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彼岸よ、ララバイ!  作者: 湯ノ村
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目蓋がピリリ①

 私の背後に伸びる影を執拗に追いかけ回し、分水嶺となる曲がり角に尽く示しを合わすその存在に嘆息する。夕焼けはとうに過ぎ、夕食も食べ終わって居間で寛ぐような時間である。住宅街は伽藍の静けさを纏っていて、地面を叩くヒールの音がやけに大きく聞こえた。


「カツーン、カツーン」


 昼間の雑踏に溶け込んで社会の歯車と化した足音より、遥かに鮮明な夜更けのぽつねんとした足音は耳を傾けるだけの意義深さがあった。だからこそ、この睦まじい空間に紛れ込む背後をついて歩く音が忌々しかった。電話を装い立ち止まってみると、慌てて物陰に隠れて息を潜める。もはや露呈していると言っていい、思惑に舌打ちは当然の事として、あからさまな悪態が尽きない。


 人の好意に対してここまでハッキリと嫌悪し、睥睨する機会に巡り合った事はなかった。それは、人付き合いを疎んじて起こった弊害ではなく、降って湧いた相手の出方によって生じた気受けに違いない。「ストーカー」そう形容するには、確信的な被害を待たなければならない。今の段階で精神的苦痛を訴えても、警察のお役所仕事に遭ってさらに機嫌を損ねるだけだ。ならば、私はこの人間を記録に残そうと思う。有事に際して必ず役立ち、私の立場を説明するのに事欠かない。


 水色のティーシャツに、色褪せた紺色のジーンズという、凡そ褒めるに値しない凡庸な服装をしていて、体重計は軋みを立てずに受け入れるであろう細身な身体は、貧相と書き綴っても不躾とは思えない。感触と鏡を駆使して切り揃えたような髪や、コケた頬に落ちる影の深さを見ても、健康的な日々を送っているような風貌をしていなかったのである。踵を引きずる歩き方から察する体裁に糸目をつけない様子も相まって、私はろくでもない相手から見初められてしまったようだ。


 ただ一つだけ良い点を挙げるならば、必要以上に詰め寄るような事がない奥手な歩幅だろう。付かず離れずの距離感を保ち、決してはみ出そうとしない。法に抵触しないように心掛けるストーカーの小賢しくも分別がある振る舞いは、甚だ癪に障るものの腹を据えかねるような嫌悪感はまだない。


 目と鼻の先に自宅のマンションを捉える。もはや飼い犬を散歩しているような気分にあり、住所の秘匿性は皆無だが、私はそのままマンションの自動ドアをくぐり抜けるつもりである。ストーカーに対して隠し通せるものではないし、遅かれ早かれ既知となるのならば、長々と引き伸ばす事もない。

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