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彼岸よ、ララバイ!  作者: 湯ノ村
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果ての果て②

 この町の大通りは郊外特有の全国展開するチェーン店と腕まくりして客を待つラーメン屋が建ち並ぶ。そして、動脈に於ける静脈のように細かく枝分かれして住宅街へ繋がる道の一つから、道なりに進んで突き当たりまで行くと背の低い民家が密集し空が広く見えるようになる。雁首並べた建物に目印を見失いがちだ。地元に住み慣れた私でさえ、地図を随意に確認しながら進んでようやく、目的地に着いた。目的の一軒家は、取り立てて金を貯め込んでいるように見えない。しかし、国が福祉に力を入れて手厚くもてなす老人の貯蓄は馬鹿に出来ない。私は大きく息を吸い込んだ。これはインターホンを押す前の準備運動である。


「……」


 一度目の呼び出しがもっとも、冷や汗をかく。二度目は白眼視まじりに強くボタンを押し込む。それでも、何も反応がないとなると、肩透かしぎみに小首を傾げるしかない。


「なんだよ」


 私は庭を通り抜けて、玄関の扉を直接叩いた。


「すみません」


 すると、あれほど反応がなかった玄関の扉が、軽々しく開かれた。食ってかかるように保険屋としての愛想を口と目に込めたものの、電話口で築いた老婆の肖像とは凡そかけ離れた容姿をした成人男性に私は面を喰らった。次に言う言葉を窮するほどの自失具合にあり、男が顔をしかめた途端、すらすらと定型文を口走った。


「ああ、結構ですわ。保険なら間に合ってるんで」


 にべもなく断られた。私は息子として電話を掛けずに済んだことを幸運に思った。一抹の安堵を胸に抱きながら、愛想を程よく振り撒いて立ち去ろうとした。だが、


「ちょっと待てよ」


 私の背中に釘が刺さる。瞬きほどの早さで汗が額を流れ、このまま立ち止まっていれば必ず、手痛いしっぺ返しを食らう。脱兎の如くここを去るのが望ましいが、仄かな期待を込めて次の言葉を待ってしまった。それはあまりに儚い目論見で甘い算段であることは後述の通りだ。


「お前、幾つだ?」


「はい?」


 突飛な質問に私は聞き返した。勿論それは、悪手である。


「歳だよ」


「二十五です」


「本当の歳だよ」


 この男には全て見抜かれているようだった。寸暇もなく詰問してきたことから、何らかの真実を握っているのかも知れない。そう悟らずにはいられなかった。


「十九です」


「そうか」


 男はバツが悪そうに肩をすくめた。その所作に何を見出せばいい。ひとえに戸惑い、私はつかぬことを発する。


「それでは、失礼します」


 男に向けた背中を翻すつもりはない。一刻も早く此処から立ち去らねばならないし、理由を託ける思考すらなかった。そんな私を引き止めるには、力付くの説得が必要だろう。そう思っていたが、私は見事に立ち往生してしまう。


「手を引け。そこに居続けても、数週間ももたない」


 酸欠気味だった頭に空気が回る。不明瞭な男の正体をそこらの事情通と呼ぶには些か足りないようである。


「どうしてそんなことを私に?」


「お前に考える機会を与えたかった。ムショに入ることが更生じゃねぇから」


 背中越しに行っていた問答を疚しく思い、男と向き合った。男の手解きを縁故とし、その恩恵に授かる以外、私に手立てはなかった。面談さながらに気を払いながら、搾取する予定だった相手の家から脱する。


 人目を憚り路地へ停めた原付の佇まいは、まるで私のようだった。冬を好み、夏であろうと長い袖を選んで着る私の身体は見るに耐えない。殴るのに適した腹や背中は勿論、四肢に付けられた無数の傷は、父親の教育を享受した結果だ。この忌々しい時代の古傷は、反発する力を蓄えるきっかけになり、少しでも気に入らないことがあれば、唾を吐いた。そんな私が今、仲間を見捨てて逃げようと考えている。ただ、言わせてもらいたい。社会的弱者を食い物にしながら自身もその一部であることを忘失し、打算と矮小さを煮詰めた私達に確固たる絆を求めるのは甚だ間違っている。


 詐欺行為を働く前の緊張が胸に張り詰めている。演技のいろはを心得ず、人を騙してこれたのは、あっけらかんと振る舞う度胸だけだ。それだけで、人は耳を傾けてしまう。だがしかし、私が今から謀る相手は、同じ穴の狢である。


「なにかあったか?」


 金田が誰よりも早く私の取り澄ました顔を瓦解させるための一言目を発した。勿論、先刻の事情をあけすけにするつもりはなく、返し刀で語気を幾ばくか強める。


「金は回収できなかったよ」


 節々に硬さを覚えたが、自身にしか把捉できぬ程度の範囲に収まっているはずだ。


「おいおい、どうした? 随分、覇気がないが」


 金田の疑問は至極真っ当だった。博打と変わらぬ詐欺行為の成否に肩を落とし過ぎれば、それ以上の何かがあったことを自ら打ち明けているようなものだ。


「いや、そんなことは」


 池田が死角から飛んできて、私の胸ぐらを掴んでくる。ゆくりなく訪れた腕力の気配に、全身が強張る。眉間に寄ったシワと青筋の太さは、幼少期によく見た「怒り」の化身とよく似ていて、腰砕けになった。


「お前、何を隠してる」


 私は簡単な返答はおろか、立っていることすらままならない。首を絞める勢いで胸ぐらを掴む手に力が込められていく。


「まずは一発だ」


 固められた拳は石と変わらぬ重みがあり、頬に当たった瞬間、下の奥歯が歯茎から離れて横転する。口内は瞬く間に鉄の味で染まり、吐き出さずとも歪んだ口の隙間から赤いカーテンが流れ出す。


「あまり物音は立てるなよ」


 人吉は爪をかじりながら、冷眼を私に向けた。残土の入った麻袋さながらに重々しい私の身体を嫌った池田が、胸ぐらから手を離す。私は事切れるように床に倒れ込んだ。


「今から指を一本ずつ折る。全部折られたくなければ、隠していることを話せ」


 全身が総毛立つ。過ぎ去ったはずの慣例が舞い戻り、私は白目を向いた。床に手を着かせられて、人差し指が握り込まれる。今にも裂傷を起こしてしまいそうな指の付け根の負荷は、可動域の限界を試すために指を反り返

す池田の嗜虐心がもたらした。異様に倒れる人差し指の角度に、自分の手から生えているものとは思えない様相を呈す。そのうち、手の甲にまで倒れてしまった人差し指の影形が立ち現れて、もう戻ってこないことを悟った。


 私は部屋の隅で丸まり時間が少しでも早まることを願いながら、死んだように目を瞑っていた頃を思い出す。私の本質は今ここにある。事態の悪化を見て見ぬふりをして、ひたすら目蓋の穴蔵に逃げ込む。それだけが唯一、私が見つけられた現実と向き合う方法だった。ならば、次に目を開けるときは、全てが過ぎ去った後の老婆心すら芽生える安息を鼻先で感じ取ったときだろう。

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