にわか雨
私立松華学院は幼稚舎から大学まである巨大学校だった。
創立して短いので知名度こそ低いが、
志しの高い有志が集まり私財と情熱を注ぎこんだ学校は、
教育するのに充実した施設と熱意に満ちた教師が揃っていた。
学院の高等部に通う聡は、小さい頃両親を亡くし遠い親戚の浅野家に引き取られた。
浅野家も短命の家らしく、現在の親代わりは父と呼ぶより兄に近い一人息子の京だった。
突然の雨だった。
京を喜ばそうと、夕食の食材をもう1品増やすために別のお店に行ったのが間違いだった。
制服が濡れるのが嫌だったから、
なにも考えずに一番近い知り合いの家に転がり込んだ。
「なんやー?」
目が細いため、いつもニコニコして見える、秀一が顔を出した。
秀一は同じ学院の大学生で編入組だった。
広いキャンパスで出会う確率は少ないので知り合ったのは本当に偶然だった。
「傘借りに来ただけだから・・・。」
「びしょ濡れやないか。いいから上がってな。」
上がる気は無いと言っているのに、半ば強引に上がらされた。
「これ着てや。ワイのしかあらへんで、ブカブカなのは堪忍な。」
秀一から借りたT シャツは、ぶかぶかで、
作りつけの鏡に写った姿がちらっと目に入ると、ワンピースでも着ているみたいに見えた。
この姿のまま帰るのは流石にためらう。
寄り道しないで、まっすぐ帰ればよかった。
これじゃぁ結局、乾くまで帰れない。
たかが30分多く雨に濡れればよかっただけなのに。
今日の夕食の食材で痛みそうなものは、
冷蔵庫に入れさせてもらって、
服が乾くまでの時間がもったいないから夕食を作る。
一人分多めに作って、お礼の代わりに秀一にも振舞った。
お弁当箱を借りて、京の分は持って帰ればいい。
秀一のアパートは取り立てて贅沢というほどでは無い。
でも、使っている食器が高そうで、
実はお坊ちゃまなんだという気はした。
「正直言うと、あのとき学校で会ったのがはじめてやない。 ずーっと前から会っとったんや 」
軟派の手口みたいなこと平気で言う。
「短いウェディングドレスっていうのもええもんやな。」
わけがわからないことを言い出すし。
「なんですか?やぶからぼうに。」
「あのな、表参道のスタジオ」
「!・・・なんで・・・どうしてあなたが知ってるんです?」
「鳥居のおっさんな、クソオヤジの部下なんや。」
最近になって若者もターゲットにし始めた老舗ブランド。
原宿や表参道に出店して学校でも人気がある。
社長の名前は鳥居さんといった。
イメージモデルは外人で活躍の場ももちろん海外。
短い滞在期間に効率よく仕事を終わらせるため
単純なリハーサルに代役を使っている。
鳥居さんとどういう繋がりなのか、
京から頼み込まれてリハ代役のバイトをしたことがあった。
急遽決定した企画だったのでリハ期間が短く、外人モデルのせいか、
女性で体形が合う代役が見つからなかったのだ。
どうせ誰に見られるわけでもないから、
ドレスやら、カツラやら付けて
コスプレまがいのことをしたのだ。見られていたなんて!
両手に持ったフォークとナイフをオモイッキリ!
ハンバーグにブッ刺す。
「他言したら、ハンバーグと同じ目に合わせますよ・・・。」
秀一は、鈍く光るナイフをとフォークを見た。
付けていたテレビは恐怖体験スペシャルで・・・。
「初対面のあのときに、正当防衛で殺しとけばよかった・・・。」
効果音付きつぶやきは秀一をひるませた。
それから、食事の話題はいつのまにか怖い話になっていた。
怖いものは沢山ある。毛虫が怖い、学校の大きく枝垂れて綺麗すぎる桜の木が怖い、夜の公園も怖いし・・・。
「・・・なんや、そんなんが怖いんか?聡はえらい怖がりさんやな」
「笑えばいいだろ、どうせ!」
怖いをキーワードに、会話とは別のところで思い出すことがある。
京が1週間出張だったとき、別の親戚の村正さんの家に預けられた。
小学校にも上がる前のことだったけど、
村正さんと、お嫁さんと、妹さん、
3人が暮らすあの家がやさしくて暖かい家だっていうのはわかった。
なのに、京がいないことが怖くて、怖くて、食べても吐いて、
結局栄養失調で病院に担ぎ込まれた。
やさしかった村正さんが、お医者から怒られて、京に凄まれて。
あれから少しは成長したから、
京が出張だからって食べ物を受け付なくなるようなことは無くなったけど。
どうせ、秀一には怖いものなんてないんだろう。
漠然とした不安や、不安定な気持ちなんて、
わからないからこそ楽しいって言いそうだ、そういう男だ。
「でも、怖がりかも知れないけど、失ったら何も怖くなくなることもある。」
意識もせず、漏れた本音。
怖がりだけど、京がいなくなったら何も怖くなくなる。それ以上に怖いことなんてこの世にないから。
「なら、怖いもんがいっぱいある聡は、幸せなんやな、ならエエやん!」
なんでそんなふうに笑うんだろう。人のことじゃないか。
ザワザワと波立つ感情。
あの桜の木とは質が違う・・・でも得たいの知れない怖さ。
涙が出そうになって、この場に居ることが耐えられなくなってきた。
「帰る!」
「かえるって・・・待ち、そないカッコで・・」
勢いよく飛び出した外は、幸か不幸か雨は上がっていた。
アスファルトに、街の灯りが反射して海の上に立っているみたいな錯角に陥る。
以前見たコールタールのような夜の海に。
とぼとぼと歩きだしたところで、裸足なのに気付いた。
自分の姿を思い出して、舌打ちする。
作った夕食どころか食材まで忘れてきたうえ、
歩道を歩いていると、何人かのバイク乗りに軟派されかけ、
自分が女顔なのがコンプレックスの聡の腹立だしさに更に拍車をかけた。
馬鹿みたいだ。どこか一ヶ所タイミングがズレれば、
雨に濡れることもなかったし、もっと早く帰れた。
背後から、ギコギコいう音が聞こえた。
自転車の音だ。かなりのスピードで走っている。
走り抜けると思ったのに、自分の背後あたりで急にスピードを緩める音に変わった。
今度は自転車の軟派?
声を掛けられたら怒鳴りつけようと身構えた。
「手間のかかる御仁やなー、しゃーないから送ってったる」
額に汗を浮かべた秀一がいた。
ちゃんとスーパーの袋も持ってきてくれている。
秀一が、京の車と張るスポーツタイプの高級車に乗っているのを知っていた。
送ってくれるんなら、あっちの方がいい。
エンジンの音とか聞いてみたいから。
「・・・どうせなら車がいいです。」
「免停中やから・・・。」
「ダサー!」
車輪で水を含んだ歩道は水飛沫を上げて、水飛沫は車のヘッドライトでキラキラ光って
ロマンチックな光景に見えなくもなかったが、
コンビニ袋に慌てて詰めた夕食はこぼれて、ケッチャップの匂いを撒き散らし、
自転車のギコギコ音は、二人分の体重で更に酷い音を立てていた。
「壊れそうですね。」
「・・・・・アカン・・・。」
「え?」
「パンクしおった・・・。」
その後、秀一は、根性だけでパンクした自転車を漕いで、
道中さんざんなじられながら聡を自宅まで送った。




