第一話 昼下がりのお茶会
第二王子クリストファーの誕生祭から、既に三日が経とうとしていた。
ウィラードとの関係がすっかり元に戻り、目先の憂いが消えたエリスは、本日も元気に解呪の福音作りに励んでいる。
現在は【再生】の花言葉があるユーカリを中心に、【幸福】をもたらす花言葉を掛け合わせているが……未だに、解呪効果は発現していなかった。
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(うーん、【幸福】よりも【癒し】の方がいいのかな? 組み合わせは花の数だけあるし、どんどん試さないと!)
執務室の隣にあるウィラードの私室は、今やエリスの研究室と化している。
食事に使用されるテーブルは実験台代わりにされ、食器ではなく調合器具がずらりと並ぶ。
部屋の隅に置かれた木箱の中には、効果が表れなかった使用済みの福音が、数えきれないほど入っていた。
調合中は頻繁に花壇を行き来するので、花嫁修業の時間以外、エリスは例の豪華な庭師の衣装で生活している。
当初は若干の動き難さを感じていたが、本物のドレスを毎日に着ているせいで感覚が麻痺したのだろう。今では何の不自由もなく着こなしていた。
(今回はユーカリの【再生】と、カラーの【清浄】を組み合わせてみよう。あっ、これにカモミールも加えたら良い感じかも。花言葉は【あなたを癒す】と【逆境で生まれる力】の両方を使おうかな)
今回作成する福音に込める願いは、「あなたを癒す清浄な力は、逆境の中で生まれ再生へと導く」だ。
あまり花言葉を欲張り過ぎると、調合失敗の確率は高くなる。その反面、成功した場合は得られる効果が大きいので、試す価値は大いにあった。
アルコール消毒を済ませた瓶の中に、ピンセットで慎重に花や緑を置いてゆく。
実験段階とはいえ、福音の見栄えも効果に作用するので、花弁の色合いや葉の形などこだわっている。
全ての素材を理想通りに配置し終えると、蓋を閉めて瓶を両手で優しく包む。
「花の女神フロス・ブルーメよ。汝が司りし彩花の恩寵を、ウィラード・ルネ・ランドルリーベに授け賜え」
祝詞を唱えると金色に輝く神力のオイルが瓶の底から湧き出し、エリスの瞳に浮かび上がった女神の紋章が虹色の光を放つ。
福音が完成すると同時に、瞳に浮かんでいた女神の紋章は溶けるように消え、オイルの発光も緩やかに収まった。
集中して作業をしていたエリスは、一仕事終えて小さく息を吐く。
(次はどんな組み合わせにしよう? 元々は死を望む呪いだったから、健康祈願や長寿の花言葉も効きそうだよね。『呪いに打ち勝つ』って意味で【勝利】とかもありだし……)
頭の中に様々な花が思い浮かび、どれを優先して福音にするか迷う。
解呪の福音は前人未到の代物だ。呪いを無効化する体質だとしても、エリスがそれを作り出せる保障は無いので、成功を掴むまで数で勝負するしかない。
分厚い植物図鑑を開き、どの花を使うか悩んでいた時だった。
「エリス、今日も調合お疲れ様。そろそろ一緒にお茶でもどうかな?」
コンコンと軽いノック音が響き執務室側から扉が開かれる。
現れたのはウィラードと、護衛役のジュダだった。
エリスは二人に向かって、「お疲れ様です」と会釈する。
ちなみにマリオンは最初から私室の方にいた。
調合は集中力が命だと承知しているため、エリスが作業をしている間の彼は、部屋の隅に置かれたティーテーブルで、黙々と自分の書類仕事を処理していたのだ。
「普段もこれくらい静かなら……」とはジュダの言である。
「それじゃあ、私がお茶を用意します」
「それはありがたい。エリスの花茶は格別に美味しいから、最近はティータイムが楽しみなんだ。――おっと、肝心な物を忘れるところだった。王都に新しく出来た焼き菓子専門店の商品を、茶菓子用にいくつか取り寄せてみたんだ」
「だったら、甘味が少ないさっぱりした味のお茶にしますね。すぐ準備をするので、ソファに座ってゆっくりしていて下さい」
ウィラードの私室には、簡易キッチンが備え付けられている。
ティーセットの準備をしたり、お湯を沸かしたり……と、エリスは手慣れた様子で動き回る。
トレイに並べたカップに香り高い紅茶を注ぐと、彼女は調合で余ったカモミールの花を浮かべた。
花弁が紅茶の表面に触れると淡い金色の波紋が広がる。使用している花が聖花なので、その力がお茶に浸透した証だ。
福音ほど強い奇跡の力は宿していないが、飲めば花言葉に応じて多少の効果が肉体に現れる。
カモミールの場合は疲労回復やリフレッシュ効果があった。
聖花を使用したお茶は総じて〝花茶〟と呼ばれている。
福音用の聖花は鮮度が命だが、花茶は余り物の再利用だ。毒性の無い品種を乾燥させて、花茶用の聖花を販売している聖花術師も存在する。
愛飲者は貴族が多いので、ちょっとしたお小遣い稼ぎには打って付けなのだ。
「お待たせしました。本日は、カモミールを使った花茶ですよ」
ソファの前に置かれたローテーブルに、エリスが人数分のカップを手際よく並べる。
お茶を淹れている間に、マリオンが小皿に焼き菓子を分けてくれていたようだ。
最早定位置となったウィラードの隣にエリスが腰を下ろすと、昼下がりのお茶会は始まった。




