げる。
「お忘れですかな? クリストファーは私の甥ですよ。最初から私の計画に加担していると、お疑いにならないのですか?」
「最近のクリスは顔を合わせる度に私を口汚く罵り、『王座を諦めろ』と言い続けていた。私の婚約者となったエリスにも嫌味を吐き散らし、王宮から去るようきつく当たっていたが……事の真相を知った今だからこそ分かる。貴様はイレーネ・ベーレントと同じ手段を使い、クリスをも支配下に置いているのだろう」
「はて、仰っている意味が分かりかねます」
わざとらしく肩を竦めたグレアムに、ウィラードは眉間の皺を深くした。
「しらを切っても無駄だ。クリスの人質になり得る人物は唯一人しかいない。よもや、実の姉の命をも利用していたとは、貴様には人の心が無いのか?」
「生憎と使えるものは肉親でも利用する性質でして。この国の頂点に君臨すると決めた日に、無駄な感情は根こそぎ捨てました。――さて。当初の予定より犠牲者は増えますが、私の計画の邪魔になる者は生かしておけません」
お前達、後は任せたぞ――と。
法衣の裾を悠々と翻し、グレアムは踵を返して調合室から出て行く。
命令が下された暗殺者達は即座に武器を構え、じりじりと距離を詰め始めた。
人数は前回の襲撃時と同じく三名だが、今回は戦力特化のジュダが不在だ。
厳しい戦いになりそうだと、エリスの背筋を冷や汗が伝った――……が、
「どっせぇぇ――いッッ!」
暗殺者達の前に飛び出したマリオンが、勢いよくロッドを真横に薙いだ。
女性と見紛う麗しい容姿から、戦力外だと判断されていたのだろう。
暗殺者達は予想外な人物から奇襲を受け、ほんの僅かではあったが確かに怯んだ。
その隙に乗じて、マリオンは更なる怒涛の攻撃を繰り広げる。
ローブの中から手のひら大の球体を取り出すと、暗殺者達の足元へ投げ付ける。
ボフッと広がった煙が視界を閉ざすと同時に、またしてもローブの中から取り出した球体を、マリオンは素早く放り投げた。
今度の中身は煙ではなくドロリとした液体で、同じ物が追加で四つも床にぶちまけられる。
視界を閉ざす煙の中から抜け出そうとした暗殺者達は、謎の粘液で足を滑らせ態勢を崩す。
「こいつら程度なら、あたし一人でどうにかなるわね」
ロッドを担ぎ直したマリオンは、肩越しにウィラードとエリスを振り返り口早に告げる。
「エリス、あんたの師匠はあたしが傷一つ付けさせやしないわ。だから安心して妹弟子を助けに行きなさい。ウィルもクリストファー殿下を救い出して、いつもの仲良し兄弟に戻りなさいよね。失敗なんかしたら承知しないんだから!」
「分かっている。お前も気を付けるんだぞ」
抜き放ったままでいた剣を鞘へしまい、ウィラードは速やかにエリスを横抱きにした。
急な浮遊感に驚いて首元に縋り付いたエリスに、ウィラードは「そのまま掴まっていて」と耳元で囁く。
次の瞬間、彼は煙が晴れてきた室内を一気に駆け抜けた。




