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白と黒の裾  作者: ゆーの
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第3話 - 後 - 2

 段差の上を走ったのか、車が大きく揺れる。後ろに置いた旅行鞄がカタっ、と跳ねる音が聞こえた。


従姉(ねえ)さん、どうかした?」

「……考え事」

「もしかして、怒ってる?」

「……自分の手を胸に当てて考えてみなさい」

「それって、手放し運転?」


 おどけた調子で、崇之が返してくる。


「そう思うならやってみればいいじゃない。勿論、自分の責任で」


 だからこそ、私は強く言い放ってしまう。


「⋯⋯言ったわよね? 嘘発見器として使われるのは好きじゃない、って」


 そう言うと、崇之は黙り込んでしまう。


 崇之にはもう分かっているのだろう。

 私は、別に車の知識があるわけでもない。ただ、あの小太りの店員から聞いた話を、それっぽく誇張して言っただけだ。

 あの小太りの店員の、「高すぎる」という声と、「崇之君の車は、健康そのものだよ」という声だけを信じて、後はそれっぽく言っただけだ。だから、別にバッテリーについて分かっていたわけでも、一般的な車の修理箇所を知っていたわけでもない。適当に鎌をかけただけだ。

 逆に言えば、それを分かっていて、それをやって欲しくて私を連れてきたのだろう。


「あんなにハッタリかましたのも久しぶりだわ。本当に、私は嘘をつくのが苦手ね」


 そして、崇之はもう一つ分かっていたのだろう。


「……確かにいたわ。多分、あなたの予想通りね」


 あの時見た小太りな店員。声を聞いて思い出せた。


「元気そうだった?」

「あれを元気というかは怪しいわね。かなり(やつ)れてたかしら」


 そう。従姉弟揃って会ったことがある相手だ。


「懐かしいな。小さい頃に行くと飴もらってたっけ」

「そうね」


 まだ二人とも小学生だった頃。車が好きだった崇之は、崇之の父に連れられてよくあのディーラーに遊びに行っていたらしい。崇之の家とは近所だったこともあり、私も車に乗っけてもらって行ったことがある。実際、母と車を買いに行ったこともある。その店長が、あの小太りなおじさんだったのだ。


「飴は買ってないからゴメン、って言ってたわよ」

「相変わらず律儀だなぁ、おじさん。もうそんな年齢でもないのに」

「年少者は年長者のご厚意に甘える義務があるのよ」


 そう言うと、私は使い込まれた万年筆一本を崇之の前にチラつかせた。……勿論、車が渋滞にハマったタイミングで。


「それって……」

「覚えてないの? あんなに懐いていたのに」

「犬みたいに言うな、人のことを。……ああ、覚えている。普段は粗品のボールペンを使っているのに、いざ契約となると、突然胸ポケットからそれを出してサインするんだったよな。嫌なほどはっきり覚えている。……もらっていいのか? そんなもん」

「使って欲しいんだって、ご本人様が言ってらした──、いえ、書いてらしたの方が正確かしらね」

「書いていた?」


 崇之が、不思議そうに聞き返す。


「まぁ、霊媒師界隈にはよく知られた、とある現象でね」


 ざっとこういうものだ。

 生前に仲の良かった人に、亡くなった人の所持品の、できれば愛用していた筆記具を持たせる。手の力を抜いて紙の上に置くと、そのペンは静かに動き出す。そして──、条件が揃うと字が書ける、というのだ。

 どんなに筆跡が違う人を揃えても、仲の良い人を連れてさえ来れば筆跡は亡くなった人のものと一致する。そしてその方法の利点は──、()()()()()()()()()()()()やりとりができる、というものだ。そしてかの前店長も、私でさえ見えたり見えなくなったりするほどには、この世から消えかけていた。

 だから私は、比較的年齢層が高く、前店長と生前交流のありそうな整備工にお願いして、その実験を行った。筆記具は万年筆を用いて、紙の上に手を置かせると、ふにゃふにゃな字で万年筆が走り始めた。


『息子をたのむ アメの代わりに万年筆をタカ』


 それだけ書き残すと、二度どペンは動かなかった。

 これは協力していただいた整備工の話だが、前の店長は二年前に亡くなったらしい。心臓病で、ある日突然息を引き取ったそうだ。そしてその後を継いだのが、店長の息子だったようだ。


 亡くなった人は、思いが強ければ強いほど、この世に残り続けようとする。私の経験から言うと、一番長いのが「恨み」「怒り」の類で、それを除くと徐々に記憶が薄れていき、やがてこの世から消えてしまうのだ。

 だからあの前店長は、なんだかんだあっても、息子と自分の従業員らを信頼しているのだろうと思う。信頼して──、それでも大好きな場所にずっといたいから。息子を陰ながら応援したいから。

 消えそうになりながらも、ふらっと立ち寄ってくれるのだと思う。


「……えない」

「えっ?」


 そのことを、崇之には教えてあげない。

 そんぐらい黙ってたって、バチは当たらないでしょう?


「なっ、何でもない! さ、今夜は食べるわよ!」

「……全く従姉さんは。りょーかい」


 前の車に続いて、崇之はアクセルを踏む。それだけで、沢山の人に乗られてきた代車は、ゆっくりと走り出した。





「何でこうなるのよ」


 寺田屋で。私の隣には、崇之とその後輩が二人。私の知らぬ間に、崇之は部下なんぞたるものを抱えていたらしい。

 他のテーブルに目を移せば、同僚に、上司。崇之と付き合いのある企業の担当者様までも()()()らしい。

 私は、静かに食べたかったのに。


「別に()()()()()でなんて言ってないだろう?」


 崇之が言うと、隣のテーブルに座る女性が、黄色い声を上げる。


──忘れてた、コイツ、モテる系のダメ従弟(おとうと)だった。


「そうね。確かにあんたなら普通にやりかねないわね。次からは気をつけるわ」

「まー怒りなさんなって。はい、コレ」


 そう言うと、早速焼きたての肉を私の取り皿によそってくれた。


「ありがと」


 タレにつけてから、一口。


──んんっ! おいひぃ!


「本っ当、従姉さんは顔に出るね。なんて言うか、こう。顔が緩んだ感じになる」


 言われて、私は両頬を抑える。すると、崇之はニヤニヤと笑った


「そういうところも、素直というか、何というか」

「……何よ」


 何もなかったように、崇之は取り皿に肉を追加する。


「あのぅ……」


 後輩の一人が、言い出しにくそうにソワソワする。もう一人を見ると、素直なことか、私の身なりを興味深そうに観察していたが、私が見てるのがわかると気まずそうに目を逸らした。


「私のことは気にしなくていいわ。コイツの従姉弟よ」

「いえ、そういうことじゃなくて……」


 後輩の一人は、気まずそうに言った。


「ご自分のは、焼かなくて大丈夫ですか?」

「ん? 別に。焼いてくれるから、大丈夫よ」

「そういう……ものなんですか?」

「ええ。そういうものよ。女王様気分になれて、なかなかいいものよ」

「……はぁ」


 私は、冗談ぽく笑ってから、崇之が取ってくれた肉を頬張る。

 やっぱり美味しい。少なくとも、今日を忘れられるくらいには。

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