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彼岸よ、ララバイ!  作者: 湯ノ村
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平成二十年、三月五日に起きた焼身自殺について⑤

 吹き込まれた言葉によって、運転手はそぞろに車を発進させた。回送という体のいい表示を掲げて、客を寄せ付けない速度で道路の上を駆ける。真っ直ぐに向いたその焦点を事故の前兆を目敏く発見しようとする殊勝な態度とし、褒め称えるのは凡そ相応しくない。法定速度を無視したアクセルの深さと、重苦しく垂れ下がった目蓋によって視界は狭く思え、辛うじて残った意識だけが車を動かしいるかのような状態である。それでも、迷い箸さながらの顔の振り方で右折や左折を選ばず、頭のなかにある道順を誠実に辿っているのがハンドルの回し方と合わせて察せられた。


 町の中心地から拙速に離れていくタクシーを田んぼも散見される郊外らしい景色が囲み、肩を組んで腕を広げた山の影が、眼前に鎮座している。前照灯を頼りに進めと言わんばかりに街灯は見かけなくなり、歩行者が歩くだけの道幅もなくなった。青い標識がぶら下げた入山の知らせには目もくれず、運転手は前進をやめない。すると、一直線に伸びる前照灯を照り返す人工的な物体が数百メートル先に現れ、赤色灯と思しき注意喚起の色が見えてきた。身振り手振りでタクシーの停車を求める警備員の姿に、運転手は素直に従う。そして、後部座席のドアを開けば、警備員が肝を潰したような驚きに満ちた顔をし、仕事も忘れて呆然と立ち尽くす。もはや見惚れているといってもいいほどの視線を送り続け、タクシーの一挙手一投足に注意を向けている。そんな中で、運転手は我に返ったように運転手はハンドルを捌き、脱兎の如く踵を返した。


「頭部に重度な火傷を負っていて、事件と事故の両面で警察は捜査を進めております」


 ニュースキャスターは詳細を語らず、表面的な部分をなぞるだけであったが、文字での情報はもっと仔細なものになった。以下はそれらを総合的に繋ぎ合わせ、起きたことを表現したものになる。


 田中圭は、夜から朝にかけて警備員の仕事を勤めたあと、真っ直ぐ家路に向かい、件のアパートへ帰った。洗濯機には洋服が入っており、帰宅後間もなくシャワーを浴びだことが伺える。田中圭には交際中の恋人や、家を出入りするような親しい友人はいなかったようで、死亡に伴う疑問はこんこんと尽きない。キッチン周りは埃が溜まり、自炊をする習慣とは遠い生活を送っていたことは明白である。しかし、田中圭はキッチンの前で息絶えていた。


第一発見者は大家だった。ガスの臭いがするとアパートの居住者から連絡が入り、直ぐに駆け付けた。合鍵を利用し、田中圭が暮らす部屋の中へ踏み込めば、異様な光景を目にする。調理をするには事欠かないガスコンロの火が、まるで油をしがんだかのように濛々と立ち上っており、床に倒れている田中圭を差し置いて大家はガスコンロの火を止めた。眼下にいる田中圭へ注意を向けた瞬間、大家はおっかなびっくりに飛び退いた。


 顔の半分が黒く焼け焦げ、皮膚の移植などの処置では生ぬるいほどの火傷を負っていた。ひいては、頬には大きな穴が空いており、そこから舌が奥に引っ込んだ姿も覗き見え、口内に火の手が回っていたことが窺い知れた。推察するに、田中圭は火の着いたガスコンロに顔を突っ込んだと思われ、火柱の如く立ち上った火の勢いは、頬の皮膚が脂のように溶け落ちた結果といえ、拷問に近い苦痛を味わなければ再現は不可能だろう。憚らず言えば、他人から頭を押さえつけられない限り、このような所業は二度と起こらないはずだ。しかしこの一件は、結局自殺と処理されるものの、未解決の事件や奇妙な事件を取り扱う個人サイトの一頁を埋め、文中には皮肉たっぷりな記載が散見された。「磔にされなければなし得ない火炙りを自らに課した青年は、現代に聖痕を持って現れたキリストに違いない」と。

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