第1話 異世界は幼馴染みと伴に
紫色の靄を纏った刀を、アヤメが静かに構えている。
その向こうには、人の身の丈を超える青鬼のような見た目の魔物。大太刀を片手で持ち、こちらを見据えている。
大きな動きは無い。だが、それが逆に恐ろしい。奴は明らかに警戒している。自分の得物と同じくらいの大きさの刀を、目の前の小さな人間が握っているのだから。
俺は、ハジメと2人、動くことすらできずにその睨み合いを見ていた。手に汗が滲む。これで、勝敗が決まる。
そう頭では分かっていた。でも、どっちに転ぶのかは、俺にも分からなかった。今まではアヤメの攻撃は決定打に欠けていたが、この状態になったらどうなるのか。
一体どうして、こんなことになったんだろうか。あの夜からまだひと月ほどしか経っていないというのに。
時は遡って、ひと月前のこと。それは、蝉も鳴くのをやめるほど暑い夜だった。外にいるだけで汗が噴き出してくる。サウナの中にいるようだ。
予備校の夏期講習を終えて駅を出た瞬間、まとわりつくような熱気が全身を包んだ。駅前には片手に小さな扇風機を持った人がちらほら見える。やはりこのくらいの装備をしないといけない。小遣い惜しさに買ってはいなかったが、背に腹は代えられないか。
「今度電気屋にでも行くか……」
扇風機の風を浴びて気持ちよさそうにしている女子高生を見ながら呟く。その時、背後から大きな声で話しかけられると共に肩に強い衝撃を覚えた。
「よっ!槇!何ボーッとしてんの!?」
「うわぁっ!!な、なんだよ。菖蒲か。驚かすなって」
後には長い髪をポニーテールにした女子高生がいた。幼馴染みの菖蒲だ。こいつは昔からこうやって人をからかうのが好きだ。今だってわざわざ大きな声を出す必要も、肩を叩く理由も無い。
そんなことをしたもんだから周囲の目線が一気に集まってしまったではないか。物凄く恥ずかしい。
「何って、ただ考え事をしてただけだよ」
「そのわりには女の子を見ていたような気がするけど?」
こいつ、さてはさっきから見てやがったな?だが俺にやましいことは無い。
「あれは女の子を見ていたんじゃなくて、手に持った扇風機を見てたの。暑いから今度買おうかなぁって」
「ふ~ん。ホントかなぁ?まぁそういうことにしておいてあげよう」
ニヤニヤとしながら意地の悪いことを言っているが、こいつはそんなことくらい分かって言っている。俺くらい付き合いが長ければその程度のことは分かる。
「はいはい。ありがとうございます。それで?お前は部活帰りか?」
「ご名答。よく分かったね」
「当たり前だろ。その荷物を見れば分かる」
「それもそうか」
菖蒲は肩から大きなボストンバッグを提げ、それとは別に細長い袋を手に持っている。
「インターハイも近いもんな。調子はどうだ?」
「まずまずだよ。今年は優勝を狙うよ」
「さすが、剣道部の次期主将候補。言うことが違うな」
「からかわないでよ。主将は男子がやるって決まってるんだから」
「そうなんだ。そういう古い慣習って残ってるんだな」
「まぁね。男子は皆坊主だもん」
菖蒲は笑っているが、俺には理解できない世界だ。昔、誘われてやってみたけど全く向いていなかった。一週間ももたずに辞めてしまって菖蒲に散々文句を言われたものだ。
そんな菖蒲とは別々の高校に通っているが、家が近いということもあり幼稚園から中学校までは一緒だった。でも、俺はスポーツも勉強もそこそこ。秀でたものは無いし、逆に極端に悪いものも無い。見た目から能力までとにかく普通。目立たない。ただ、言われたことを黙々とこなすので教師受けは良い。そして気がついたら雑用ばかりやらされている。文化祭ともなるとクラスの仕事も押しつけられる事が多いから辛い。
対して、菖蒲はとにかく目立つ。小さい頃から剣道道場に通い、中学の全国大会で優勝すると、その実績で高校も強豪校へ入った。だからといって勉強ができないわけではない。むしろできる。剣道しかできない馬鹿だと思われたくないから頑張っているらしい。だから今でも学年でトップクラスの成績を維持しているそうだ。
「ところで槇。ちょっとコンビニ行こうよ。喉渇いた」
「そうだな。このままじゃ熱中症になっちまう」
駅から少し離れた場所にあるコンビニに寄ると、駐車場で騒いでいる男子高校生たちがいた。邪魔くさい。絡まれることは無いだろうが、なんとなく警戒して中に入る。
「なんなのかしらあの人たち。こんな時間に騒いでいたら迷惑でしょ」
店に入るなり菖蒲が口を尖らせて文句を言っている。だが仕方がない。ああいうのは放っておいた方がいい。実際、誰かが危害を加えられているわけではない。うるさいだけだ。
「あの手の輩をどうにかしたければ警察に任すのが一番だって。それより、飲み物だろ?」
「う~ん。槇の言うことも分かるけど……」
菖蒲はブツブツと文句を言っているが無視だ。君子危うきに近寄らずだ。
雑誌コーナーで立ち読みしているおっさんの後を通りドリンクコーナーに行く。後ろで菖蒲がおっさんに謝っている。鞄がおっさんに当たってしまったようだ。あれだけデカい鞄だからな。仕方がない。むしろ立ち読みしている方が悪い。
互いに飲み物を買って外に出ると、外ではまだあいつらが騒いでいた。鬱陶しいなと思いつつ通り過ぎようとした時、奴らが血相を変えて走り出した。俺らがその姿を目で追った瞬間、急に視界が明るくなった。激しいエンジン音が聞こえる。横を見るとヘッドライトをこちらに向けた車が減速することなく突っ込んできていた。
「菖蒲!危ない!」
菖蒲を抱きかかえるようにして逃げようとしたが、直後に激しい衝撃を感じた。
そうか。逃げられなかったか。
遠のく意識の中でそのことを悟った。体に痛みは無い。音も聞こえない。視界は白くぼんやりしている。
あぁ。せめて菖蒲だけでも生きていてくれ。
そう願いつつ、意識が遠のいていった。
――て!
なんだ?うるさいな。
――起きて!
うるさいな。あと5分寝かせてくれ。
――槇!起きて!
うぇ!?菖蒲!?
自分を起こす声が聞こえたと思ったら、その主は菖蒲だった。それに気がついて驚いた。まさか自分の家に勝手に上がり込んでいるとは思わないからだ。慌てて飛び起きる。
急に体を起こした俺を見て菖蒲が驚いている。だが妙だ。家の中じゃない。草原だ。
「あれ?ここは一体……」
周囲を見回す。透き通るような青空の草原に俺と菖蒲はいる。そして他にもう1人、スーツ姿の男が少し離れたところで佇んでいる。どういう状況なんだ?
「良かった。槇、生きてた」
「生きてた?何言ってるんだ?それより、これはどういうこと?」
「分からない。私もさっき起きたばかりで……。ただ、槇に庇ってもらったのは憶えてる」
「庇って……?――っ!」
思い出した。暴走した車にはねられたんだ。ハッキリとは憶えていないけどきっとそうだ。
だとしたらおかしい。辻褄が合わない。
「なんで俺たちは元気なんだ?」
「そうなの。それに、荷物がなくなってるの」
言われてみればそうだ。菖蒲の大きな荷物が無い。俺の鞄も無い。向こうにいるスーツ姿の人も手ぶらだ。
「もしかして、あの世か?」
そう呟いた瞬間、菖蒲の手が俺の頬を叩いた。
「痛ぇ!なにすんだよ」
「馬鹿なこと言わないで!そんなわけない。実際、痛かったでしょ?」
「いや、そうだけどよ。」
「痛いってことは、ここは現実ってことよ」
「何その暴論。夢でも痛いときくらいあんだろ」
「細かいことはいいの。とにかく今は状況を確認しましょ。ほら、立って」
菖蒲に促されて立ち上がる。今までより目線を高くしたことでより状況が分かった。遠くには街道があり、そこには人の往来が見え、畑も確認できる。そして更に遠くには西洋風の城がそびえ立っている。あのような城は写真やテーマパークの中でしか見たことがない。
ただ、これでハッキリした。こんなに人の営みを感じられるようなあの世は存在しないはずだ。自分の夢の中に、自分のよく知らない人物がいるのもおかしい。つまり、ここは現実世界の可能性が高いということだ。
「マジかよ……。意味分かんねぇ」
ポツリと呟くと、菖蒲がそばに寄ってきた。不安なのだろうか。
しかし、スーツ姿の男は様子が違っていた。自分の手を見たり、手を前に突き出してみたり、跳ねてみたり。「ステータスオープン!」とか叫んでは項垂れている。さすがに痛々しすぎる。
だが、何かを確信したらしく、突如として笑い始めた。
「ふふ……。ふはは。ふははははは!!!」
突然のことで驚いた俺たちはスーツ姿の男を見る。
「あの人、大丈夫かしら。おかしくなったんじゃないよね?」
菖蒲は少し怯えている。
「やった。やったぞ!ここは異世界だ!異世界に転生したんだ!」
異世界に転生した?何を言っているんだ。だが、今はそう言われても納得してしまう状況だ。あまりにも自分達の住んでいる環境や最後の記憶と違いすぎる。
怪しい男だが、情報は共有する必要がある。勇気を振り絞って、男のもとに歩き出した。




