デブは乗るな!
山の裾野を遠巻きに見たような坂だった。自転車ならば、水を蹴る案配で車輪を回せるだろう。しかし、両脇に抱えた車輪を転がして上るには些か困難な坂である。
「押します?」
無償の奉仕を装い、まわりまわる縁を期待する。下心を完全に切り捨てられるほど、高尚な人間ではなかったが、坂を登るのに躊躇する車椅子の人を手伝って、悪いことが起きる前触れになってたまるか。
「お願いします」
車椅子の彼は、ばつが悪そうに頭を掻く。労を惜しまぬ殊勝な心掛けを「いえいえ」と、返すことにより演じた。内心、成人男性が乗った車椅子を押す力仕事に、首を回すなどして心の準備を行っていた。鼻から息を吸い込み、いざ車椅子の背中を押し出す。
滑り出しはよかった。重みを感じつつも、なんとか足を運ぶことが出来ていた。しかし途中から、泥濘にでも突っ込んだかのように前進が滞る。車椅子の彼の容姿は決して、怠惰な暮らしを謳歌しているようには見えない。だとするならば、単純な筋力不足と体力の陰りだろうか。風の止み間に感謝しながら、追い風を期待する。
「重いですか?」
停滞を不安がられ、「そんなことないですよ!」と寸暇に返したが、本音でいえば諦めてしまいたい。ここまでくると、後退は以ての外で、踏ん張る力を歩き出すための力へ変えようと苦心する。伏した顔に歯茎を剥き出せば、ゆっくりとだが確実に車椅子は前進を始める。
最初は周囲の反応を期待して厚意を示した。ただ今は、車椅子の頭頂を真に望み、膝が笑い出す中、必死に車椅子を押している。重力すら恨めしく思い出した頃、足元が水平になった。そう。坂を上り切ったのだ。顔を上げて深呼吸したところ、突飛に軽々しく感謝の意を伝えられる。
「ありあとしたー」
居間のソファから立ち上がるような身のこなしで腰を上げた彼は、此方を見向きもせずに颯爽と去っていく。彼が伊達に乗った車椅子の横で、糸が切れたように尻餅をついた。
「押しましょうか?」
目の前の坂を口惜しそうに眺めていると、風のしらべと共に女子高生の厚意がゆくりなくやってくる。不自由に垂らした足を自然であるかのように振る舞い、彼と同じように頭をひと掻きした。
「お願いできますか?」




