表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
38/56

第六話 変わらぬ優しさに零れた涙

 エリスがマリオンに連れて行かれたのは、大広間前の外回廊だった。


 篝火に照らし出される回廊の一角では、華美に着飾った五人の令嬢が何かを取り囲み、しきりに黄色い声を上げている。

 無論、彼女達の中心にいる人物はウィラードだ。

 彼もその場から脱出を試みているようだが、穏便な対応が裏目に出て、まさに令嬢達の独壇場と化していた。


 小柄なエリスは令嬢達の陰に隠れてしまい、ウィラードからは見えていないようだ。

 一瞬、飛び跳ねて存在を主張しようとも考えたが、普通にはしたない行為なので止めた。踵が高い靴を履いているので、転ぶ危険性も加味した結果である。


(こんな状態で、どうやって口付けすればいいの!?)


 マリオンやジュダに助言を求めようにも、彼等は少し離れた場所にある柱の裏で待機している。


 乱闘にでもなったら駆け付けてくれるだろうが、まずは一人でどうにかしなければならない。

 しかも、早急に手を打たねば解呪の効果が切れてしまう。


 一度大きく深呼吸をしたエリスは、覚悟を決めて歩き出した。


 だって、約束したのだ。

 自分がウィラードを全力で守る――と。


 今の彼にどう思われていようと構わない。

 一度交わした誓いを反故にするのは己が主義に反する。


「あ、あの! すみません。そこを通して下さいませんか?」


 勇気を振り絞って令嬢の一人に声を掛けるが、完全に無視された。

 他の令嬢に狙いを変えても、彼女達はエリス以上の声量で、盛んにウィラードを褒めそやしている。


 令嬢集団の甘ったるい猫撫で声が、キンキンと頭に響く。

 誰も彼もが、自分こそウィラードの婚約者に相応しいと言い張り、美しい笑顔で他の令嬢を牽制していた。


 次の瞬間、ムカッと怒りの感情が刺激される。


(どうしてウィラード様は、何も言い返さないの? 貴方の婚約者は私じゃない!)


 お飾りの婚約者にはしない、生涯を掛けて幸せにすると言ってくれたのに。ウィラードは何故、「自分には既に婚約者がいる」と宣言しないのだろう?

 まさか、婚約者だと思いたくもないほど、彼に嫌われてしまったのだとしたら――……。


 そこまで考えたエリスは、一気に悲しみの海へ突き落された。


(やっぱり、平民の私が王子様の婚約者だなんて……おかしいよね)


 気を抜くと零れ落ちそうになる涙を、目尻に力を込めて堪えていると、第一王子争奪戦の輪に、勝気そうな令嬢が強引に割り込んだ。

 その際、ぼんやりと突っ立っていたエリスは、「邪魔よ!」と肘で小突かれバランスを崩し――、


「きゃ……っ!」


 咄嗟に受け身も取れず、冷たい石畳の上に倒れてしまった。


 強かに打った臀部がジンジンと痛む。せっかくの綺麗なドレスも、繊細なレースの部分が床で擦れ、見るも無残に破けてしまっている。

 幸いにも怪我はしなかったが、落ち込む一方だった気持ちは、更にどんよりと惨めさが募る。


 涙腺が緩み、じんわりと視界が滲み始めた時だった。


「君達、そこをどいてくれないだろうか?」


 静かだが芯のあるウィラードの声が外回廊に反響する。

 しかし、彼を取り巻く令嬢達は殊更華やかに微笑むばかりで、その場から動く気配すら見せない。


 何も聞こえなかったかのように振舞う令嬢達に、再度ウィラードは告げる。


「次はない。今すぐ、そこをどいてくれ」


 鋭い眼光と共に放たれたのは、温厚な青の王子が発したとは思えない、低く威圧感のある空恐ろしい音声だった。

 刹那、「ひっ!」と恐怖に引き攣った声がいくつも上がり、それまで我を通し続けていた令嬢達が、泡を食ってウィラードから距離を取る。


 肩を寄せ合って震え出した令嬢達など気にも留めず、床に倒れているエリスを見つけると、ウィラードは足早にそちらへ向かう。


「やっぱり、エリスの声だった。すぐに気付けなくてごめん。どこか痛む場所は? 打ち所が悪ければ取り返しのつかないことになる。決して我慢したりしてはいけないよ」

「わ、私は大丈夫ですが……」


 解呪の方は大丈夫ではなさそうだ。


 中庭にある時計台の鐘が鳴り始め、エリスの全身から冷や汗が噴き出す。

 自分の記憶が正しければ、蒼の宮殿を出る直前に口付けをした時も、時計台の鐘の音が聞こえていた。


 いつもは朝から夕方までだが、本日は第二王子の誕生祭なので、夜が更けても時計台の鐘は鳴り響く。

 時計台の鐘は一時間毎に鳴らされるので、今のウィラードは、いつ半獣の姿に戻ってもおかしくない。


(手の甲は……駄目だわ、手袋を外してる余裕なんてない。こうなったら……っ!)


 エリスの身体の心配をするウィラードは、床に片膝を付いている。そんなウィラードの両肩を掴んだエリスは、彼の身体を力任せに引き寄せると、その頬へ自身の唇を押し当てた。

 手の甲よりも柔らかな感触に心臓がトクンと高鳴る。


 静かに唇を離したエリスは、面食らった様子のウィラードへ儚げに問う。


「……嫌では、ありませんでしたか……?」

「何故、そんなことを聞くんだ? 君の口付けを私が嫌がるわけないだろう」


 ――あぁ、駄目だ。


 転んだら必要以上に心配してくれるし、突拍子もない質問を繰り出しても、真っ直ぐ目を見て実直な答えをくれる。

 まるで、視察へ出発する前のウィラードに戻ったようで……エリスはここ数日の間に溜め込んでいた疑問を、堪らずにぶちまけてしまう。


「それならどうして、最近のウィラード様は私によそよそしい態度を取るんですか? 目も合わせてくれなくなって……き、嫌われてしまったのだと思って……っ」


 くしゃりと顔を歪めたエリスの頬を、ついに一筋の涙が零れ落ちる。


 一度緩んだ涙腺は制御不能で、小さな嗚咽を漏らして泣いていると――……一切の前置きもなく、ウィラードに横抱きにされてしまう。

 突然の浮遊感に驚いたエリスは、咄嗟にウィラードの首元へしがみ付く。


 泣いているエリスに、「そのまま掴まっていて」と優しく囁いたウィラードは、彼にしては珍しく乱雑な足取りで歩き出した。






   ✿   ✿   ✿






 蚊帳の外に放り出されていた令嬢達は、尚も執念深く、去り行くウィラードを呼び止めようとしたが……とある女性の登場により、またしても彼女達は震え上がった。


「真の淑女ならば、引き際こそ美しくあるべきですよ」


 いつからそこにいたのだろう。純白のドレスを纏った第二王妃ナターシャが、射干玉の髪を夜風になびかせ、令嬢達の前へ楚々と歩み出る。

 白の王妃は口元を扇で隠し優雅に微笑する。


「あの少女はわたくしが手ずから育てている花です。今はまだ蕾ですが、遠からず美しく咲き誇るでしょう。無粋な邪魔立てなど企てようものなら――……分かっておりますね? わたくし、記憶力には自信がありますの。勿論、貴女方のお顔も覚えましたよ」


 ナターシャの菫色の双眸が剣呑な光を宿し、令嬢達を真正面から射抜く。


「今宵、貴女方は何も見聞きしていない……そうですね?」


 穏やかな声音で紡がれたはずなのに、その言葉には有無を言わせぬ迫力があった。


 化粧の上からでも分かるほど青白い顔色になった令嬢達は、決して他言はしないと誓うや否や、全員揃って夜会が続く大広間の中へ戻って行く。

 扇を閉じて短く息を吐いたナターシャは、柱の陰から出てきた息子の護衛騎士と、祭事を取り仕切る蒼華枢機卿へ告げる。


「近頃、花嫁修業に訪れるエリスさんが随分と気落ちしていたので、目を光らせておいて正解でした。大方、ウィルが原因なのでしょう? あの子達の周囲は、白華騎士団に警戒させているので、貴方達は少し離れた場所で待機していて下さい。いつまでもすれ違ったままでは可哀想ですから、今夜は二人きりにしてあげましょう」


 息子と、その婚約者を心の底から気遣うナターシャ。

 白の王妃の母性に満ちた思い遣りの心に触れ、マリオンとジュダは「御意」と折り目正しく礼をした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ