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第七話 二人だけの舞踏会

 黙々と歩き続けていたウィラードが立ち止まったのは、大広間の近くにある薔薇園だった。


 横抱きにされていたエリスは、ウィラードに支えられながら、柔らかな下草の上にふわりと降り立つ。

 篝火が焚かれているので周囲は薄っすらと明るい。道中、警備の騎士を何人も見かけたが、この場所の近くには誰もいないようだ。


「強引に連れ出してすまない。しかし、蒼の宮殿へ戻るまで待てなかった。一刻も早く真実を打ち明けないと、私の方がエリスに嫌われてしまいそうで……とても、恐ろしかったんだ」

「え……」


 始めて耳にしたウィラードの弱々しい声に、エリスは涙で濡れた睫毛を上下させる。

 驚きのあまり固まったエリスを見て、ウィラードは眉根を寄せて辛そうに語り出す。


「視察の二日目。湿地帯を抜けた先にあった林の中で、香木の香りにあてられた私は、エリスの唇を無理やり奪ってしまった。あの時、君から告げられた『気にしていません』の一言が、どうしても頭から離れてくれないんだ」

「――っ!」

「心が千々に乱れているのは自分だけなのだと知り、目の前が暗くなるほどの衝撃を受けた。君に愛されようと努力し続け、少しは心を開いてもらえたと自負していたのに……すべて、私の自惚れだったと気付いた時には、比喩ではなく心臓が止まったかと思ったよ」


 ウィラードは前髪をくしゃりと掴み、顔を伏せて口元を吊り上げる。

 それは、笑みと呼ぶにはあまりにも不格好で、見ているだけでも痛々しい。


「我ながら幼稚だと自覚している。それでも、エリスに男として意識されていないと痛感した私は、遣る瀬無い気持ちを抱え込んで拗ねていたんだ。その結果、君を泣かせるまで追い詰めてしまったのだから……私は救いようのない大馬鹿者だ」

「ち、違います! ウィラード様は何も悪くありません!」


 力無く微笑むウィラードが、今にも夜の闇に溶け消えてしまいそうで――そんな彼を繋ぎ留めるように、エリスは必死の様相で縋り付く。


「私は自分の役目を果たすことで頭が一杯でした。マクニース侯爵様をお待たせしていたので、急いで合流しなければと焦ってしまい――……咄嗟に、嘘を吐いてしまったんです。私が取り乱して視察が失敗したら、取り返しの付かないことになってしまうので」

「! まさか、君が吐いた嘘というのは……」


 エリスの説明を聞いて全てを察したのだろう。

 俯けていた顔を勢いよく上げたウィラードは、期待と少しの不安が入り混じった眼差しをしていた。


 彼の真っ直ぐな眼差しに見つめられると、急激に羞恥心が込み上げてきて、耐え切れずエリスは身体ごと後ろを向いてしまう。


 ポン、ポン――と、色鮮やかな幻想花(げんそうか)に包まれながら。

 頬を朱に染めたエリスは、背後に佇んでいるウィラードへ向けて思いの丈をぶつける。


「あんな大人の口付け、生まれて初めてしたんですよ!? 気にしないわけありません! 私だって本当は、心臓が破裂しそうなほどドキドキしてたんですからね!」


 次の瞬間、背中からウィラードに抱き締められた。

「えっ? えっ?」と戸惑うエリスをよそに、ウィラードは彼女の肩口へ顔を埋めて問う。


「今度は、嘘じゃない?」

「こ、こんな恥ずかしい嘘なんか吐けませんよ!」

「それじゃあエリスは、私を恋愛対象として意識してくれていたのかい?」

「うぅ……。もうっ、知りません……っ!」


 恥ずかしさの限界はとうに超えていた。

 懸命にもがいて逃げ出そうとするエリスだったが、くるりと身体を反転させられる。


 瞳の色は凪いだ海を髣髴とさせる瑠璃色なのに。

 エリスを見つめるウィラードの眼差しは、白檀の香りにあてられた時のような、蠱惑的な熱を孕んでいた。


 違いがあるとすれば、ここは薔薇園で白檀はどこにも生えておらず、ウィラードも人間の姿のまま理性を保っている点だ。


「では、確かめさせてもらおうか」


 囁くようなウィラードの声。心なしか、いつもより低く僅かに掠れ、甘美な色香を含んでいる。

 エリスの背筋を寒気とは別物の甘い痺れが駆け抜けたかと思えば、彼女は節くれだった指先に顎をすくわれ――……、






 月光が降り注ぐ夜空の下で、ウィラードに唇を奪われた。






 果たして、どのくらいの間そうしていたのだろうか?

 重ね合わせた唇を離したウィラードは、茫然と立ち尽くしているエリスへ、蜂蜜のような甘く蕩けんばかりの微笑で尋ねる。


「ねぇ、エリス。今の君は私を意識してくれているだろうか?」

「~~~~っ! 今日のウィラード様は、意地悪です!」

「明日からはとびきり優しくするから、今夜は意地悪な私の我が儘に付き合って欲しい。さぁ、答えを教えて?」


 そう言いながら、ウィラードはエリスの緩く波打つ亜麻色の髪を一房手に取り、瑠璃色の双眸で翡翠色の瞳を射抜いたまま、柔らかな毛先へそっと口付けを落す。

 ボッと燃え立つように赤面したエリスは、両手で顔を覆い口から飛び出しかけた奇声を呑み込む。


(恥ずかしくて、死んじゃいそう……っ!)


 けれど、ウィラードの質問にはちゃんと答えたい。

 擦れ違いは何がきっかけで起こるか分からないのだ。彼に避けられ続けた日常は酷く虚ろで、逆戻りするのは二度と御免だ。


 勇気を振り絞って顔を覆う両手を外したエリスは、震えそうになる声で懸命に訴える。


「……意識しないなんて無理ですよ。心臓がドキドキし過ぎて、今にも壊れそうです……」

「それは良かった。私もエリスを意識しているよ。少なくとも、自分以外の色を纏っている姿を見て、醜く嫉妬するくらいには――ね」

「! これは、夜会に紛れ込むための変装の一環で……」

「それは分かっているけれど、蒼の宮殿に戻ったらすぐに着替えてもらうよ」


 でも、その前に――と。

 ウィラードが完璧な立ち居振る舞いで、白い手袋に包まれた右手を差し出してきた。


 王族が退場する際は止んでいた楽団の演奏が、いつの間にか再開されていたようだ。

 大広間のある方角から、ゆったりとしたテンポの曲が聞こえる。


「ブルースターのように可憐なレディ。一曲、私と踊って下さいますか?」


 意中の女性をダンスに誘う際、男性は相手を花にたとえなければならない。

 たとえに出された花の花言葉が、女性へ向けられている想いとなる、花の女神を信仰する聖リュミエール王国らしい作法だ。


(私が、ブルースター……)


 一輪の花でも、複数の花言葉を有している場合がほとんどだ。

 ブルースターは【信じあう心】と【幸福な愛】の二種類に分かれる。


(ウィラード様は、どっちの意味を選んだのかな?)


 非常に気になる問題だが、直接聞き出すのは無粋というもので……。

 頬を薔薇色に染めたままのエリスは、はにかむように微笑むと、「喜んで」と告げて差し出された手を取る。


 色とりどりの幻想花が空中に咲き乱れる夜の薔薇園。

 夢のような神秘的な空間で、エリスとウィラードは二人きりの舞踏会に興ずるのだった。

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